それは誰かにとっては無慈悲であっただろう。けれど誰かにとっては確かに慈悲でもあったのだ。果たしてそれは彼らにとってどちらであったのか。
マサキの使い魔であるシロとクロは魔法生物だ。猫の姿をしていながら電子機器の修理もできればかんたんな魔術や解咒もできる。魔術がからきしなマサキにとってはまさに命綱に等しい相棒たちである。けれど、逆にそれくらいしかマサキは知らなかった。
基本的な使い魔の構造。抽出した無意識を一つの人格として確立、安定化させるための手順と必要とされる最低限の魔力量。儀式に携わる術者のレベル。そしてその存在の希少性。マサキは何も知らなかった。特に知る必要がなかったからだ。それにいまさら興味を持ったのはけたたましい一匹のローシェンがきっかけだった。
「なあ、チカってお前の使い魔だよな。あれ、誰が作ったんだ?」
「私の使い魔ですからね。もちろん私ですよ」
「お前、ほんとムカつくほど何でもできる奴だな」
「賛辞と受け取っておきましょう。それで、何が気になったのです?」
「気のせいかもしれねえけどよ、この間の戦闘でチカの奴、死霊装兵から攻撃食らって吹っ飛んでなかったか?」
マサキは確かに見たのだ。無惨に消し飛ぶチカの最期を。なのに今「彼」は傷一つない姿でマサキの使い魔たちとのんきに窓際で昼寝を満喫していた。
「ええ、そうですね。おかげで四散した魔力を再形成するのに思いのほか時間がかかってしまいました」
「さいけいせい?」
「ええ。あなた方と違って私の使い魔はチカしかいませんからね。消えるたびに作り直すわけにもいきませんから」
チカを形成する魔力に<存在の定義>を付与しているのだとシュウは言った。
「チカを形成する魔力に【使い魔チカを形成する魔力】という【属性】を付与しているといいますか」
「【属性】の付与?」
しかし、最低限の魔術の基礎すら修めていないマサキはさっぱりだ。
「雑な言い方をしますとその【属性】が維持されるかぎりいかなる状況であってもチカは再形成しつづけるということですよ」
たとえチカという「存在」が「崩壊」してもその魔力が【使い魔チカを形成する魔力】であるという【属性】までは消失しない。そして【使い魔チカを形成する魔力】が一片でも存在するかぎり【使い魔チカ】は何度でも再形成される。
「それって不死身……」
「人間に例えるとそうでしょうね。ただ、その速度は再形成時の残存魔力に左右されるので、今回のように消し飛ばされてしまうと必要な魔力をためるのに一定以上の時間がかかるのですよ」
そうなるとしばらく身動きが取れない。それが難点だととんでもないことをさらりと言ってのける。けれど、マサキが気になったのはそこではない。
「……なあ、ときどきチカに無茶な命令出して平気な顔してるのはそのせいか?」
グランゾンは魔装機神のようにその操縦にあたって使い魔のサポートを必要としない。そのせいかチカは戦闘とは別の場所で時にとんでもない無茶を強いられていることが多々あった。チカの愚痴に何度かつき合わされたことのあるマサキはその内容に何度目を剥いただろう。
「当然でしょう。備わった機能を有効活用しないでどうするのです」
「お前それ本気で言ってんのか?」
いくら自己再生可能とはいえ身を焼かれ吹き飛ばされることがどれだけの恐怖だと思っているのだ。ましてやあんな小さく無力な小鳥が。
「チカがあなたに助けを求めたのですか?」
向けられた視線は冷たい。身を刺し貫く絶対零度。傷口に塗られた毒は無知に対する嘲笑と塵芥ほどのけれど明確な怒りだった。
「あなたの善性は紛れもない美徳でしょう。けれどそれが時に相手に対する侮蔑に値することをあなたは知るべきだ」
「侮蔑って……」
高慢な善意。過去、確かに言われた覚えがある。その尊さがむしろ憎悪と悪意、あるいは殺意を招くのだ、と。
