ワンルーム歪曲フィールド

長編・シリーズ
長編・シリーズ

Please. Please stop!

 素足の時点で気づくべきだったのだ。すでに【天の岩戸】と化した部屋の前でシュウは小さく肩を落とす。とはいえ、まさかあんな格好で館の中をさ迷い歩いているなどと誰が予想しよう。
「そもそもご主人様が甘やかしまくるからずぼらレベルがMAXきわめたんじゃないですか」
 チカの視線は冷たい。
 普段であればひとにらみで黙らせるところだが今回ばかりはその通りなので反論の余地がない。
 眠気には勝てなかったらしい。
 よほど疲れていたのか陽の光を全身に浴びながらマサキは一向に起きる気配がなかった。肩を揺すってみても軽く頬を叩いてみてもまったくの無反応。これは自然に起きるまで待つしかない。そう諦めてシュウが朝食の支度を始めてしばらく。もう午前中は起きてこないだろうと食器を片付け始めたところでマサキはやってきた。
「……まだ寝る。でも、あとで食べる」
 肩越しに見る足下はふらふらとして危うい。舌足らずで声も少し幼く聞こえる。まだ半分寝ぼけているようだ。
「あまり寝過ぎると夜寝られなくなりますよ」
「寝る。絶対に寝る」
 もう、部屋に帰る! 機嫌を損ねてしまったのかどすどすと足音を立てて部屋を出て行ってしまった。そういえば彼はひどい低血圧だったといまさらながら思い出す。しかし、いくら暖かいとはいえ素足で歩き回るのは感心しない。あとで注意しておかなくては。
「……素足?」
 フルスピードで記憶を巻き戻す。そもそも彼は全身が真っ白ではなかったか。まるでシーツのお化けのように。
「マサキ。待ちなさい、マサキ。あなた何て格好をしているのですかっ⁉︎」
 あっちへふらふらこっちへふらふら。足をもつれさせながら館の中をさ迷い歩く【シーツのお化け】を確保すべくシュウは柄にもなく全力疾走する羽目になってしまった。
「そもそもご主人様が甘やかしまくるからずぼらレベルがMAX極めたんじゃないですか」
 シュウがマサキを連れてきているこのセーフハウスはかつて大公家が所有していたもので今現在その所在を知る者はシュウだけだ。他者に踏み込まれる可能性がないからかこの館にいる間シュウは思う存分マサキを甘やかした。本人が「過保護が過ぎる!」と徹底抗戦してもだ。もう一種の趣味らしい。抵抗が無駄と諦めたマサキはこの館においてのみずぼらスキルをめきめきと上げていった。その結果があの【シーツのお化け】である。
「そうですね。次からは先に食事を用意して置いておきます」
「いや、そうじゃなくて。根っこのところから見直しましょうよ」
「なぜですか。別に私は困っていませんよ」
「……マサキさんのメンタルがすでに半壊してるんですってば。どうするんですか、あれ。今日はもう出てきませんよ」
 捕獲されてすぐシャワーの洗礼を受けたマサキは正気に返ると同時に自身の奇行を思い出し、もはや人類には解読不可能な雄叫びを上げて自室へ飛び込んだ。以降、完全沈黙のまますでに数時間が経過していたのである。【天の岩戸】化であった。
「明日になれば空腹で出てきますよ。食欲には勝てませんからね」
 それよりも今は優先すべき作業がある。手にした端末には数種類のプログラムが並列して走っていた。必要なパーツ次第では設計を見直さなくてはならない。
「何ですか、それ」
「人感センサーのプログラムです」
 もちろんベースはラ・ギアスの錬金学と魔術である。侵入者滅ぶべし。
「ちょうど試作を頼まれていたものもありますからこの機会にテストしておきましょう」
「ご主人様」
「何ですか」
「ここ、そもそも結界張ってありますよね。ご主人様仕様のえげつないやつが」
 チカの目は冷ややかだ。何ならブリザードの幻すら見える。
「もうすぐ学会もありますし、私が留守にする機会も増えますからこの機会にセキュリティを見直しておこうと思っただけですよ」
 チカの目つきがさらに険しくなる。
「マサキさんの部屋、侵入者対策に歪曲フィールド張ってありますよね、ワンルームサイズの。あれ最低でも超魔装機並の火力がないとかすり傷すらつかないじゃないですか。というか、あれを力ずくで乗り越えようとしたら魔装機神の最大火力いりますよねえっ!」
 このうえさらに主人仕様の人感センサーを追加するなどもはや侵入者の「処理」を前提にしているとしか思えない。文字に起こすなら抹殺ならぬ絶殺である。
 過保護にもほどがある。そう吐き捨てようとしてチカははっとする。これは過保護以前の問題だ。
「ご主人様、ちょっと確認したいのですが」
「何ですか」
「マサキさんの件、さっき『別に私は困っていません』っておっしゃってましたよね?」
「ええ、言いました」
 困ってはいないがセキュリティレベルは引き上げる。何のために?
「つまりあれですか。自分が見る分にはかまわないが他の野郎に見られるのはクソ腹が立つと?」
 まだ見ぬ不届き者に対する威嚇だ。
「言葉づかいが下品ですよ」
 否定はされなかった。
「図星なんですね」
「とても不愉快であることは事実ですからね」
 チカの主人は性根が大変が素直な御仁であった。
「ダメだこの男、早くサイフィス喚ばないと」
 チカはありもしない両手で匙を投げる。無駄に知力・体力・時の運ついでに財力を備えるとろくな人間にならない。
「とはいえ、マサキさんにもしっかり釘を刺しておかないといけませんね」
 いくらこの場所だけとはいえさすがにずぼらが過ぎる。しかし、翌日、チカはその小さなローシェンの身体でひたすら平身低頭する羽目になる。
「申し訳ございません、申し訳ございません。うちのご主人様が本っ当に申し訳ございませんっ‼」
 【天の岩戸】からようやく顔をのぞかせたマサキはとうとうと説教してくるチカに向かってこう叫んだのだ。
「だったらお前の主人を先に何とかしろよ。俺は疲れてるって、眠いって……。あれだけ、あれだけ言ったのに! ふざけんな、馬鹿野郎っ‼」
 この時点ですでに涙目であった。
 起きてこなかったのは一晩では回復できないほどに疲れ果てていたから。【シーツのお化け】に関してもあれは着替えなかったのではなく着替える気力すら残っていなかったからだ。本当は眠りつづけたかったが空腹だけはどうしようもなかったので一言伝えておこうと何とかシーツを引っぺがしてかぶり、危うい足下に難儀しながら部屋を出た。途中で座り込まなかっただけ褒めてほしい。否、むしろ褒めろ。そして土下座しろ。それが昨日の騒動の真相であった。
「ご、主、人、様?」
 ぎぎぎぎぎ、とさびついたゼンマイのような音を立ててチカは背を振り返る。
「シュウならさっきセンサーのパーツが届いたからって受け取りに出たんだにゃ」
「音もなく魔術で転移したにゃ。あれはあらかじめ用意してたに違いにゃいにゃ」
 主人の姿は影も形もなかった。
「逃げやがったな、あの野郎おおぉぉ——っ‼」
 その後、怒りの大魔神と化したチカはしばらくマサキ専用の「哨戒機」として主人の【侵攻】から全力で「本丸」を防衛したそうである。

タイトルとURLをコピーしました