2025/07/05 SS-蜜、お好きですか?

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SS_List1日記

「ねえ。お兄ちゃん、見て。このオオカミ可愛いの!」
 事の発端は満面の笑みを浮かべたプレシアの歓声だった。
「よお、邪魔するぜ」
 数日後。一冊の図鑑とレポート用紙を手に現れたマサキをシュウはいつも通りリビングに通して紅茶を用意する。マサキが片手に抱えていたのは過去ベストセラーにもなった動物図鑑だった。さて、今度は何を見つけてきたのやら。
「ラ・ギアスのオオカミって花の蜜吸うんだな」
「ああ、マラカオオカミですか。それがどうかしたのですか?」
「大したことじゃねえんだが、オオカミが花の蜜吸うなんて思わなかったからよ。だって、あいつら肉食だろう?」
 獲物は十分にあるはずなのにわざわざ花の蜜を吸う理由がわからない。実に素直な感想だった。
「その点については今も研究中ですね。肉類だけでは足りない栄養素を補うためだという説もありますが、そもそも大型肉食動物であるマラカオオカミが花の蜜を吸うのだと発見されたのはここ数十年の間ですから。それに、地上にも花の蜜を吸うオオカミは存在しますよ」
「マジかっ!」
「エチオピアオオカミです。イギリスのオックスフォード大学の調査で発見されたそうですよ。ただ、こちらは発見されてからまだ数年とのことですから本格的な調査が始まるのはこれからでしょう」
 そう言ってシュウはマサキが持ち込んだ動物図鑑とレポート用紙を見やる。
「添削が必要なら手を貸しますよ?」
 にっこり笑って見せればマサキはばつが悪そうに目を泳がせてから不承不承にうなずく。すべては可愛い妹のためだ。
「そういえば何だっけ。あれ、バオバブのときも言ってたやつ。相利なんとか」
「相利関係ですね。異なった種類の生物が互いに何らかの利益を交換しあう共生の一種です」
 以前、プレシアのためにバオバブの木を調べていたさいマサキはシュウにレポートの添削を頼んでいたのだ。相利関係はそのとき初めて聞いた言葉だった。
「あいつらも相利関係なのか?」
「そうですね。エチオピアオオカミは間違いなく花粉媒介者としての役割を果たしていますから対象の花と相利関係にあるのはほぼ間違いないでしょう」
「めずらしいオオカミもいるんだな」
 花に顔を突っ込み鼻の頭を花粉だらけにして蜜を吸うオオカミ。ビジュアルにすると何ともマヌケな格好ではないか。プレシアが「可愛い」と言っていた理由が何となく理解できてしまった。
「必要な資料はそれで足りていますか?」
「……わからねえ」
 マサキが持ち込んだ動物図鑑は一冊のみ。一応、自分なりに本屋を探してもみたがよくわからなかったのだ。
「でしたら、足りない分はこちらで用意しましょう」
 マサキが返事をする前にシュウは必要なデータをさっとそろえてしまった。手際がいいにもほどがある。毎度のこととはいえマサキはもう絶句するしかない。
「……何かむかつく」
 人間、得手不得手があるのは致し方ないとしてもここまで圧倒的な差を見せつけられては不満の一つも言いたくなるというものだ。
「安心なさい。レポートを作るのはあなた一人ですから。添削はしても手伝いはしませんよ」
「鬼かお前は!」
 ここまで用意しておいてアドバイスは一切しないなどとんだ薄情者である。けれど何だかんだ言って結局は口を出してくるに違いない。目の前の男はマサキにたいそう甘いのだ。
「しかし、資料は両方を作るのですか?」
「プレシアが知りたがってたのはマラカオオカミってやつだけど地上にもいるってわかればそっちも知りたがるだろうしな」
「相変わらず焼けますね」
「妹だぞ」
「ええ。ただの嫌味です」
 何せここ最近は長期任務や何やらで連絡の一つもなかったのだ。ようやく逢瀬が叶ったかと思えば目的は妹のための添削依頼である。こちらのほうこそ嫌味の一つや二つは許されていいはずだ。
「……悪かったよ」
 さすがにおのれの心なさに気づいたらしい。しゅんとして肩を落とす。まるで叱られた子猫だ。
「ですから、次はお土産を期待していますよ。それで帳消しです」
「またクッキーとかスコーンでいいのか? お前、ほんと欲があるのかないのかわかんねえ奴だな」
 シュウの台詞を額面通りに受け取ったマサキは以前と同様、少し呆れていた。それでいい。
「いいえ。私は十分、強欲ですよ」
 そっとつぶやく。
 この程度のことであなたの時間を独占できるなら、いくらでも。


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