2025/07/02 SS-Black Bird

SS_List1
SS_List1日記

 散歩に出たまま一向に戻る気配のないシュウを無謀にも一人で探しに出たマサキが目的を果たしたのは実に三〇分後のことであった。
「おい、シュウ。お前今までどこに行ってたんだよ。チカが心配してたぞ! ……何だそれ、鴉か?」
 思わず足が止まる。シュウがその片腕にかかえていたのは見覚えのない黒い鳥の軀であったのだ。
「いいえ。この地域にのみ生息する野鳥のようです。少し検索してみましたが特に名前もありませんでした」
 名も知れぬ鳥の軀を腕にかかえ、そう笑った男の口許は確かな嘲笑を象っていた。
「そいつ、墜ちてきたのか?」
「ええ。おそらく大型の猛禽類にでも狙われたのでしょう」
 見ればその片羽は鋭い爪のようなもので切り裂かれていた。
「弔うのか?」
「そうですね。このまま打ち捨てるのは哀れですし、これも何かの縁ですから」
「……なあ、何か変だぞ。お前」
 背筋を這う強烈な違和感。知らず、一歩後ずさる。
「何がです?」
「何がって……、目が」
 そう、目だ。紫水晶アメジストの瞳その奥底——冷たい冷たい諦観の黄昏がまるで何かに呼び起こされたかのように世界へにじみ出ようとしている。これはいつか見た目だ。
「私はあなたがうらやましい。私では叶わなかったことを当然のように叶えたあなたが」
 そうだ。うらやましいと言ったのだ、目の前の男は。自分では叶わなかったことを叶えたマサキが心の底からうらやましい、と。これはあのときと同じ目だ。
「お前、どこ見てんだよ」
「どこ、とは?」
 不思議そうな顔をする。今自分がどんな顔をしているか自覚できていないのか。否、自覚はしているはずだ。ただ、無自覚を装うことで徹底的にそれを否定している。こんなことは目の前の男が立つ「世界」では決してありえないことだから。
「わかった。お前がそうしたいならそうしてろ。それより、早くそいつを埋めてやろうぜ」
 物言わぬ軀を当然のようにシュウの腕から引き取る。
「汚れますよ」
「仏さんに何言ってんだ。罰当たるぞ、てめぇ」
「仏さん、ですか。ただの野鳥ですよ?」
「死んだらみんな仏さんなんだよ。ぐだぐだ言ってねえでさっさと歩け!」
 そういってシュウの後ろにつく。一人で進んでも迷子になるだけだと自覚はあるのだ。
「それにしても」
「それにしても?」
 歩きながらふと思い出したようにマサキが言う。
「鴉もそうだけど真っ昼間に近くで見るときれいなんだな、こいつらの羽」
「濡羽色という言葉があるくらいですからね」
「濡羽色?」
「黒く艷やかな女性の髪の毛を形容する言葉として鴉の羽の色に例えているのですよ。聞いたことはありませんか?」
「何か聞いたことがあるようなないような……。とりあえず、きれいな黒だってことはわかった」
 地上から空を見上げるしかない人間には確認する術もないが、この艶やかな濡羽色は日の光の下でざそ美しく輝いているのだろう。
「……」
「何だよ。急に黙りやがって。不気味だろうが」
「少し考え事をしていただけですよ。あなたこそ、いい加減その下品な口の利き方を見直したらどうですか」
「うるせえよ!」
 あっと言う間に機嫌を悪くしたマサキを適当になだめながらシュウは足早に進む。
「きれいな黒、ですか」
 自然と口の端が歪む。
 彼は何も知らない。
 黒くぬりつぶされた世界の内側には夜がある闇がある死がある恐怖が怨嗟が、理不尽が情け容赦なく塗り込められているのだ。その様の何が美しいというのだろう。
 閉じられた王宮という世界。地上人の血を引いて生まれた。本人にはどうしようもない理由から向けられた不可視の悪意と敵意。そして、母の裏切り。
 同じ「黒色」でありながら艶やかで美しい濡羽色とは似ても似つかぬその極黒。嫌悪と嘲りの対象にこそなれどうして称賛の対象となろうか。
「ほんとうにあなたの瞳に映る世界はどれほど美しいのでしょうね」
「何か言ったか?」
「いいえ。気のせいですよ」
 腕に抱いた名もなき鳥の軀はもはや何も語らず、その濡羽色はただ日の光に輝くばかりであった。


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「私はあなたがうらやましい。私では叶わなかったことを当然のように叶えたあなたが」

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