ふと気づく。使い魔は主である魔装機神操者の無意識を切り取って作られる。ならばチカは。あのけたたましいローシェンは「誰の」無意識から生まれたのだ。
「あ……」
喉が引きつる。今自分は何と言おうとした。一体誰の何が哀れだと言おうとしたのだ。
「理解していただけたようで何よりです」
基本的に使い魔は主人の記憶や知識などを受け継いでいる。ならばチカはおのれの立ち位置はもちろんその機能を最大限に活用する機会も十二分に理解しているだろう。目的達成のためなら我が身を使い捨てるも同然のこととて平然とやってのけるに違いな。そう、あのローシェンはこの男の使い魔なのだ。
「……悪かった。愚痴を真に受けちまって」
「あなたの性格からすれば無理からぬことです。むしろ咎めるべきは愚痴をこぼす相手を間違えたチカですよ。あとで叱っておきましょう」
「え」
「何ですか?」
「いや、そこまで気にしなくてもいいんじゃ、ねえ……、かと思ってよ」
チカの「機能」を知ってしまった今、脳裏をよぎるのは不穏な過去の数々だ。何度も愚痴につき合わされたマサキからすれば少しくらい大目に見ても罰は当たらないだろうに。
「あなたも甘い人ですね」
「お前が厳し過ぎるんだよ。たまには自分の使い魔をいたわってやれよ。おれだってときどきあいつらに高い魚とか鰹節とかまたたびとか買ってやってんだからな」
意外に使い魔思いの主だったらしいマサキにシュウはほんの少し口許をほころばせる。
「ん、何だよ。別におかしくねえだろ」
他人ならば気づきもしないわずかな感情の機微。それをほぼ直感で察知したのだろう。マサキは口をへの字に曲げて不満をあらわにする。
「いえ、感心していたのですよ。私はあなたのようにあれに何かを施した記憶がないものですから」
「いや、いくらなんでもそれはひでぇだろ。あんだけ体張ってんだから少しくらい休ませるなり何なりしてやれよ」
「あまり甘やかしてもつけ上がるだけですからね。飴を与えるにしてもタイミングは見極めなくては」
どうやら目の前の男の辞書に「慰安」の二文字は存在しないらしい。
「……さすがにちょっとかわいそうになってきた」
「おや、私がかわいそうですか?」
「お前わかってて言ってるだろ」
何とも非道な主人がいたものだ。なら、おせっかいを承知のうえで助け船を出してやろうではないか。
「ちょっと借りるぞ」
「マサキ?」
引き留められる前に窓際のチカに駆け寄ってそっと抱き上げる。よほど疲れているのかそれとも気が抜けているのか起きる気配はない。
「ちょっと外回ってくるからおとなしくしとけよ!」
トラブルを起こしているのは大概自分である事実を棚に上げマサキはサイバスターに乗り込むとそのまま発進させる。行き先は以前立ち寄った街にあった鳥類を専門に扱う店だ。
「あそこならうまいもんとかいろいろあるだろ」
慰安といってもマサキに思いつくのはせいぜい「うまいもの」と「よく眠れる場所」くらいだった。けれど慰安の二文字とは無縁の生活を送ってきたチカにとっては人生最大の衝撃だったらしく、店員におすすめされた極上の一品の数々をマサキに買い込ませると緑豊かな森林でそれを目いっぱい頬張ってから一寝入り。そして、目が覚めたと思ったら今度は今の今まで腹の底にためていた主に対するあれやこれやを大放出。
「……マジか」
律儀に合いの手を入れていたマサキの顔色が赤くなろうが青くなろうがついには真っ白になってもブレーキの壊れたチカは止まらない。
そうしてチカの慰安旅行は実に半日にも及び、短い人生の春を謳歌したチカはマサキのジャケットの内側でうつらうつらしながら主人が待つセーフハウスへと帰還したのだった。
「ずいぶんと楽しんできたようですね」
マサキのジャケットからひょこっと顔を出したチカをシュウは絵に描いたような笑顔で出迎える。
「ひいぃっ⁉︎」
