嫌悪
自身の言葉でありながらマサキは吐き気をこらえられなかった。今何と口にしたのだ自分は。まるで当たり前のことのように「慣れた」などと、たった今この手が奪ったものの重さも忘れて!
何も魔装機に乗ることだけが戦いではない。数をこなしていけば魔装機が使えない場面に出くわすことも多々ある。そうなれば白兵戦は必至。相手の編成次第では魔術を絡めた戦いも必要になってくる。
魔術はからきしであったが天賦の才を持って生まれたマサキにとって白兵戦は一つの大舞台であったに違いない。
剣があれば剣をなければ奪い、あるいは拳を足を臨機応変に操って敵対する者を斬り捨て砕きへし折り叩きつぶす。聞けば銃器だけでなく重火器についても最低限の訓練は終えているという。命中率もそこそこらしいが本人からすればその強肩を活かした投石のほうが遙かに精度が高いらしい。
マサキがラ・ギアスに召喚されてからすでに数年が経過していた。地上にいた頃は単なるフィクションでしかなかった剣と魔術の世界が今のマサキにとってのリアルだった。だからこそいい加減に「慣れた」と思ってしまったのだとマサキは半ば叫ぶように吐き捨てた。それは嫌悪だった。
目的のために他者の命を奪う。戦士である以上それは避けて通れないことだ。ましてやマサキは魔装機神サイバスターの操者。その手はすでに血にまみれ彼の愛機もまた無色の緋色で染め上げられている。
善性とはある種の病のようだ。我が身を守るために忘却したはずの「罪悪」という扉をその善性ゆえに開け放つ。
泣き疲れたマサキがシュウの膝に倒れ込んでからもう数時間がたつ。起きる気配は一向にない。よほどショックだったのだろう。
先日、任務先で白兵戦になったのだと言っていた。もちろんマサキたちが参加していた部隊の圧勝であったがそこで味方の兵と他愛ない会話をしたときだった。
「まあ、白兵戦にもいい加減慣れたしな。どうってことねえよ」
部隊の中でもっとも敵兵を斬り倒したのはマサキだった。味方の兵士は純粋にマサキの技量を称賛しただけだ。だが、マサキはそこで自身の所業を振り返ってしまった。
いまさらだ。そう、いまさらなのだ。けれどそれは背負うべきものであった。慣れたなどと一言で片付けるべきものではなかったのだ。
「本当にあなたはもう少し悪辣であることを覚えるべきですね」
無理は承知だ。けれどそう思わずにはいられない。このままではそう遠くない未来、マサキは自らの手で自身を壊すだろう。背負うものがあまりにも重すぎる。
「分かち合うにも限度がある。少し忘れなさい。忘却は罪ではない。忘れることはあなた自身を守る術でもあるのですよ」
自分が何をされたのかを知ればマサキは烈火のごとく激怒するだろう。だが、人間が生きていくために忘却は必要だ。忘れることを禁じられた記憶はただそこに存在するだけで心身を蝕む。壊れてしまってからでは遅いのだ。
涙で晴れ上がった頬をなでてから額に触れる。描くのは「刻」を意味する水の紋様。停滞の罪悪を押し流す忘却の咒文。
「まあ、そうはいってもあなたは繰り返すのでしょうね」
その手が奪った命の痛みと恐怖を思い出す一方でおのが背に負った未来の重さに立ち止まりながら、けれど最後には歯を食いしばって再び歩き出すのだ。血を吐いても這いつくばってでも。
「おやすみなさい。誰もあなたを責めはしませんよ。私がさせません」
マサキは確かにがさつではあるがその側面はひどく神経質で潔癖だ。でなければどうしてここまでむせび泣く。
果てしない重責をともに背負う仲間はいてもこの恐怖を分かち合える人間はいない。なぜならマサキの恐怖はマサキにしかわからないからだ。何よりこの恐怖を他者にさらけ出すことをマサキはよしとしないだろう。
「ご主人様も面倒くさい性格してますけどマサキさんも大概面倒くさいですよね」
命知らずなローシェンは主人を前に堂々と言ってのける。
「だってそうでしょう。怖いなら怖いって泣けばいいじゃないですか。忘れず全部背負おうとするから怖くなるんじゃないですか。ご主人様だって言っていたでしょう。ちょっとくらい忘れたっていいんですよ」
泣いて泣いて泣き疲れてもう起きる気力もないのだろう。チカはマサキの頭に飛び移るとその小さなくちばしで赤く腫れた頬を軽くつつく。
「チカ」
「悔しいじゃないですか。魔装機神隊のみなさんには言えなくてもあたくしたちになら言えることだってあったんですよ。それなのにもう全然気づいてくれないんですから!」
よほど腹に据えかねていたらしい。興奮するばかりのチカをなだめシュウはマサキを抱き上げてゲストルームへと避難させる。
「そうですね。チカの言う通りあなたにはもう少しだけ周りを見る癖をつけてほしいですね」
どうか気づいてほしい。その手を取りたいと願う人間はマサキが思うよりずっとずっと多いのだと。
「明日はあなたの好きなコブガチョウの包み焼きとほうれん草のソテーを作りましょうか」
いっそ気分転換に地上へ出てみる手もある。職権濫用と文句を言われたらそのままグランゾンに担ぎ込んでしまおう。
「だから、おやすみなさい。良い夢を」
やがてまた立ちはだかるであろう恐怖にくじけることがないように、一時のけれど確かな幸いをあなたに。
