あなたに贈る

短編 List-1
短編 List-1

 そこは山裾にある小さな洋館だった。主人は七〇過ぎの老夫婦。曾祖父の代から造園業を営んでいて先日息子夫婦から孫夫婦に代替わりしたと聞いた。
 家業とは別にもともと庭造りが趣味だった老夫婦の館には四つの庭があった。まず館の正面。二〇〇種類を超えるバラが一年を通して咲き誇るバラ園はそのかぐわしい芳香と絢爛さでもって客人を歓待し、同時にその圧倒的な存在感で自らの繁栄を客人たちの脳裏に焼き付けた。バラ園の主人は園の中央に建てられた噴水に立つ水の精霊王ガッドの石像であった。
 館の東西には生け垣で作られた迷路が。これは子どもたちの遊び場にと作られたもので、迷路の入り口には大地の精霊王ザムージュの魔方陣を描いたタイルが敷かれていた。
 最後、館の裏手。山から館へと吹き下ろす風の入り口に当たる場所には大きな池と小さな四阿あずまやが。池の主は枯れることを知らぬ紫の睡蓮たちで四阿にたどり着くためには二つの石橋を経て二つの小島を越え、最後に小島と四阿を繋ぐ朱色の階段を上る必要があった。
 そうして二つの橋と一つの階段を越えた先に彼はいた。四阿のさらに向こう側にある風の精霊王を祀った祠を背に、ただ静かに寝息を立てて。
「噂には聞いていたのですが、まさか本当に迷子だったとは思いませんでした」
 その日、懐かしさから館を訪れたシュウに館の主——モリス夫妻は困ったように笑って言ったものだ。
 その丁寧な仕事ぶりからモリス夫妻は多くの王侯貴族から所有する庭園の管理を任されていた。そして、それは大公家も例外ではなく、片手の指にも満たぬ回数であったがシュウは両親に連れられてこの庭を訪れたことがあったのだ。
「シュウ様、四阿へ行くのはもう少しお待ちいただけませんか?」
 何とはなしに裏庭へ向かおうとしたシュウを呼び止めたのは夫人であった。聞けば先客がいるという。訪問客の多くは正面のバラ園か左右の迷路に興味を引かれるものだが、まためずらしい訪問客もいたものだと耳を傾けていればさもありなん。
「それなら仕方ありませんね。待ちましょう。話を聞くかぎりあと一時間もすれば目を覚ますでしょうから」
 そして、アフタヌーンティーの準備を終えた頃に戻ってきた彼と目があった瞬間、もともと大きめな目を目一杯見開いて彼は跳び上がった。キュウリか蛇のおもちゃに驚いて跳び上がる猫とはおそらくああいう感じなのだろう。
「何でお前がここにいるんだよっ⁉︎」
「私からすれば、むしろどうしてあなたがここにいるのか問いただしたいのですが」
 【方向音痴の神様】——マサキ・アンドー。その権能は本日も絶好調であった。