ヴォルクルスも裸足で逃げ出す負のオーラ。チカは死を覚悟した。
「あのな、ちょっと遅くなったくらいでそんな目くじら立てるなよ」
そんなシュウの不機嫌をどう捉えたのかマサキがやれやれと肩をすくめてみせる。
「いや、違う。マサキさんそれ違う。お願い気づいて、あたくしまだ来世に行きたくないっ⁉︎」
全身全霊をかけて泣き叫ぶチカを無視したままマサキは大きく深呼吸をすると正面からシュウを見据えて言った。
「お前がチカを甘やかさねえっていうなら、おれがときどきチカを甘やかすから文句言うなよ?」
「え?」
「それはどういう意味ですか?」
「言葉通りの意味だよ。使い魔って主人の無意識を切り取ってんだろ。シロとクロがそうなんだから、チカも似たようなもんなんだろ?」
「そうですね」
「じゃあ、チカはお前の端切れみたいなもんじゃねえか。それを乱暴に扱うのってお前がお前をないがしろにするってことだろ。おれはいやだぞ。だから、お前がチカを無下に扱うなら、その分、おれが大事にするからな」
「マサキさんっ‼」
号泣するチカをもう一度ジャケットに突っ込みマサキはシュウの返答を待つ。
そう、今わかった。マサキはいやだったのだ。無慈悲に扱われるチカとそれを当然とするシュウを見るのが。
「嫌なんだよそういうの。使い捨ての道具みたいなやり方。お前にはお前の考え方があるのはわかってるけどよ」
「どうして?」
「どうしてって、さっきも言っただろ。お前がお前をないがしろにしてるみたいでいやだって。何か悲しいだろ。それが使い魔でも何があっても死なない奴でも。あれ聞いてて結構きついんだからな」
「……あなたにそのような顔をさせるのであれば、使い魔の運用について今一度考え直す必要がありそうですね」
口を尖らせジト目でシュウを見上げてくるマサキにシュウは素直に降参の白旗を上げる。
「嘘じゃないよな?」
「私は嘘は言いません。あなただってそれは知っているでしょう?」
いつの間に正面に立っていたのだろう。見上げればほんの少し眉を寄せ困ったように笑うシュウがそこにいた。
「それは知ってる。じゃあ、もうちょっとチカの扱いを考えてやれよ。いっぱい不満ためてたぞ」
「……そうですか。では、あとでしっかり話し合うとしましょう」
マサキのジャケットの中で震え上がるチカにシュウの視線が無数の針となって突き刺さる。もはやハリセンボン状態である。
「今日はあちこち移動したようですし、少し休んでいなさい。お茶を用意しますから。以前、あなたが教えてくれた洋菓子店のクッキーが一缶残っていたのですよ」
「へえ、あれ残ってたのか。消費期限とか大丈夫か?」
「きちんと密封されていますから問題ありませんよ」
そういってキッチンに消えるシュウを見送るとマサキはジャケットに押し込んでいたチカを解放する。
「あたくし話し合いのついでにちょっと来世が見えそうなんですけど、念のためマサキさんも同席してくれません?」
「そこまで気をもむことか。話し合いって言ってるじゃねえか」
「ご主人様の話し合いが普通の話し合いですむはずないでしょうが!」
これまたえらい言われようである。
「なあ、一度聞いてみたかったんだけどよ」
「はい、何ですか?」
「お前さ、死なないように作られたことどう思ってるんだ?」
無遠慮きわまりない質問だった。けれどマサキは聞かずにはいられなかった。もしかしたらそれはチカだけではなくあの男の自覚なき苦痛に繋がっているかもしれないのだ。
「まあ、そうですね。考えたこともありませんでしたけど、『何があろうとあたくしがあたくしのままでいられる』ことには感謝していますよ」
自分が自分ではなくなるその恐怖をあの男は誰より理解している。そう考えれば目の前にいるチカの在り方は「一片の慈悲を含んだ無慈悲」なのかもしれない。
悪人ではないが善人でもない男はどんな物事においてもひねくれているらしい。
