SS集-No.1-5

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No.5 <<<

【赤い風船と白い少女】

 風が吹いていた。此岸から彼岸へと数多の情念を抱いた風が。

 青年の前には一人の少女が立っていた。赤い風船を手にした白い少女。肌も髪もまるで漂白されたかのように真っ白で唯一の色は手にした赤い風船と同じ赤い瞳だけ。
 その背には幾千もの顔が浮かんでいる。宙をかきむしる何万もの指がある。つぶれた顔、焼かれた顔、切り裂かれた顔。削がれた鼻、千切れた耳、裂けた口。
 声にならぬ声が嵐となって泣き叫ぶ。それは宙に描かれた幼子たちの屍山血河であった。地獄が青年を見下ろしていた。
「……ごめんな」
 長い長い沈黙の末にようやく絞り出せたのはたった一言。白い少女が笑う。そして差し出される赤い風船。
「だから、もう、泣かないでね」
 少女が笑う。風が吹いた。まるで砂塵のように屍山が崩れ無色の血河は干上がっていく。あっという間だった。
「……何かいろいろ考えてたらちょっとまいっちまってよ。ここで愚痴ってたんだ」
 気づいたときには目の前に立っていた白い少女。何度か話しているうちに不覚にも泣いてしまった。悔しいやら恥ずかしいやらで頭を抱えてしまったマサキに、
「あたしたちは、もう大丈夫だよ」
 そう言ったのだ。風が吹いたのはその直後のことだった。
「嘘ではないと思いますよ」
 だからこそ彼女たちは風に抱かれ彼に見送られて彼岸へと渡って行ったのだ。
「だから、覚えていましょう。わたしたちに叶うかぎり」

【お薬ですよ!】

 不可抗力だったのだ。過去の論文を整理している中でちょうど行き詰まっていた論文に新たな視点をもたらすデータを見つけてしまった。これも研究者としての性か矢も楯もたまらず関連資料を抱えて研究室に飛び込みそのままセキュリティロックをかけた。誰にも邪魔されたくなかったのだ。
 通常であれば必要最低限の栄養を摂取するためのスケジュールを立ててから研究室にこもる。途中で倒れては元の木阿弥だからだ。だが、今回はタイミングが悪かった。
「へえ、それでこの様かよ」
 直径二十センチ程度の巨大なカプセル錠を手に床に正座するシュウを仁王立ちで見下ろすのは額に見事な青筋を立てた【風の大魔神様】である。
 密告者は言うまでもなくチカであった。
「え。だって、ご主人様以外に研究室の生体認証が通るのはマサキさんだけですしぃ?」
「まあ、おれもちょっと用事があったからな」
 そして目の前に突き出されるカプセル錠。割ってみれば中身はこれまた大量のカプセル錠と絆創膏——のチョコ。
「去年、立て込んでて渡せなかっただろ。まあ、今年は今年で時季外れになっちまったけどよ」
「いえ、とても嬉しいですよ」
 と、平和に事態は解決——するはずもなく。
「じゃあ、ここは片付けてやるからお前はさっさとメシを食え。そして、寝ろ!」
 【風の大魔神様】はたいそうお怒りであった。
「お前、次また同じことしたらマジで一ヶ月口きかねえからな」
「それはいくらなんでも非情というものですよ」
「やかましいわ。だったら少しは自制しろっ!」
 結果、十指に及ぶ博士号持ちの【総合科学技術者】が無事研究室へ帰還を果たしたのはこれからさらに三八時間後のことであった。

