SS集-No.1-5

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【オートロックが安全です】

 迷子になった先でゲリラ豪雨にでも見舞われたのだろう。玄関から浴室へ続く大小の水たまりと途中で脱ぎ捨てられたブーツとジャケット、グローブとTシャツがその証拠だ。あとで洗濯しなければ。
 入浴して体が温まると同時に眠気が襲ってきたのだろう。ゲストルームの着替えを取りに行く気力もなかったのか手前にあるシュウの部屋のタンスを荒らした形跡がある。これもあとで片付けなくては。
「暖を求めて最終的にエアコンの真下で力尽きたって感じですかね」
 まずありえませんけど侵入者がいなくてよかったですね。ローシェンの視線は冷ややかだ。シュウは眉間のしわを人差し指で押さえたまま微動だとしない。
 呆れ返る一人と一匹の足下にはシーツとシャツとバスタオルにくるまったお化けが一人。
「眠気に抗えなかったというのはわからなくもありませんが、せめて……」
「シャツよりも先に下着を穿いておいて欲しかったですねえ。ほんと」
 防犯対策見直します? 軽い頭痛を覚えているだろう主人にローシェンは冷静に問いかける。
「予算を組んでおきましょう」
 結果、行動力の権化はわずか数日で全セーフハウスの完全オートロック化を完了させたのだった。ちなみに「お化け」へのお説教は優に二時間を超えたそうである。

【正直な人】

「なあ、あいつほんとに機嫌悪かったのか?」
 別棟の研究室にこもりきりだった偏屈男にマグカップサイズの差入れを渡し終え、リビングへと戻ってきたマサキは疑わしげな表情を隠すことなく男の使い魔に問う。
「何を言ってるんですか、そりゃあもう最悪だったんですよ。一ヶ所だけどうしても計算が成立しないって今にも縮退砲連発しそうな剣幕で!」
 小鳥の身ながらボディランゲージが豊かなローシェンの訴えに嘘はなかった。しかし、だとしたらあれは一体何だったのか。
「そのわりには何か気の抜けた顔してたんだよなあ」
 三徹とブラックコーヒーという胃に優しくない組合せを相棒に研究室へこもっていた男はマサキが差し出したマグカップの中身に一瞬きょとんとした顔をして見せた。
「……リゾットですか?」
「トマトとチーズのな。マグカップとレンジがあればできるんだよ。お前、どうせまともにメシ食ってないんだろ。まあ、だからっていきなり食っても胃に来るだろうし……。でも、これくらいなら食えるだろ?」
「そうですね。……あとでいただきます」
「じゃあ、それが終わったらちゃんと寝ろよ。起きたらもうちょっとましなもん作ってやるからよ」
 交わした言葉はその程度。だが、マサキが見た感じ特別機嫌が悪そうには見えなかった。ローシェンの言葉に嘘がなければあの短時間に一体何が男を変えたのだろうか。
「えぇ……」
 知らず疑問を声に出していたマサキにローシェンの表情は渋い。
「だめだこの迷子、早くサイフィス喚ばないと」
 考えるまでもない。それはとても単純な話だった。ローシェンは大げさに呆れてみせる。
「好きな子がわざわざ差入れに来てくれたんですよ。機嫌悪くしてる暇なんてあるわけないでしょうが!」
 ローシェンの主人はたいそう正直な人間であったのだ。

