インドア派のシュウにとって夏空は窓越しに時折見上げるものであってわざわざ屋外に出て見上げるものではなかった。そんな暇があるなら研究と読書に費やしたほうがよほど建設的であったからだ。しかし、そんな不健康児に否を突きつける人間がいた。
「お前はもうちょっと空を恋しがれ!」
「夏空」を背負い【方向音痴の神様】がやってきたのだ。マサキが持ち込んだ二メートル近い丈のそれは一枚のカーテンであった。そこには焼きつくほどに鮮やかな紺碧の夏空が広がり真っ白な入道雲が自らの威風をシュウに誇示してきた。
「これは……?」
「見りゃあわかるだろ。カーテンだよ、カーテン!」
「いえ、そうではなく。どうしてこのようなものを——」
否、答えはすでに出ている。お前はもうちょっと空を恋しがれ。マサキはそう言った。つまり、下を向いてばかりの日々を送るシュウの不健康を心配しての心づかいだった。
「……素直に心配していると言えばいいものを」
もっともマサキがそんなことを口に出そうものなら今度は逆にシュウが何かしらの異変を疑って気を揉む羽目になるだろう。目の前の「野良猫」様は意固地で喧嘩っ早く気まぐれなくらいがちょうどいいのだ。
「しかし、見事な夏空ですね」
「だろ。結構人気なんだぜ、この柄。一番近かったしよ」
「近い?」
「サイバスターから見える空、こんな感じなんだよ。吸い込まれそうなくらい青くてよ。いやなことがあっても全部どうでもよくなっちまう!」
まるで自慢の「宝物」を語るかのように上機嫌だ。実際、マサキにとってこの夏空は一つの「宝物」なのだろう。風の申し子は空の申し子でもあったのだ。
「なるほど。これがあなたの『空』ですか」
シュウにとって空はただの空でしかなくそこに価値などない。だが、マサキがシュウのために持ち込んだ「夏空」は確かに美しかった。美しいという価値がそこにあったのだ。
「きれいだろ?」
「ええ、美しいですね」
「じゃあ、少しは外に出ろ。いつまでも閉じこもってんじゃねえぞ」
ふん、と鼻を鳴らす。
「そうですね。善処しましょう」
危うく吹き出しそうになるのを寸前でこらえる。せっかくの上機嫌をここで損ねるわけにはいかない。
「お礼に食事でも奢りますよ。今日は特に用事もありませんから、あとで出かけましょう」
「……あんまり高いとこにすんな?」
「安心なさい。ちゃんとあなたの所作にふさわしいところを選んであげますから」
「だから、お前はもうちょっと言葉を選べっ‼」
全身の毛を逆立てて怒鳴るマサキにしかしシュウはどこ吹く風だ。毎度のことであったしむしろ必死に威嚇してくる野良猫の愛らしささえ感じるほどだ。
「まあ、外に出る気になったならいいけどよ」
「あなたの『空』がそこにあるのですから、出ないわけにはいかないでしょう」
「何言ってんだ、お前?」
「ただの独り言ですよ」
改めてカーテンを見やる。自己主張の激しい入道雲と焼きつくほどに鮮烈な紺碧。ただの夏空だ。けれど今そこには陽の光にきらめく生命が宿っている。彼の瞳を通しただけで。
「本当にあなたは希有な人ですよ」
世界はどこまでも美しかった。
2025/07/14 SS-あなたの『空』
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