第二幕 家出しますわ、コノヤロウ
「あたし、何を見せられてるんだろう……」
リューネは天を仰いだ。右手には最近オープンしたばかりのプリン専門店の紙袋。ウェンディに紹介され店頭に三〇分ほど並んで買い求めたものだ。
「多めに買ったしマサキも食べてくれるよね」
足取りも軽やかに訪れたゼノサキス邸。勝手知ったるとばかりに玄関を開けてリビングに入りそこでリューネは凍りついた。
リビングの中央。センターテーブルを挟んで向かい合って座っていたのは誰あろうホワン・ヤンロンとシュウ・シラカワであった。そして、リューネから見て正面、位置的に二人の中間にあたるソファにはほぼ白目を剥いた状態でマサキが座っていた。惨い。
「……」
後ずさる。巻き込まれたら無事ではすまない。それだけは理解できた。刹那、奇跡的に意識を取り戻したマサキと視線がぶつかる。
「……リューネ」
「ひぃっ⁉︎」
地の底から這い出た亡者としか思えぬ声音に思わず跳び上がる。
「——ごめん、マサキ。無理! 生きて‼」
「待てこら、助けろおおぉぉ——っ!」
リューネは振り返らなかった。否、振り返れなかった。三十六計逃げるに如かず。誰だって我が身は可愛いのである。そして三〇分後、同じく事情を知らずにゼノサキス邸を訪れたミオがアスリートも真っ青な理想的フォームで脱出を果たしたのは言うまでもない。
ヤンロンは頭が痛かった。ついでに胃も痛かった。すべては目の前で平然と紅茶を飲んでいる男のせいである。
シュウ・シラカワ。本名クリストフ・グラン・マクソード。背教者として今やラ・ギアスで知らぬ者はいない国際指名手配犯である。
「貴様が僕たちに敵対しないかぎりこちらからお前たちに干渉することはない。以前、そう言ったことを覚えているか?」
「ええ、もちろん」
人ではなくまるで物を見るような冷たい眼。この眼窩にはまっているのは本当に人間の眼球なのだろうか。作り物の紫水晶。そう言われたほうがよほど納得できる。
「それがどうかしましたか?」
「どうかしましたか、だと!」
口が滑ったとでもいうのだろうか。テュッティとマサキのやり取りに聞き捨てならない単語と名前を聞いて思わず割って入ってしまったのが先日。
「今のはどういうことだ?」
きつい物言いになっていたと思う。実際、テュッティは申し訳なさそうな顔でヤンロンに謝罪し、マサキに至っては顔色を失っていた。
「マサキ、しっかりしろっ⁉︎」
これにはさすがにヤンロンも焦った。同時に二人のやり取りが虚偽ではないことも理解した。由々しき事態である。
「貴様、どういうつもりだ?」
自然、語気が荒くなる。
「何のことでしょう?」
「マサキのことだ」
「敵対行為はしていませんが?」
あからさまな拒絶。詳細を語る気はないようだ。
「敵対行為のほうがまだましだっ!」
魔装機神操者の発言は一国の元首のそれと同等の効力を持つ。そして、今やマサキは魔装機神隊のリーダーだ。それだけではない。ラングラン国民からの支持も厚く「地上人召喚事件」を収めた功績から近衛騎士団の師団長にまで推薦され実際に当選するほどだ。その影響力は今やラ・ギアス全土に広く及ぶ。
「それがよりにもよって……!」
背教者と通じていたなどと誰が想像しようか。ヤンロンですらあまりの衝撃に立ち尽くしたというのに。
詰問すればテュッティは二人の関係に目をつぶるつもりのようだったがヤンロンからすれば正気の沙汰ではない。事はマサキの名誉だけでなく最悪命に関わるのだ。それだけではない。魔装機神隊の存続にも危機を及ぼしかねない。
「気の迷いとでも言うつもりなら、あなたであっても容赦はしませんよ」
殺気は本物だった。
「おのれの所業を振り返ってからものを言え。僕が貴様の言葉を信じるとでも?」
「マサキは信じてくれましたが?」
「貴様っ‼」
シュウは嘘は言わない。それは事実だろう。だが、こうも人の神経を逆撫でする人間の言葉をどうして素直に受け入れられるだろう。
「ただいま。プレシア、何か食うもんあるか?」
死霊装兵も裸足で逃げ出す鬼気と殺気が渦巻く中、すべての事の発端が当たり前のように帰宅する。
「うぎゃああぁぁ——っ⁉︎」