【あなたと星空へ】

「へ? デネブ? 今真冬だぞ」
 某月某日王都ラングランにて。どこから聞き出したのかプライベート端末のアドレス宛に送りつけられてきたメッセージ。
「夏の大三角形を観に行きましょう」
 内容は端的な一文のみ。
 冬の大三角形ならともかくどうして今この時期に夏の大三角形を観に行けるのだ。
 気になって返信すれば一瞬で答えが飛んでくる。何だこの異常なレスポンススピードは。
「知人のツテで天文台を譲ってもらいました。整備が終わったので観に行きましょう」
「……何て?」
 思わず口許が引きつってしまったのはやむを得まい。問いただせばどこぞの富豪が趣味で建てた天文台らしい。持ち主が飽きて整備の職員込みで買い手を探していたから即決したらしい。
「無断に金と権力がある連中はこれだから……」
「一般庶民からみればあなたも十分金と権力を持った特権階級ですよ」
 突然開いた扉から呼んでもないのに不法侵入者様ご登場。
「ここおれん家っ⁉︎」
「細かいことを気にしていると胃を壊しますよ。さあ、支度をして」
「いや、現在進行形でおれの胃を壊してるのはお前だからなっ⁉︎」
 しかし、道理が合わないからこそ理不尽というのである。不法侵入者は道理を曲げても突き進むタイプの不法侵入者であった。
 とても迷惑です。お帰りください。Go home now!
 結果、抵抗虚しく【迷子】は季節外れの星空へと飛び立って行ったのだった。当たり前だが外泊については事後報告となった。

【ラッキーセット】

 通りすがりに手渡されたぬいぐるみ。それは日本が誇る某有名ゲームメーカーの人気キャラクターであった。丸くてピンクな食欲と吸引力の破壊神。別名、ピンクの悪魔。その愛らしい見た目とは相反する傍若無人な悪行の数々は多くのラスボスとユーザーを恐怖のどん底に叩き落とした。
「ちょうどコラボ中だったので差し上げます。あなたからのプレゼントだと言えばプレシアもきっと喜びますよ」
「いや、コラボって……。コラボ?」
「ラッキーセットを買ったオマケです」
「何て」
「ラッキーセットを買ったオマケです」
「いや、何て」
「現実は直視するものですよ、マサキ」
「できるかああぁぁ——っ⁉︎」
 マサキは叫んだ。全力で叫んだ。半分は現実逃避も兼ねていたので存分に叫んだ。ラッキーセットって何だ。どの面下げてレジに並んだこの男。シュウ・シラカワ。一八四センチの【総合科学技術者メタ・ネクシャリスト】 少しは身長よこしやがれ。
「ぷちパンケーキとサイドサラダの量がちょうどいいのですよ」
「お前の感想今求めてねえぇーっ‼」
 だが、チョイスの理由はよくわかった。お前はもう少しメシを食え。
「お断りします」
「あ?」
 今、食育戦争の火蓋が切って落とされる。

【お前がいい】

 マサキは自他共に認める低血圧だ。そのせいか寝起きはかなり機嫌が悪い。だが、今日はよほど夢見が良かったのだろう。起き抜けから満面の笑顔だ。ただし、その代償としてシュウの頬はさっきから伸びっぱなしなのだが。
「お前、何でもできるし顔もいいけどよ、中身は最悪だよな!」
 朝っぱらからたいそうなご挨拶である。
「本人を前にしてそれを言いますか」
「当たり前だろ。お前以外の誰に言うんだよ」
 けらけらと遠慮がない。まるで酔っ払いのテンションだ。
「一体どんな夢を見たのですか?」
「何だろうな。覚えてねえ!」
 むにっとつかんだシュウの頬をまた引っ張る。
「でも、お前のことだったなあ」
 覚えのある声に『もう少し男を見る目を養え』と言われたそうだ。
「言われてみればそうだよなあ、って」
 頑固だし陰険だし執念深いし態度デケぇし意外に短気だし人の話聞かねえし不摂生だしおれより身長デカいのムカつくし。
「お前いっぺん爆発しろ」
 不本意ながら前半部分は認めるとして身長のくだりに関しては理不尽きわまりない要求である。
「さすがに私も傷つきますよ」
 清々しい朝日が差し込む寝室で穏やかな目覚めを迎えているかと思えばこの仕打ち。思わずため息をこぼせば頬をつかんでいた手が離れ、次の瞬間に両手でぱん、と頬をはたかれる。
「お前さあ、ほんと良いやつか悪いやつかわかんねえよなあ。面倒くせえ。ほんと面倒くせえよ、お前」
 夢とうつつの行き来はいまだ終わる気配がない。今日の睡眠欲は食欲よりも手強いようだ。
 何でだろうなあ。いらえなどはなから期待していないのだろう。ゆらゆらと頭を揺らしながらマサキは自問自答をくり返す。
 普段の寝起きの悪さを知るシュウとしてはこのまま自然に目が覚めるのを待っていたいというのが本音であったが、この調子ではせっかく用意した朝食が冷めてしまう。仕方がない。少し強めに体を揺さぶる。そう、腕をつかんだ瞬間、逆にベッドへ引き倒され頭を抱え込まれる。
「でも、お前がいい」
 何でだろうなあ。お気に入りの玩具を抱きかかえた子どものように無邪気な声が鼓膜に降ってくる。甘くいとおしい声が。
「お前がいい」
 そこまでだった。ぷつん、と糸が切れたように全身から力が抜けシュウの腕に倒れ込む。すうすうと聞こえてくる寝息。どうやら今回の勝負は睡眠欲の勝利で終わったようだ。
「……」
「ご主人様ー、いい加減マサキさん連れてきてください。食事冷めちゃいま、す——ひいぃっ⁉︎」
 チカは震え上がった。
 見てしまった。見えてしまった。ものすごくレアで恐ろしいものを見てしまった。たぶん、写真か動画に撮れば一部界隈を秒で壊滅できる程度にはショッキングな代物だ。そして確実に儲かる。チカ知ってるもん。あなたドル箱って言うのね!
「チカ」
「んぎゃああぁぁーっ、すみません見ました。見てません、知りません、ごめんなさない。来世まだ逝きたくないですぅ⁉︎」
「あなた——、見ましたね?」
 その後、突然の「自分探しの旅」に放り出されたローシェンは帰宅後、一切の記憶を失っていたそうな。
「アタクシ、ナニモミテマセンデスダヨ」

