逆さまの木

短編 List-2
短編 List-2

 バオバブ。別名「逆さまの木」は非常に太い幹を持ち記録された最大の円周は四七メートルにも達する。寿命においては二〇〇〇年にも及びアフリカなどに存在するバオバブは干ばつに耐えられるよう一〇万リットルもの水を蓄えられるようになっている。バオバブが葉っぱや枝を極限まで少なくしているのは水分を蒸発しやすい部分を減らすためだ。
「よく調べましたね」
「仕方ねえだろ。プレシアが知りたがってんだから」
 『答え合わせ』にやってきたマサキにシュウは素直に感心した。魔装機神隊の任務の合間を縫ってラ・ギアスを抜け出し、何とか自力で調べたというのだから実に涙ぐましい努力である。
「まあ、正直、おれも名前くらいしか知らなかったけどよ」
 何かの拍子に地上の話をねだられ、その中でバオバブに触れる機会があったらしい。ラ・ギアスには存在しない「逆さまの木」は妹君の好奇心を大いに刺激したのだった。
「それで、実際に調べてみてどうでした?」
「何て言うかでたらめな木もあるもんだなって、思った。だってよ、幹は四〇メートル超えるし寿命は二〇〇〇年で水なんて一〇万リットルためられるんだぜ? だからゾウがバオバブの幹壊して中の水飲むこともあるんだってよ。あいつら何でわかんだろうな?」
「そうですね。バオバブは花粉媒介者との相利関係も特徴的ですから」
「相利関係?」
 耳慣れない言葉だ。
「異なった種類の生物が互いに何らかの利益を交換しあう共生の一種です」
 バオバブは夜間に花を咲かせ、花は蜜を求める動物たちを引き寄せる。だが、植物の多くが昆虫や鳥などに花粉を運んでもらうのに対し、バオバブの場合はそれらに加えてキツネザルやコウモリのような夜行性の哺乳類も花粉の運び手に含まれているのだ。
「見た目だけじゃなくて何から何まで変わってんな、バオバブ」
「最近になってようやく起源も判明したからね」
「わかってなかったのか?」
「アフリカを起源とする説やオーストラリアを起源とする説はあったのですが、科学的根拠が曖昧だったのですよ」
 現在、バオバブには八種が存在し、うち六種類がマダガスカル、一種がアフリカ、もう一種がオーストラリアで確認されている。この件について中国の研究者たちが八種類全てのゲノムを解析した結果、バオバブの祖先が二一〇〇万年前にマダガスカルで誕生したことが判明したのである。
「二一〇〇万年……、マジか!」
「ええ。そして今から一二〇〇万年前にバオバブの種がインド洋の海流に乗って一種類がアフリカに、もう一種類がオーストラリアに到達し、そこから独自の姿に進化したことがわかったのですよ」
「……よく無事に流れ着いたな、その種。だってオーストラリアだろ?」
 本当にどうやって無事に流れ着いたのか。
「そこはもう一種の奇跡ですね」
「なあ、今はどうなってんだ?」
「何がです?」
「また種類とか増えてんのか?」
「残念ながらむしろ絶滅の危機に瀕していますね」
 かつてマダガスカルには巨大キツネザルが存在し中にはゴリラほどの大きさに達したものもいた。彼らはバオバブの種子を散布する重要な役割を果たしていたが人間によって狩り尽くされ、バオバブが含まれる森林も開発によって多くが失われてしまった。
 それだけでなくマダガスカルのバオバブの中には遺伝的多様性が低く、気候変動に脆弱な種があることも判明している。
「そのため数十年後にはマダガスカルのバオバブのいくつかは絶滅する可能性があると研究者たちから指摘されています」
「……数十年後ってすぐ目の前じゃねえか」
 差し迫った現実にわずかながら憂いの影が差す。
「以前にも言いましたが、地上の問題は地上の人間が解決すべきことです。ラ・ギアスの人間となったあなたが気に病むことではありませんよ」
「……」
