SS-海の雫

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SS_List2日記

 所用でとあるバラ園に出向いたがそこにローズマリーがなかった。そう口にしたマサキに対し、
「ローズマリーはバラではありませんよ?」
 一拍の沈黙を経て口を開いたのはシュウだった。
 ローズマリーは地中海沿岸原産のシソ科の常緑低木だ。また、ローズマリーの学名は「Rosmarinusロスマリヌス」でこれはラテン語に由来する。
 ラテン語の「rosロス」は「露」や「雫」を「marinusマリヌス」は「海」を意味し「Rosmarinus」は「海の雫」を意味する。英語の「rosemary」はこのラテン語から転じたものだ。
 英語の「rosemary」から文字通り「ローズ」マリーをバラだと思い込んでいたマサキは呆然とし、次の瞬間には爆発した。羞恥の大噴火である。
「まあ、字面だけを見たら間違いではないんですけどね」
 さすがにちょっと憐れに思ったらしいチカがマサキの肩に舞い降りる。どうどう。
「それにしても、突然どうしたのですか?」
 マサキの性格からしてバラに興味があるとは到底思えない。また、プレシア絡みかと問うてみれば、
「……バラ、貰ったんだよ」
 しかも白いバラを数本。そのときにローズマリーのことをふと思い出したらしい。「私はあなたにふさわしい」——白バラの花言葉を知るシュウからすれば由々しき事態である。だが、困惑気味のマサキを見れば相手が誰であるかは容易に察しがついた。
「女の子だよ。今年で六歳だって言ってた」
 相手は造園業者の娘だった。救国の英雄に向かってバラを差し出し「お嫁さんになってあげる!」と高らかに宣言されたそうだ。それも衆人環視の中で。
「それはそれは」
 たいそうな見物であったに違いない。
「笑ってんじゃねえぞ!」
「微笑ましいではありませんか」
 少なくとも少女は本気でマサキの「お嫁さん」になるつもりなのだから。
「……そのわりに目が笑ってないんですけど」
 チカはマサキの肩に乗ったまま震え上がる。チカの主人はそれはそれは執念深く嫉妬深いのだ。そう、たとえ相手が年端もいかぬ少女であったとしても。
「お前、何で急に機嫌悪くなってんだよ」
「おや、そう見えますか?」
「見えるも何もそのまんまの顔してるじゃねえか。何言ってんだ、お前」
「あたくしからすればマサキさんこそ何を言ってるんでしょうね?」
 心底呆れるマサキにチカもまた心底呆れた。
 万年ポーカーフェイスの主人を相手にその機微を当たり前のように指摘しておきながら、どうして自身に対する執心には微塵も気づかないのか。もはやある種の奇跡ではないか。
「あなたが相手では隠し事はできませんね」
 シュウは苦笑するしかない。他の人間が相手ならまだしもマサキが相手ではどうにもこの手の感情は隠し通せないようだ。
「隠し事だらけの奴が何言ってやがる」
 マサキの評価は辛辣だ。だが、これも日頃の言動が招いた自業自得である。
「つまらないことですから、あなたが気にするほどではありませんよ」
 実際、年端もいかぬ少女相手に嫉妬したなど大人げない大人のつまらない話だ。
「とりあえず、変なことはすんなよ?」
「信用がありませんね」
「お前がそんな顔してるからだろ」
 マサキなりに心配しているらしい。ただし、それは主に不機嫌の「原因」となった相手側の安全であるのだが。
「何だこれ。黒いバラなんてめずらしいな」
 後日、「お土産」にと渡された黒バラに目を丸くするマサキとは対照的に、
「……ご主人様、自重」
 「あなたはあくまで私のもの」——黒バラの花言葉を知るチカは半目のまま速やかにセニアへ「通報」したのだった。

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