「なあ。また、ここに来ていいか?」
 どうやって迷い込んできたのか新緑の髪の青年はモリス夫妻にそう頼み込んできた。青年の素性はその名と山裾に立つ白銀の戦神を一瞥するだけで事足りた。夫妻は快諾した。本人にどの程度自覚があったかは不明だがずいぶんと顔色が悪かったそうだ。
「ここは風が優しいんだよ」
 館を訪れるたびに青年は四阿でひたすらに眠った。風の精霊王を祀る祠を背にする格好で。縁深き精霊の加護によるものか最近は目に見えて顔色もよくなっていて夫婦そろって胸をなで下ろしていたのだ。
「今に始まった話ではありませんが、鈍感も過ぎると一種の難病ですね」
 思わぬ邂逅からしばらく。シュウは事の次第を確認すべくモニターの向こう側に問いかける。
「メンタルケアの頻度を見直すべきではありませんか? ラ・ギアス人と地上人とでは精神面の成熟に大きな差があることは理解しているでしょう」
「それは十分理解してるわよ。でもね、マサキよ。マサキなのよ。言って素直に聞くと思う?」
 机に突っ伏してうめくセニアの言い分はもっともだった。
「聞かないでしょうね。それこそ強制魔術ゲアスでもかけて強制連行するしかないでしょう。今度は何があったのですか」
「……仇討ちよ。戦後処理の関係でこの間バゴニアに行ったんだけどそうしたら街中で襲われたのよ。相手は元バゴニア兵だったんだけどシュメル師範の弟子だったの」
 剣聖シュメル・ヒュール。不易久遠流の達人でありマサキの養父である剣皇ゼオルートの良きライバルであったが、ゼツ・ラアス・ブラギオの手によって悲惨な最期を遂げた。彼の脳は死後、魔装機ガッツォーの制御装置として機体に組み込まれガッツォーの消滅とともに灰燼へ帰した。
「なるほど。逆恨みですか」
「端的にいえばそうなんだけど、それだけじゃ終わらなかったのよ」
 戦後、ゼツの暴走によりバゴニアが被ったダメージは甚大だった。国力も大きく削られ特に軍部に対する非難はすさまじかった。ゼツの人体実験のためにさらわれた自国民が二桁どころか三桁代に達していたからだ。
「あんたたちがもっと早く駆けつけていたら、もっと上手く立ち回っていたら師範は死なずにすんだ。ゼツの暴走だって止められたはずだ。あんたたちさえ、あんたたちさえ! 何が魔装機神隊だ。この役立たずの疫病神どもっ‼」
 日中の往来で石を打たれたのだ。
 彼らの指摘は事実であったが同時にその主張は明らかな逆恨みであった。ゼツを国防責任者に任命したのはバゴニア議会でありその横暴を諾了したのは軍だ。
「馬鹿なことをしましたね」
「ええ、馬鹿なことをしたのよ」
 仇討ちを掲げて襲ってきたのは十数人。護身用のナイフや銃器はもちろん携帯してたがそのいずれもが性能を十分に発揮することなく出番を終えた。
 襲撃者の悪意が牙を剥く前にその後頭部を鉢植えが直撃したからだ。犯人は恰幅の良い中年女性であった。その背に隠れた少女の目には明らかな憎悪が点っていた。
「あたしたちの村がゼツの部隊に襲われたとき、助けにも来なかったのはあんたら軍だろうが。自分の国の人間を見捨てて! あたしの息子も旦那もみんなゼツの部隊が連れていった。助けてくれたのはそこにいる魔装機神隊の人たちだ。何が疫病神だ。本当の疫病神はお前たちだ!」
 ゼツの非道な人体実験による犠牲者は枚挙にいとまがなかった。軍関係者はもちろん民間人もである。しかも、犠牲者の多くは死者であり生存者は一握り程度だった。また、生き残ったとしても何かしらの重大な障害を負った者がほとんどだったのだ。
 投じられた悪意の一石が怒りを点した先はどちらであっただろうか。
「まだ日中で良かったですね」
「ええ、夜間だったら最悪だったわ」
 元兵士たちの言動は少なくない暴徒を昼の街中に呼び寄せた。私情のために国を巻き込んだゼツの悪逆に平静でいられる人間のほうが希有であったのだ。そうして規模こそ小さかったものの暴動は起きた。
「早い段階で憲兵が駆けつけてくれたんだけど彼らも軍所属でしょう?」
「火に油を注いだわけですか」
「放水と催涙弾の使用許可が下りる前に片付いたのが幸いだったわ」
 当時現場にいたのはマサキ、プレシア、セニア、ジノ、ロザリー。セニアを除けばいずれも自身の身を守る術を身につけていた。
「催涙スプレー相当の咒符とペンライト兼用のスタンガンがあるからあたしだって自分の身くらい守れるわよ」
「……あの出力で正当防衛を主張するのはいささか無理があると思うのですが」
「うるさいわね。そこはスルーしなさいよ!」
 一悶着あったものの最終的には無事暴動から脱し当初の予定通り任務をこなすことができた。だが、マサキたち兄妹の顔色は優れなかった。当然だ。以前からシュメルと面識のあったプレシアはまだ幼かったこともあって相当なショックを受けていた。
 魔装機神隊における立ち位置的に表立った批判や悪感情の矢面に立つのはマサキであることが多かったが、今回はそこにプレシアも加わったのだ。
「もう見ていられなかったわ」
 プレシアにとってシュメルは尊敬する父の良きライバルであり幼い頃からよく知る「おじさん」だった。なのに助けられなかったのだ。しかも、死後、その脳は制御装置の一部としてガッツォーに組み込まれ弔うことすらできずガッツォーもろとも破壊するしかなかった。 
「まあ、さすがにマサキはすぐ立ち直ったけどプレシアがまだ少し引きずっているのよ」
「立ち直った?」
「……当の本人がそう思っているんだからうかつにつつくわけにもいかないでしょう。タイミングを誤ったら余計に悪化するだけなんだから」
 それに顔色が良くなってきているのは事実なのだ。どうしてだかは知らないが。
「なるほど。状況は理解しました。あとはこちらで対応します」
 返事を待つことなくシュウはその場でモニターを切った。同時にグランゾンのシステムを落とす。状況が改善されつつあるとはいえ思ったより事態は深刻なようであった。
 痛みは身を守るためのシグナルだ。敏感になり過ぎると逆に心身を損なうが鈍感であり過ぎても心身を損なう。むしろ自覚できていない分、余計に質が悪い。
「やせ我慢も大概になさい」
 彼はまだ四阿にいるだろう。風集う庭の最奥で精霊たちに見守られ、夢すら見ずに。

