第三幕 許さないんだからね!
病や生まれ持った障害のように本人にはどうにもならないことで一方的に責め立てることが正しいとは思わない。プレシアはそう教わった。両親は良識があり善人であった。それはプレシアの人生において間違いなく幸福の一端を担っている。だからこそ、今プレシアは悔しさに歯噛みしていた。知りたくなかった。知らず理解できないままでいたかった。
一方的に自由を意思を奪われ尊厳を踏みにじられる。その暴虐をプレシアは見てしまった。邪神が降臨したあの神殿で。
結果的にとはいえ父——ゼオルートを殺したのはシュウ・シラカワだ。その事実は揺るがない。けれどプレシアは見てしまったのだ、あの光景を!
どうして、とその場で叫べばよかったのか。あるいは卑怯にも幼さを理由に逃げ出してしまえばよかったのか。けれどそれはできなかった。剣皇ゼオルートの娘としての矜持が、兄であり魔装機神サイバスターの操者であるマサキ・アンドーの妹としての意地がそれを踏みとどまらせた。何よりプレシアはすでに魔装機神隊の一員であったのだ。ラ・ギアスの大いなる脅威を眼前にして背を向けるなどもとよりできるはずがなかった。
「……あんたなんか大嫌い」
長い長い沈黙の末にようやく絞り出せたのは幼稚な嫌悪だけだった。
「ええ、あなたの反応は真っ当ですよ、プレシア」
目の前の男は眉一つしかめることなくその小さな刃を受け取るとそれを当然とばかりに飲み干して見せた。そんな男の態度にプレシアは己の未熟さを見せつけられた気がした。
本当に偶然だったのだ。買い出しの帰り、思ったよりも多くなった荷物によろめきかけたとき、見慣れたくない白い外套が視界に押し入ってきた。
「マサキは一緒ではないのですか。あなた一人にこんな荷物を持たせるなど相変わらず気がきかないようだ」
「知ったような口きかないで。いいの、お兄ちゃんなんだから」
「あまり甘やかすのは本人のためになりませんよ」
「いいったらいいの。あんたなんか大嫌い!」
大通りから外れていたとはいえここは街中だ。勢いで声を上げてしまった羞恥にプレシアは顔を朱に染める。
「もういい。ちょっとこっちに来て!」
おそらく軽いパニックを起こしていたのだろう。気づけばシュウの手を引いて半ば駆けるようにゼオルート邸に戻っていた。
腹立たしいことこのうえないが結果的に招いてしまった以上はもてなさねばなるまい。昨日焼いたアップルパイの残りを取り出し、来客用の紅茶を淹れる。マサキのために焼く予定だったワッフル用のフルーツはまたあとで買いに行けばいい。
「はい、どうぞ」
「良い香りですね。これはグーティーム茶園の茶葉ですか?」
「……どうでもいいでしょ、そんなこと」
「これは手厳しい」
元王族の男はいちいち腹立たしい。その端正な顔も洗練された所作も何もかも。
「どうして……」
なぜ、兄だったのだ。
「プレシア?」
「何でお兄ちゃんだったの。あんたを正気に戻したのが。何で、どうしてお兄ちゃん声で正気に返ったの。どうして!」
父は死んだ。他でもない目の前の男に殺されたのだ。だが、男は操られていた。真に憎むべきは怒りを向けるべきは目の前の男ではない。けれど、けれども。
「お父さんはもういないのに……。どうして、どうしてお兄ちゃんまであたしから奪うのっ⁉︎」
どうしてもぶつけたかった。母は生きている。会いに行こうと思えば会いに行ける。だが、今そばにいてほしいのは母ではなく兄だ。父の死を目の当たりにしながら共にそれを乗り越えてくれたマサキ・アンドーなのだ。
けれどいまだ幼いプレシアは兄の背を追いかけることしか出ない。だというのに目の前の男は幾度も兄の前に立ちふさがり邪神の呪縛が解けた今では当たり前のように肩を並べて見せる。
「私にも譲れないものがあるのですよ」
望めばおよそすべてのものを手に入れられるだろう人間が何をほざく。恨めしい男。腹立たしい男。その端正な顔を張り飛ばせたらどんなに胸がすくだろう。
許せないのは父の一件だけではない。むしろ今現在進行形で許せないのはそちらのほうだ。
「絶対許さないんだから」
「プレシア?」
聞こえてしまった、否。聞いてしまったのだ。あのやかましいことこのうえない使い魔の口から。何ておぞましい。詳細までは理解できなかったが由々しき事態であることだけは把握できた。
いつの間にかシュウの肩に止まっていたチカをプレシアは憎悪もあらわにねめつける。
「あんたなんか……」
「え、あれ、わたくし? Why?」
「チカ、あなたまさか」
「ふぁ……。プレシア、悪い。今起きた」
間が悪いにもほどがある。寝ぼけ眼のまま二階から下りてきたマサキはリビングの招かれざる来客を目にして全身が総毛立った。眠気が一瞬で吹き飛ぶと同時にそのまま階段を駆け降りる。そう、駆け降りようとしたのだ。
「シュウ! てめぇプレシアに何してや——」
「絶対、絶っ対許さないんだから! あたし、チカが言ってるの聞いたんだからね。お兄ちゃんにひどいことするあんたなんかにお兄ちゃんはお嫁にあげないんだからっ‼」
そして、世界は呼吸を止めた。
「……プレシア、仮にも剣皇ゼオルートの娘を自負するのであればせめて気配の一つくらいは読めるようになっておくべきですよ」
「ご主人様、それただの逃避ですよ。正面見てください、正面。あとマサキさん泡吹いてますけど大丈夫なんですか?」
それは見事な弧を描いて卒倒したマサキの存在をようやく認識できたのか、凍りついていた世界が途端に息を吹き返す。
「にゃあっ⁉︎ クスハ汁飲んでないのに白目剥いて卒倒したんだにゃ!」
「マサキ、しっかりするにゃ。マサキっ‼」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、しっかりして!」
「マサキ、戻ってきなさい。マサキ」
それはもうお手本のような阿鼻叫喚であった。
某月某日。この日をもってマサキ・アンドーの保護者として兄としてついでに魔装機神サイバスター操者としての威厳とプライドと羞恥は木っ端微塵に吹き飛んだのだった。