「思い悩むために調べたわけではないでしょう。さあ、せっかく調べてきたのですから早くまとめてしまいましょう。プレシアが待っていますよ」
「ああ、悪ぃ。そうだな……」
 集めた情報を手早くまとめ、それをシュウがチェックする。兄の沽券に関わる誤字脱字も当然見逃さない。
「提出が必要な研究レポートではありませんから中身としてはこの程度で十分でしょう」
 短い沈黙の末に出た合格判定にマサキはほっと胸をなで下ろす。
「悪かったな、手伝ってもらって」
「この程度のことを手伝うとは言いませんよ。ほとんどあなたが調べたことでしょう」
「まあ、それはそうなんだけど大ざっぱなとこだけだからよ」
 結局、細かい部分は目の前の男に聞く羽目になってしまった。いつものことではあるのだが。
「今度、礼はする」
「それほどのことではありませんよ」
「たまには礼くらいさせろ」
 さすがにちょっと悔しくなってきた。
 マサキの心情を察してかシュウはくっくと喉を鳴らして言った。
「そうですね。でしたら、以前、あなたが持ってきてくれたスコーンとクッキーをお願いしましょうか」
「あれでいいのか?」
 プレシアと一緒に作ったスコーンとクッキーの詰め合わせ。またずいぶんと安上がりな品を要求してくるものだ。
「じゃあ、特別にお前が好きそうな紅茶もつけてやるよ」
 確かあの時も老舗ブランドの限定品を持って行ったのだ。
「期待していますよ」
 上機嫌で去って行く背中を見送り、数十分前までにらみあっていたレポートを再び手に取る。
 雑学程度とはいえ知識の吸収に対して積極性が見られるようになってきたのは喜ばしいことだ。自身の興味が及ぶ範囲に限定されるものの彼の学習能力は称賛に値する。
「できれば魔術に関してももう少し興味を持って欲しいのですが」
 正しく誘導できれば文に対してもそれなりの才能を発揮するだろう。当人に自覚がないだけでその気になればおよそだいたいのことはそつなくこなして見せるに違いない。地頭はいいのだ。でなければどうして戦闘の最前線に立ちながら同時に部隊の指揮など取れたものか。
 シュウとしてはその多才を埋もれさせていることが惜しくて仕方がなかった。
「だから、それは無理ゲーですってば」
 窓際でまどろんでいたはずのチカが飛んで来て主人に現実を突きつける。
「下品な言葉づかいはやめなさい。前から言っているはずですよ」
「だって、本当に無理ゲーじゃないですか。マサキさんですよ? 絶対面倒くさがって逃げ出しますって」
「そこが頭の痛いところです」
「ですから、もう潔く諦めましょうよ。繰り返しますけど、マサキさんなんですよ。マサキさん! 無理に決まってるじゃないですかっ‼」
 自らの使い魔の説得にしかしシュウは頷かない。やはりこのまま埋もれさせるのは惜しい。
「知識欲は出てきたのですから、十分、望みはあります」
 基本ステータスは十分なのだ。気づかれないように話題なり課題なりを割り振っていけばきっと自覚なく吸収していってくれるだろう。問題があるとすれば魔術に対する興味をどうやって持たせるか、だ。
「彼の場合は自身に対してよりも周囲の人間に取って利があることを説いたほうが早いかも知れませんね」
 気づけば手にしていたレポートは今後の教育方針で半ば上書きされていた。
「……だめだこの男。無理ゲーに対する対抗心で育成ゲーのスイッチが入りやがりましたわよ」
 チカは冷静だった。主人はこと学術に関する後進の育成にとても熱心だったのだ。命がけのスパルタを強いるくらいには。
「はあ、あたくしもう知りませんからね」
 あの面倒くさがりの迷子と主人の戦いはたった今始まったばかりだが、果たしてこの戦いに決着は着くのだろうか。脳裏に未来予想図を描くのも面倒になった賢明なローシェンはそうそうにその場から離脱することにしたのだった。

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