 まるで泥のようにまとわりつく陰気。否、もはや瘴気といっても差し支えないだろう。よくもこれを引きずったまま平然としていられるものだ。
 この「庭」は一種の吹きだまりだ。個々の力は弱いものの精霊たちが集いやすい。だからだろうか。マサキが自覚なくここを「止まり木」に選んだのは。
 山から吹き下ろす清涼な風は地上にたまった陰気を散らし、常に館を包み込んでいる。夫妻の「庭」は一種の結界としても作用していたのである。
 橋を渡り小島を越え、朱色の階段を上る。終点は風の精霊王を祀る祠を背にした四阿。
「確かに顔色はよくなりましたが、それでもあと何回かはここに通う必要があるでしょうね」
 そっと頬に触れて見ても起きる気配はない。ここに悪意ある第三者がいれば即座に首をへし折られているだろう。無防備にもほどがある。あるいは信頼の証だろうか。できれば後者であって欲しいものだ。
「このまま二、三日ぐーすか寝かせてれば治るんじゃないですか。風邪引きそうですけど」
 いつの間にか肩に乗っていたチカが無責任に言い放つ。
「あなたは少し黙っていなさい」
 即座にポケットへ突っ込む。何やら断末魔らしきものが聞こえた気がするが無視しておく。どうせ明日になれば勝手に復活しているのだ。シュウの使い魔は無駄に頑強であった。
 それにしてもまるで小さな子どものようだ。この世の悪意など何もしらぬ風にただひたすらに眠っている。風が吹く。四阿を包むように木の葉が舞い、池を飾る紫の睡蓮がわずかに揺れる。
 ここは「世界」の外側だ。誰の悪意も好意も届かない。「世界」の外側にある「止まり木」
「お茶の用意でもしておきましょうか」
 聞けばここに来てからすでに一時間以上経過しているという。ならば彼が目を覚ますまであと三〇分もないだろう。
「本当にあなたときたら。いい加減、休むということを覚えなさい」
 危なっかしくて見ていられない。
 強い心を得たからといって無敵になるわけではない。傷つけられれば痛みは生じるし傷跡も残る。痛みは痛みだ。自分自身を守るためには時に立ち止まり、悔しくとも背を向けるべきときはある。逃げることは恥ではない。それは自衛のための一つの手段だ。ただがむしゃらに突き進むだけではいつか必ずおのれを損なう。決してくじけぬ常勝無敗の英雄などこの世に一握りも存在しないのだ。
「あなたの言う通りですよ、セニア」
 本当に何度言い含めれば理解してくれるのだろう。否、理解はしているはずなのだ。だが、彼の気性がそれを否とする。昔に比べればずいぶんとましになったとはいえ本当に世話の焼ける。
 ふと風に揺れる睡蓮が目に入る。紫色の睡蓮。その花言葉から献上品として目にしたこともある。
 過酷な日々を送る彼のかたわらに少しでも心安まるものを。
「そうですね、ささやかではありますが」

 それは両手のひらで包んでしまえるほどの小さなブーケだった。
「あなた宛だそうですよ」
 そう言って相変わらずいけすかない男から手渡された白いブーケ。送り主については特に尋ねなかった。
 ガザニア、カスミソウ、そして一本だけ添えられた白いバラ。どこから見ても真っ白だ。控えめで華々しさとは縁遠い。けれど絢爛たる花々を仰々しく献上されるよりずっといい。
「ねえ、それどうしたの?」
「帰るときに貰った」
 マサキが通っていた先がモリス夫妻の館と知ってセニアはマサキの復調が予想よりずっと早かった理由を理解した。なるほど。あの場所ならば目に見えぬ傷も癒えやすかろう。彼の夫妻は王宮の庭園も手がけていたのだ。その「効能」は体験ずみである。だが、今問題にしているのはそこではない。
 セニアが注視したのは送り主不明の白く小さなブーケだ。否、送り主など問うまでもない。
「とことんむかつくわね、あいつ」
 癪に障ったのはその花言葉。一つの花にはだいたい複数の意味が込められているが今回のブーケに関しては推測するのも馬鹿らしい。
 ガザニアが意味するところは「あなたを誇りに思う」、カスミソウは「無邪気」、そして最後の白バラは。
「私はあなたにふさわしい」
 ドヤ顔で選んでんじゃないわよ。セニアは手にしていたボールペンを勢いでへし折る。今すぐプレシアに「通報」してやろうか。そしてそのまま真正面に必殺の一撃でも食らえばいい。
「……まあ、でも、ここで黒バラを選ばなかっただけまだましよね」
 黒バラが意味するのは「永遠の愛」「決して滅びることのない愛」そして——「貴方はあくまで私のもの」
 かろうじて黒ではなく白を選ぶだけの良心があったと安堵すべきか。
「いや、アウトよ。フツーにアウトよ」
 傲岸不遜と慇懃無礼の化合物が服を着て歩いているような男だ。白でも黒でも物騒であることに変わりない。とりあえず「通報」はしておこう。
 そして後日、妹の勧めでお返しに紫陽花のブーケを送り主に渡すようマサキがシュウに頼み込んでいたと聞いたセニアが腹を抱えて爆笑したのは言うまでもない。妹君は明敏であった。
 
 紫陽花の花言葉
 「移り気」「冷淡」「辛抱強さ」「冷酷」「無情」、そして「高慢」

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