2025/06/29 SS-Morgue Tour

SS_List1
SS_List1日記

「はぁ⁉︎ 遺体安置所観光だぁ? 頭イカれてんのかっ‼」
 当時は彼のルーブル美術館よりも人気の観光スポットであったと告げれば一般的な倫理観に従順なマサキは辛辣に吐き捨てる。当然だ。
「観光名所となったのは結果的にであって、本来の目的は別にあったのですよ?」
 暇をつぶしに来たから暇をつぶせそうな話をしろ。それはもう横暴な理由でシュウのもとにやってきたマサキは、現在、サカバンバスピスの抱き枕に引っ付いてカーペットの上に転がっている。抱き枕は連日の任務で疲労していたマサキの緊張をほぐすために以前シュウが購入したものだ。
「何だよ、本来の目的って」
「身元確認です」
 セーヌ川から引き揚げられた水死体や路地裏で見つかった遺体はその状況から最後まで身元が特定されないことが少なくなった。当時は世間に知らせたり、近親者に連絡したりする体制が整っていなかったため、市はどのようにして遺体と遺族を結びつけるかで頭を悩ませていたのだ。
 そして一八〇四年、警視庁の建物に初めて遺体安置所が設置された。もちろん観光施設としてではない。遺体の身元を特定してもらうための施設としてだ。
「何だ。まともな理由じゃねえか。それがどうして観光名所になんだよ」
「都市計画の余波と言えばいいでしょうか」
「都市計画? 再開発とかそんなやつか?」
 一八六四年。遺体安置所は警視庁からシテ島にあるノートルダム大聖堂の裏手へと移転した。多くの人々が行き交う場所で正面には高価なガラス張りのウィンドウ。そのガラスに向かって傾いた大理石の台と遺体の上に絶えず水が降り注ぐ光景は役所の施設というよりも展示場のような印象を見る者に強く与えた。
 これはアクセスしやすく、可視性を高めた街づくりというパリ大改造計画の論理が遺体安置所のレイアウトにも反映されたためである。
 それだけではない。報道によって挿絵付きの新聞が出回り、遺体安置所の遺体にまつわる謎が大々的に報じられるようになったのだ。人々はただ遺体を見に来るだけでなく、背景にある物語を追い、結末がどうなったかを知るために遺体安置所を訪れるようになった。
「……胸くそ悪い話だな」
 マサキの機嫌は急降下するばかりだがシュウが口を閉じる気配はない。
 特に人気を集めたのは大衆向けの安い新聞だった。派手な見出しや息をもつかせぬ名推理劇。画家による遺体の挿絵が読者の好奇心を大いにかきたてた。
 人々は第一報から事件を追い始め、遺体安置所に足を運び、その後の裁判にまで駆けつけるようになった。それは「死」の消費であった。現代人が実際に起きた事件をもとにした連続ドラマを娯楽とするように、当時のパリの人々もまた「死」を娯楽として消費していたのである。
「どいつもこいつも正気じゃねえ。どうなってんだよ、頭の中!」
 一九世紀後半には遺体安置所を一日に訪れる人の数はルーブル美術館の来館者数を上回り、エッフェル塔の入場者数の実に四倍にまで達したという。
「一八八〇年代までには世界各地で同様の施設が作られました」
 ニューヨークが大規模な遺体安置所を建設したのを皮切りにサンフランシスコ、ローマ、ベルリンなどの大都市がそれに続いたのだ。
「確かに悪趣味な話ではありますが、専門分野における確かな貢献も果たしていたのですよ?」
「はっ。遺体安置所観光の何が貢献だよ。ふざけたこと言ってんじゃねえぞ」
 証拠があるなら見せて見ろ。そうがなるマサキにシュウはハードカバーサイズのタブレットを取り出してマサキに手渡す。
「パリで法医学と現代的な捜査手法を学んだ検死官たちが、母国で同様の制度を導入した記録です」
 人々が熱心に遺体安置所を観光する裏側で警察も遺体の特定や犯罪現場における手順などを学んでいたのである。
「何事にも良い面と悪い面があります。この遺体安置所についても同じ事。その歴史と事実は認めるべきでしょう」
「……」
 けれど納得しきれないのだろう。マサキは口をへの字に曲げたままサカバンバスピスの抱き枕にヘッドロックをかける。八つ当たりだ。
「納得できないのなら、せめて覚えておきなさい」
 歴史は必ず風化する。そうしてそこに綴られた数多の事実もまた時の砂漠にうもれていくのだ。
「その事実がおのれの無力が、無知が悔しいのであれば。あなたならできるでしょう?」
「お前ほんとムカつくなっ‼」
 全力で投げつけられるサカバンバスピスの抱き枕。しかし、全長一メートル二〇センチはあっさりとかわされてしまう。
「……考えて、は、おいてやる」
 そう言ってそっぽを向くのが精一杯だった。

 すべての始まりとなったパリの遺体安置所は一九〇七年に閉鎖された。現在は人知れず新しい施設が作られ、そこには人々の行列と歓声、熱気はなく。今はただ安らかな静寂だけが満ちている。
 どうか、安らかに。

タイトルとURLをコピーしました