リビングで繰り広げられる無音の激戦にマサキの顔から一瞬で血の気が吹き飛ぶ。
「マ、まジ……カ……」
絶叫を上げながらしかし、その場で卒倒できなかったおのれのメンタルの頑強さをマサキは心の底から恨んだ。殴りたい。とりあえず首がへし折れる程度に今すぐヴォルクルスを殴り倒したい。きっとそれで世界は救われる。完全な現実逃避であった。
「帰ったか、マサキ」
「おや、マサキ。帰ったのですね」
「カエリマシタコンチクショウバカヤロウコノヤロウチクショウ——ッ!」
もう涙も出なかった。
当事者がそろった以上、改めて問いたださねばなるまい。ヤンロンはマサキにも同席を命じすでに半死状態だったマサキは素直に従った。対してマサキの顔色を見たシュウは険もあらわにヤンロンをねめつける。
「無理に従う必要はありません。マサキ、あなたは部屋に戻っていなさい」
「貴様が勝手に仕切るな。これはマサキにも関係がある話だ。マサキ、お前はここにいろ」
厄日だ。それも史上最悪の厄日だ。マサキの脳内は今や厄日の二文字で溢れ返っていた。もはや疲労を感じる余裕すらない。しかもマサキを無視して飛び交う単語の不穏さよ。羞恥と寒気と絶望と胃痛頭痛でマサキはもう憤死寸前だった。
「——ごめん、マサキ。無理! 生きて‼」
「マサキ、骨は拾うから。絶対に絶対に、絶対に拾ってあげるから‼」
天の助けになるかと思ったリューネとミオはマサキと目を合わせるなり全速力で逃げ出した。呪う間もなかった。頼みの綱はプレシアだがこの件に関してのみマサキはプレシアを頼るわけにはいかなかった。兄の沽券に関わるからだ。
「そろそろ観念したほうがいいのかもしれないわね」
知らぬ間にシュウと「会合」を重ねていたらしいテュッティにため息をつかれたのがつい先日。ヤンロンに見つかったのはまさにこの直後のことだった。
関係自体を恥じているわけではない。ただ、魔装機神操者としての自分の影響力を考えるととてもではないが公にできる関係ではなかった。その程度の理性はあるのだ。
「いいか、事はお前たち二人だけの問題ではない。特にマサキ、お前はサイバスターの操者であり魔装機神隊のリーダーだ。それを忘れたわけではないだろう?」
それは理解している。十二分に理解している。だからこのまま卒倒させてほしい。
左手には中国四〇〇〇年の説教地獄。右手には破壊神すら執念で木っ端微塵にした歩く死亡フラグ。何の拷問だ。
マサキを置き去りに不穏な単語と殺気が飛び交う会話はさらにヒートアップしていく。
「そもそも貴様は未成年相手に何をしているんだ!」
「プライベートな問題です。あなたには関係ないでしょう」
「あるに決まっているだろう。貴様の辞書に自制という言葉はないのかっ‼」
ついに直接的な単語での殴り合いが始まった。それでも気絶できずに苦悶すること数分。決して聞こえてはいけない単語についにマサキの中で何かが切れた。
「……ぇ」
「マサキ?」
「どうかしたのですか」
「う、る、せええぇぇ——っ! うるせえったらうるせえんだよ、てめぇらあ‼ ああ、わかればいいんだろ、わかればよ。はいはい。わかりましたわかりました。おれが悪うございました。ごめんなさい、馬鹿野郎! これでいいんだろ。満足だよな、満足しろよ。でねえとぶっ飛ばすぞ。つかもうお前らまとめてどっかにぶっ飛べ。速攻秒で光速の高速で四の五の抜かさず問答無用で出て行きやがれ! 出て行かねえならおれが出る。誰か今すぐサイフィス喚んでこいっ‼」
破壊神降臨。生身でも精霊憑依は可能なのだと年長者二人は戦慄した。
「お前らそこで一生座ってろ。おれは出て行く。出て行くったら出て行く! 付いて来たらサイバスターでぶん殴るからな! ついでに爆発飛散しろ‼」
目を血走らせ全身から殺気を立ち上らせるマサキを引き留める術などこの世にあるはずもなく、ヤンロンとシュウはただ呆然とその背を見送るしかなかった。
そして数時間後。
某州都付近に出現したヴォルクルスの分身三体がどこからともなく現れたサイバスターによって一寸刻みの五分刻みにされた挙げ句、周辺の死霊装兵とデモンゴーレム数十体もろともサイフラッシュで消し炭にされたとの一報に関係者一同は顔面蒼白で震え上がったのだった。
