彼は無欲 強欲は私
「お前って仙人みたいだよな」
「私がですか?」
「だってお前、何か欲とかなさそうだしよ」
「一応、人並みの欲はあると思いますが」
この青年は昨晩自分がどんな目に遭ったか忘れてしまったのだろうか。今おとなしくシュウに抱え込まれているのだとて半分は腰の痛みで身動きできないからだというのに。
「おれのものは何やかんや理由つけて買うくせに自分のものはほとんど買ってねえだろ」
なるほど。彼は物欲のことを言いたいらしい。
「まあ、そうですね。けれど言ったでしょう。あなたがいればだいたいは足りてしまうのですよ」
服装や装飾品については多少のこだわりはあるもののそれも他人から見れば大したほどではないだろう。
子どもの頃から何事に対しても淡泊だった。大人になった今でも得意とする研究分野以外に興味を持つことはまれだ。趣味はあれど研究ほど没頭できるかと問われれば答えはNOだ。
「それに今は何かを手に入れるより楽しいことがありますから」
研究の都合で地上に出たさいマサキに似合うだろうブーツとジャケットを見つけて買い求め、立ち去り間際に向かいの店で見つけたスニーカーをさらに追加で購入したのが数日前。それからテリウス経由でセニアに連絡を取りすったもんだの末にマサキを連れて地上に出たのが先日。
まだ一介の研究者だった頃の友人が婚約パーティを開くと聞いてどうしてもマサキを連れて行きたかったのだ。案の定、友人は口をあんぐりと開けて絶句していたが。
「………未成年だからな?」
「あなたは人のことを何だと思っているのですか」
さすが同期。長年シュウと対等な関係を維持できるだけあって友人は鋼の心臓と神経の持ち主であった。
パーティが終わってからは季節外れのイルミネーションを見つけたマサキの希望で遠回りしをながら徒歩でホテルに戻った。途中、何とはなしに立ち寄ったショップで再び散財に走ろうとするシュウをマサキが必死で制止したのは言うまでもない。
「何でお前はそうやってすぐ買いに走るんだよ。計算しろ、計算! 無駄づかいすんなっ‼」
「必要経費の範囲内なので問題ありません」
「問題あるわ! 何でもかんでも必要経費で通せると思うなよ。つかこれ全部おれのじゃねえかよ。少しは自分の物を買えっての」
ほとほと呆れたと肩をすくめるマサキにシュウは真顔で言い放つ。
「欲しいものと言われてもあなたがいればだいたい足りてしまうのですよ」
だからいまさら何かを求める必要はないのだ。そう告げれば根が素直な青年はあっという間にゆで上がってしまった。露骨過ぎたかと思ったが真実その通りなのだから仕方がない。シュウは嘘が嫌いだ。マサキに関することであればなおさら。
「あ、い、え……だああぁぁ——っ、もう、だったらおれが相手してやるよ。それなら文句ないだろ。ほら、帰るぞ!」
「あなたがですか?」
正直、マサキとシュウでは趣味嗜好が異なる。というよりも正反対だ。素直に驚けばよほど顔に出ていたのだろう。あっという間にマサキの機嫌は急降下。線状降水帯発生である。
「……………映画」
「映画?」
「前にお前んとこで見たやつ。ホラーだったけど音楽とか光の使い方がすごいきれいだったのあるだろ。血とかバケモノとかが出てくるわけじゃなかったけど何かスゲぇ怖くて悲しかったやつ」
「ああ、あれですか。それがどうかしたのですか?」
「続編見つけた」
「続編があったのですか?」
「あった。でも、映画の続編って当たり外れが極端なやつあるから先に借りて観たんだよ。そしたら最初のやつと同じできれいだけどやっぱ悲しかった。結構長かったし、あれならお前だって納得するだろ」
「わざわざ探したのですか、あなたが?」
「だってお前、続編出たら見たいって言ってたじゃねえか。おれも気になってたし」
だから時間があるときにいろいろ探したのだと当たり前のようにうなずいてみせる。
「ええ、見たいと思っていましたよ——あなたと一緒に」
シュウは自分が存外単純な人間だったことを思い出す。否、今気づいたのかもしれない。
「なら、急いで帰りましょう。時間が惜しい」
たかだか数時間の娯楽。けれどそれが嘘偽りなく待ち遠しい。表面上は普段通りでも内心が透けて見えたのだろう。マサキが不思議そうにシュウを見上げてくる。
「お前そんなにあの映画好きだったのか?」
「そうですね。今気がつきました」
「何だそれ?」
いきなり歩く速度を上げたシュウの背を追って、頭上にはてなマークを浮かべたままマサキも足を動かす。身長差八センチ。歩幅格差は非情だ。
そして日付が変わって今現在。今日は午後いっぱいを観光に費やす予定であったが腕の中のマサキは起きて間もないはずなのにもう船をこぎ始めている。この調子では途中にしていた研究レポートを先に進めたほうがよさそうだ。
「いやそれご主人様のせいですよね? ご友人の方からもあれだけ言われてたってのに」
冷静な使い魔の指摘は時に無視すべきものである。そもそもラ・ギアスにおいてマサキはすでに立派な成人なのだ。従って何ら問題はないはずである。
「まあ、今回はちゃんと休暇取ってありますから大丈夫でしょうけど、休暇が終わるまでにどうにかならなかったらご主人様が責任取ってくださいよ。あたくしちゃんと忠告しましたからね」
「善処はしますよ」
いけしゃあしゃあとはこのことか。悪い大人はとことん悪びれない。
「そこはあたくしの目を見て言ってくださいます? 今度こそセニアさんがぶち切れてもあたくしは知りませんからね!」
「魔装機神が相手ならまだしもデュラクシールではグランゾンの相手にもなりませんよ」
「はなから叩きつぶす気だった⁉︎」
気苦労が絶えない彼女には申し訳ないが人生にはどうしても潤いが必要な時期があるのだ。だいたい直近で不穏な動きをしそうな武装組織や犯罪者集団は事前にある程度つぶしてある。魔装機神隊の出動を要請されるほど深刻な事態にはそうそうなるまい。
「欲深な人間怖っ!」
「自覚はありますよ」
それにしても、と腕の中で寝息を立て始めたマサキに自然と笑みがこぼれる。
「あなたは無欲な人ですね」
人間なんだからおれにだって欲はある。マサキはそう言っていたがそれが事実ならサイバスターはマサキを選びはしなかっただろう。彼の欲とシュウが指す欲は性質が異なるのだ。
我欲。他人のことを考えず自分の利益のみを目指すどす黒い欲望。
「この世で一番あなたに不似合いな言葉でしょう?」
彼は無欲だ。
何より欲しかった唯一は今腕の中にある。
おのれが強欲な人間であったことにシュウはひっそりと感謝したのだった。
蛇足
方々に怒号と悲鳴をまき散らした惨劇の休暇が明けてから数日。
カードの「利用明細」を盗み見たチカからの密告よりわずか数時間後。
「金の使い方ぁっ‼」
破壊神もかくやといわんばかりの剣幕で突撃してきたサイバスターに、さしもの【総合科学技術者】も財布の紐を締める癖をつけたとかつけなかったとか。
ちなみに当時魔装機神隊が討伐中であったヴォルクスの分身は精霊憑依を発動したサイバスターの跳び蹴りを顔面に食らって首ごとへし折られたそうである。
