七月七日は索餅です。

短編 List-3
短編 List-3

 索餅さくべい。奈良時代に中国から伝わったとされる伝統的な唐菓子。そうめんの先祖とされ、小麦粉と米粉を練り縄のように細長くねじって作る揚げ菓子で「索麺さくめん」とも呼ばれる。
「これがそうめんの先祖? そうめんの先祖ってお菓子なのか?」
 ゼオルート邸のリビングでマサキとミオはテーブルの皿に置かれたとある物体に首を傾げていた。
「そうみたいだね。詳しいことはヤンロンに聞いてみたらいいじゃん。これ作ったのヤンロンなんでしょ?」
「馬鹿言うな。ヤンロンに聞いて無事ですむわけねえだろ。ヤンロンだぞ。お前が聞いてこいよ!」
「え。やだ、冗談。あたしいやだよ。だってヤンロンだよっ‼」
「二人とも自分がどれだけ失礼なことを言ってるか自覚はあるの? もう帰ってきてるのよ——ヤンロン」
「ああ。ずいぶんな言いようだな、お前たち」
 そして、背後に降臨する怒れる炎の体育教師。
「ぎゃああぁぁ——っ⁉︎」
 テュッティの真摯な取りなしの末、お説教は奇跡の三時間で幕引きとなった。
 必要な材料は薄力粉に卵、牛乳、油、砂糖。もともと奈良時代に中国から伝わってきた唐菓子だ。レシピもかんたんで気をつけるとすれば油の扱いくらいだろう。
 テュッティ経由でヤンロンに聞いたレシピを手にマサキが向かった先は商店街の食料雑貨品店ではなくバルディア州の某都市にあるスーパーだった。
「お菓子作りとかいきなりどうしたんだにゃ? しかもわざわざバルディアまで出て。マサキ、変なんだにゃ」
「七夕よ、シロ」
 黙秘権を行使するマサキに代わって答えたのはクロだ。
「そうか。七夕なんだにゃ。会いに行くんだにゃ!」
 そこで具体的な名前を出さない程度の理性はあったようだが「会いに行く」と口に出した時点でマサキにとっては立派なスリーアウト発言であった。
「お前もう、いっぺん黙れっ‼」
 買い物の紙袋を左手で抱えたまま、右手でシロの首根っこを掴むなり勢いよく放り投げる。見事な放物線を描いたシロはそのまま地面に叩きつけられる——かと思いきや、くるんと空中で一回転して見事、着地して見せた。さすが魔法生物。否、猫。
「動物虐待にゃーっ⁉︎」
「大人げにゃいわね」
「うるせぇっ‼」
 去年は本当に散々だったのだ。
 何の悪夢か複数の国家間で紛争と内紛が連鎖的に発生し、その調停と事後処理にほぼ一年駆り出されたのである。結果、バレンタインもホワイトデーもクリスマスも、もちろん正月もすべて吹き飛んだ。当然、そこには七夕も含まれていた。
「その時期はちょうど学会の都合で地上に出ていますから、良ければあなたも来ませんか?」
 ちょうど七夕のイベントもあるから案内すると言われていたのだ。しかし、結果はあの惨状。
「任務ならばそちらを優先するのは当然のことです。それより、それだけ立てつづけに任務をこなして……。きちんと休養は取ったのですか? あなたの場合、体調不良はそのまま死に直結するのですよ?」
 ようやく時間を作って顔を見せに行けばこんこんと説教される始末。まったく理不尽としか言いようのない仕打ちである。
「でも、今年は頑張ったんだにゃ」
「そうね。頑張ったにゃ」
 今年に入ってから約半年間。獅子奮迅の八面六臂で任務をこなしつづけたマサキが一週間の特別休暇を勝ち取ったのはつい先日のことだ。
 使い魔たちの尽力もあり片道三〇分の距離を何とか一時間でたどりついたそこは郊外にぽつんと建つ一軒家だった。周りに家々はなく家の裏手には小さな雑木林があった。
 ここにシュウがいるという保証はない。ただ、所用があってバルディア州のセーフハウスにしばらく滞在するとは聞いていた。だから、これは一種の賭けだ。そして、今までマサキがこの賭けに負けたことは一度もなかった。
「あーらら。マサキさんじゃないですか。どうしたんですか、紙袋なんか持って!」
