No.3 <<<
【翠玉】
エメラルド、翡翠、ペリドット、グリーントルマリン、デマントイド・ガーネット、そしてグリーンダイヤモンド。
さて、彼には何を贈ろう。
ただ単に加護を願うだけなら彼の出自からして翡翠が無難だろう。だが、ここはラ・ギアスだ。ならば魔術的な加護は必須。そして、地上には宝石を用いた魔術が存在するという。実際、宝石は魔力の貯蔵庫として優秀だ。
ふと脳裏をよぎる一翼。彼の機体のデザインのもととなった神の鳥——ディシュナス。そう、彼に捧げるのならばただ美しく華やかな貴石ではなく。
「天翔る翼を」
そうして後日、届けられたのは一つの腕輪。精緻なまでに彫り込まれた神鳥の意匠を飾るのは要所にはめ込まれた緑と翠が織りなす貴石の連なりだ。そして、それとは別にみっしりと刻み込まれた守護の咒文。受取主が中身を見て目を剥いたのもむべなるかな。
「……馬鹿じゃないのあいつ」
鑑定を請け負ったうら若き才媛は推定価格を走り書きしたメモを受取主に渡しながら偏屈な従兄弟の執心に今年何度目かの匙を投げたのだった。
【タンザナイト】
見る角度や周りの環境によって色が変わる「多色性」を備えたその石は暮れの空のように青から紫まで色が変化する「タンザニアの夜」にちなんで名付けられたといわれている。そして、その石言葉もまた「誇り高き人」「神秘」「高貴」「冷静」「知性」「希望」と「タンザニアの夜」のようにさまざまであった。
「……いや、希望って面か。あれ?」
大変失礼な感想であったが実際その通りなのだから仕方がない。
ひょんなことから手に入れたタンザナイト。マサキにしてみれば宝石などバカ高い石という程度の認識だ。妹が気に入ればそのまま手渡そうと思っていた。だが、ほんの少し角度を変えた瞬間、目に映った紫紺に手が止まる。
紺色がかった紫。
不条理を内包した紺青の機体とその主人。すました顔と白い外套に映えるロイヤルパープル。
「…………何かムカつく」
そうだ。ムカつくものはムカつく相手に投げるにかぎる。そんなたいそうな理不尽を理由にマサキは行き先を変える。
「こんな面倒くさいもんはお前が持ってろよ」
半ば喧嘩を売りに行くつもりで進みながらけれど思い浮かぶ顔はどうしてかひどく嬉しそうだった。
【テリウス・グラン・ビルセイアの目撃】
「なあ、おれの着替え知らねえか?」
「今洗濯中ですよ。もうしばらく寝ていなさい。あとで起こして上げますから」
「……わかった。じゃあ、寝る」
ゆらゆら左右に揺れながらドアの向こうへと消えていく新緑。
「……ねえ、あれ何?」
「放っておいてかまいませんよ。寝ぼけているだけですから」
「いや、聞いてるのそこじゃないし。……まあ、予想はつくけどね」
ティーカップを手にテリウスは肩をすくめる。過去の論文が必要になったと一言告げて向けられた背中を見送って数日。所用があってとあるセーフハウスを訪れてみればこの有り様だ。呆れが礼に来る。
短パンにサイズの合わないシャツ一枚。家の中とはいえ何とまあ、あられもない格好で。そこかしこに見えた吸着性皮下出血に関してはもう幻覚と思うしかない。人間、長生きするためには賢明でなければならないのだ。
「シーツ一枚で迷子になってた頃に比べればずいぶんとマシになったんですけどねえ?」
ジト目のローシェンは容赦なく過去の惨事を暴露する。その怒りの矛先は言うまでもなくおのれの主人だ。
「まあ、当事者同士で合意できてるならいいんじゃない?」
その証拠に状況の改善はされてるようであるから。とはいえ、
「捕まる相手はもうちょっと選んだほうがよかったよね」
もう、手遅れだろうけど。
数時間後、完全に目を覚ました悲運な青年がいつかのごとくゲストルームに籠城したのは当然の帰結であった。
【カーネーション】
真っ赤なカーネーションにピンクのスプレーカーネーション。白いアルストロメリアと黄色いヒペリカム。可愛らしいリボンで飾られた——受取手のないブーケ。
ラ・ギアスにも「母の日」があると聞いた時は驚いた。さすがに月日は違ったが。毎年バゴニアにいる母親に花束を贈っている妹を見て何を思ったのだろう。気づけば手にしていたブーケ。贈る相手などもうこの世にはいないのに。
目の前には無人の海。空を仰げば憎らしいほどの紺碧が世界を見下ろしている。いっそ雨でも降れば良いのに。
「どうすっかなぁ」
ブーケを振りかざす。考えるよりも先に体が動いた。けれど振りかざした腕が宙に弧を描くことはなくブーケもまた空に舞うことはなかった。
「危ないでしょう。落としたらどうするのですか」
「まだ、落ちてねえだろ」
背後から抱き込まれる。握りしめたままのブーケ。贈る相手はもういない。
もう、どこにも。
「……お前はここにいるのにな」
いらえはなかった。
【お姉さんはお怒りです】
お姉さんはお怒りであった。原因はプライベート端末に送られてきたメッセージ。送信元は不明となっているが内容を見れば一目瞭然だ。
「マサキ、ちょっとここに座りなさい」
「へ?」
お姉さんはお怒りであった。それはもう大噴火である。
「チョコレートくらいちゃんと手で渡しなさい‼」
論文を仕上げるために半日以上書斎にこもっていたのだと聞いた。その反動で少し甘いものが欲しい、と。だから半分やろうと思った。その程度の認識だったのだ。
口にくわえていた板チョコの半分。ちょうど漫画を読んでいて両手が塞がっていたからそのまま差し出した。呆気にとられる男の顔に。
「子どもの躾は保護者の領分でしょう」
長々と書き連ねられたクレームにテュッティはもう頭を抱えるしかなかった。
「本当にもう、あなたって子は!」
荒ぶるお姉さんが鎮まったのは数時間後の夕飯直前だったそうである。