【Cait Sith】

【妖精猫 -Cait Sith- 】
 アイルランドの伝説に登場する妖精猫。
 ケット=猫、シー=妖精。
 またハイランドやノルウェーなど欧州他地域にも伝承がある。

 何て無邪気に笑うのだろう。
「お前、どっかの姫さんみたいに綺麗な毛並みしてんなあ! 目もきらきらしてらあ。そういやあ、猫目石? キャッツアイ?  何か猫の目に似た宝石があるらしいんだけどよ。たぶん、お前の目みたいなんだろうな!」
 隣の家屋の屋根に飛び移ろうとして届かずそのまま落下してきたのだろう。まるで図ったかのようにマサキの両手に落ちてきたそれはシルクのように美しい毛並みをした一匹の猫であった。
「にゃあ」

「おやおや、まあまあ、物騒な」
「あの方はわたくしの可愛い姫の大事な恩人。これは見過ごせませんわ」
「聞けばサイフィス様と深いご縁を結んだお方とか」
「まあ、そんな高貴な方に邪神の走狗風情が仇なそうなどと思い上がりも甚だしい!」
 四方から投げつけられる嘲弄に邪神を崇拝する教徒たちは狼狽する。いつの間にか追い込まれていた袋小路。何の魔術だろうか。見上げた頭上に空はなくただ漆黒のみが視界を塗りつぶしていた。
「さて、幸い待ち合わせには間に合った様子」
「それは重畳。では、お邪魔虫には退場願いましょう。せっかくの逢瀬ですもの」
「ええ。慮外者は一匹残らず場外へ」
 瞬間、漆黒の空を埋め尽くす幾千万の猫眼金緑石クリソベリルキャッツアイ
「狂信者に正気など必要ありませんでしょう?」
 くすくすとこだまする愛らしい笑い声はそう言って逃げ惑う走狗たちをごくりと飲み込んだのだった。

「あなた、相変わらず節操がありませんね」
「はぁ?」
 出会い頭にこの一言。慇懃無礼な男は相も変わらず慇懃無礼であった。
「猫は猫でも今度は【妖精猫ケット・シー】ですか」
 たらしこむならせめて人間だけにしておいて欲しい。まったく、人の気も知らないで。
「何でおれよりお前のほうが機嫌悪いんだよ!」
 まさに知らぬは亭主ばかりなり。柄にもなくため息を吐きたくなる。
「にゃあ!」
 口を尖らせるマサキの足下では美しい毛並みの猫が一匹、上機嫌で尻尾を振っていた。
「あげませんからね?」

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