 リビングの窓際で日なたぼっこをしていたチカが突然の来客に羽を広げて大声を上げる。
「シュウの奴、いるのか?」
「注文していた技術書を受け取りに先程外出されました。一時間くらいはかかるんじゃないですか?」
「なら、ちょうどいいな。キッチン借りるぜ!」
 そうして半ば駆け足でキッチンへ。呼び止める間もなかった。
「……何ですか、あれ?」
「七夕なんだにゃ」
「七夕にゃのね」
「……あー、七夕ですか」
 去年は散々でしたものね。とチカはおのれの記憶を振り返る。本当に散々な一年だった。何せマサキの予定が狂うということはそれに合わせた主人の予定もまた狂うということであったからだ。
 当時、予定をことごとく覆された主人の怒りは凄まじかった。あの鉄の能面と破壊神すら射殺す絶対零度の視線は確実に人の寿命を削り取る。チカは恐怖で涙しか出なかった。
 それが今年はどうだ。聞けばあの「迷子」はこの日のために半年かけて一週間の特別休暇をもぎ取ったというではないか。これを主人が聞けば間違いなく無音の喝采が万雷のごとく沸き起こるだろう。
「今年はむしろ天の川がぬるま湯になるんじゃないですか?」
「沸騰しないだけマシなんだにゃ」
「ほんと迷惑にゃんだから」
 二匹と一羽は互いに顔を見合わせ呆れ返る。本当に厄介な主人を持つと使い魔は苦労する。
「これ無理に薄力粉にしなくてもホットケーキミックスで代用できたんじゃないですか?」
 できあがった索餅の品評会は微妙な結果に終わり、マサキは頭を抱えた。決してまずいわけではない。だが、果たしてこれをあの男の舌が受け入れるだろうか。
「まあ、わざわざ七夕のためにマサキさんが作ったんですから、たとえ炭化したトーストだってご主人様なら真顔で食べきりますよ」
「お前は自分の主人を何だと思ってんだ?」
「ご主人様ですね。それよりどうします、これ?」
 試作品はもう食べきってしまった。材料自体は残っているが同時に不安も残っている。
「……ホットケーキミックス、買うか」
「別に今のままでもいいでしょうに」
「いいわけねえだろ。どうせならうまいもん食いたいし」
「でしたら笹団子がありますよ」
「そうかよ。笹だ……——‼」
 思わず飛び退く。振り返ればそこにはエリアル王国名物の笹団子を抱えたシュウが立っていた。 
「え、ちょ……、おま、いつの間にっ⁉︎」
「たった今ですね。騒がしいので何事かと思いましたが。それが索餅ですか?」
「そう、だよ。でも、お前がいつも食ってるもんに比べたらあんまり……、うまく、ねえぞ」
「そもそも伝来した時代が時代でしょう。現代の食品と比べるほうが酷ですよ。それに、あなたが作ってくれたのでしょう?」
 真顔だった。真正面からそれを見てしまったマサキの口許がわずかに引きつる。二匹と一羽はすでに半目だ。この男。
「お前……、何でそんな機嫌がいいんだよ」
 今に始まったことではない。今に始まったことではないがどうしてこうもあからさまなのだ。
「ものの見事なポーカーフェイスにくっきりはっきり喜怒哀楽を見いだせてるマサキさんも大概だと思いますけどねえ」
 使い魔代表の指摘は辛辣であったがそれゆえにあっさり無視された。
「ところでもう残ってはいないのですか?」
「ん? いや、まだ二つ残ってるぜ。持ってきてやるから座って待ってろよ」
「わかりました」
 そうして半ば逃げるようにキッチンへ向かうマサキの背を見送るその表情かおは。
「……あたくし、今ものすごいものを見た気がするんですけど。幻覚ですかね?」
「気のせいじゃにゃいにゃ。現実は直視するんだにゃ」
「ある意味ホラーにゃ。諦めるにゃ」
「デスヨネーっ‼」
 少々物騒な織り姫と彦星の逢瀬は索餅の「橋」によって無事、叶ったようである。

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