【サニー&ポウ】

 サニー&ポウ。それは老舗紅茶専門店ナーシムの創業者ブランドン・ドレスが愛した二匹の愛猫の名であった。そして、シュウの目の前にはそのブランドンが愛した愛猫たちと人気の紅茶缶のミニチュアがセットになったチャームが数種類並んでいた。
 一番人気を誇るアップルティーのゴールド缶、ストロベリーのマークが鮮やかなルバーブとストロベリーのブレンド缶。そして、毎年デザインが変わるクリスマス限定缶。
 いずれもシュウには縁遠いものだ。だが、その視線は創業者の愛猫である二匹の猫——白猫サニーと黒猫ポウに留まったまま。
「似合うでしょうね」
 一言。そして、迷うことなく店頭に並んでいた全種類のチャームをレジへ。支払いがすめば次は新たな目的地であるナーシム本店へ歩みを進める。購入したのは少し渋みが強いオリジナルブレンドのブラックティーとミルクティー用にブレンドされたバニラのフレーバードティー。これで口実はできた。
「あなたたちはどんな顔をするでしょうね?」
 おそらく何ともいえない複雑な顔をするだろう。だが、あの善良な兄妹は他者からの善意を無下にすることはない。贈り物は正しく受け取られるだろう。血は繋がらずともあの兄妹は性根がとてもよく似ているのだ。
「やはり善行は積むものですね」
 後日、返礼として兄妹合作のクッキーとスコーンのセットを受け取ったシュウはたまの善行がもたらした望外の成果に心から感謝したのだった。
「いや、顔を見る口実にしてる時点でそれただの我欲。しかも、お返しの確率を計算に入れてるとかどんだけですか。人間性真っ黒。いい加減、通報案件ですよ」
 使い魔であるローシェンの視線は氷点下を突き抜けていたそうである。

【指輪】

「御守りですよ」
 まるでそれが当然かのように左手の小指にはめられたシルバーのリング。シンプルなデザインだが用意したのはこの男だ。安い買い物のはずがない。問えば、案の定、頭を抱えそうな金額だった。
 よくよく聞けば最高品質のオリハルコニウムを加工したものだというではないか。しかもリングの裏には何をどう苦心したのかミリサイズの文字の羅列が端から端までびっしりと。シュウいわくオリハルコニウムの魔術防御力をさらに底上げするための術式らしい。
「馬鹿じゃねえの?」
 呆れが礼に来るとはこのことか。
「なら、もう少し真面目に魔術について学ぶのですね。あなた魔術に関してはからきしでしょう?」
「うぐっ⁉︎」
 事実その通りなので悔しいが反論できない。
「もともとオリハルコニウム自体に強い魔術防御力がありますからね。よほどの手練れでないかぎりだいたいの魔術ははじけますよ」
 忘れずはめておきなさい。悪意は感じられない。それは純粋な善意だった。マサキはうなずいた。だから気づかなかったのだ。術式に隠れて刻まれた「言葉」があることに。

 我が主、翡翠の翼に幸いあれ
 我が至玉、翡翠の翼に仇なす一切に滅びあれ

 それは紛う方なき言祝ことほぎであり、逃れ得ぬ呪いであった。

【エプロン】

 季節限定の耐熱グラスマグ。ハンドルの中にはシェルが詰めてありマグの表面には水彩画のタッチで薄ピンクの花々が描かれている。
 妹が足繁く通うカフェの限定グッズをマサキが代理で買いに来るのは何度目だろうか。
「お兄ちゃんが行けば絶対に買えるから!」
 それはそうだろう。何せマサキは魔装機神サイバスターの操者だ。加えてランドール・ザン・ゼノサキスの聖号を賜与されたゼノサキス家の当主でもある。この王都においてその影響力は絶大だ。ラングランが世界に誇る「英雄」が常連となれば店側ももろ手を挙げて歓迎するだろう。
 目的のものを無事購入しそうそうに帰路に着こうと踵を返した瞬間、目に付いたのはスタッフのエプロン。

「今度からこれを着けろと?」
 ずいと差し出されたのは緑色のエプロン。カフェのスタッフが着けていたものと同じエプロンだ。グッズコーナーにひとつだけ残っていたらしい。
「お前面倒くさがってときどきその格好のままでキッチンに立つじゃねえか。見ててヒヤヒヤすんだよ」
 それで少しでも服が汚れるようなことがあれば潔癖性の気があるこの男はほんの少しだけ、それも非常にわかりづらく不機嫌になるのだ。そしてそのとばっちりを一身に受けるのはマサキだ。冗談ではない。
「だから、せめてエプロンくらい着けろ」
 マサキにとっては自衛のためでもあるのだ。
「そうですね。ですが」
「ですが?」
「できれば、もう少し明るい色が良かったですね」
「あ? 贅沢言うんじゃねえよ。色なんて何でもいいだろ」
「よくありませんよ」
「何だよ、好きな色でもあるのか?」
「ええ」
 そして、すっと伸ばされた指先が触れたのはマサキの前髪だ。
「もう少し明るければあなたの髪色にとてもよく似ている」
 沈黙。
「お前もうほんともっぺん死んでこいっ‼」

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