No.7 <<<
【子ども体温】
「なあ、テュッティ。冷え性って治るのか?」
発端は小さな善意だった。
カイロに始まりショウガ、ナツメ、シソ、シナモン、ハーブティー。とりあえずメモしたものを片っ端から買い込んだ。そして、膨れ上がったリュックを背に向かった先は偏屈者の研究所。
ラングランの歴史は約五万年だが神聖ラングラン王国自体の歴史は四九五九年と五〇〇〇年に満たない。シュウが新たに建てた研究所はその五〇〇〇年以前からある古代遺跡の一つを改修したものであった。
「……これは確かに冷える」
客間がないのでと案内されたのは資料室の一角。マサキは訪問の理由を問われる前にリュックの中身を床にぶちまける。
「これだけあれば何とかなるだろ」
「これは一体……」
「お前、冷え性なんだろ?」
「冷え性ですか?」
「だって、スゲぇ手が冷たいじゃねえか」
得心する。目の前に積まれたこれは冷え性改善のための差し入れか。
「心づかいは嬉しいのですが私は至って平均体温ですし特別冷えも感じていません。むしろあなたの体温が高いのですよ、マサキ」
「俺が?」
「子ども体温といいますか、たぶんもとから体温が高いのでしょうね。ときどき心配になるくらいですよ」
気にしたこともなかった。そういえばいつだったか「子どもは風の子」だからとからかわれた気がする。だが、今問うべきはそこではない。
「つか、何でお前が俺の体温知ってんだよ」
「なぜと言われても毎度のことですから」
「いや、お前に毎度体温を計られた覚えはねえぞ」
身に覚えのない事実を勝手に作られては困る。
「そうでしょうね。体温に関してはあくまでもついでですから」
「ついで?」
「だいたい、あなたこそどうして私が冷え性だと思ったのです。あなたがそうであるように私もあなたに体温を計られた覚えはありませんよ?」
言われてみればその通りだ。シュウ=冷え性は一体どこから出てきた情報なのだろう。
「まあ、体温など身一つあれば計れますし、その時の記憶ではありませんか?」
なるほど。ぽん、と拳で手のひらを叩いて納得する。
「いや、ちょっと待て。身ひと……」
八センチ頭上を見上げればそこには絵に描いたような笑顔が。
「冬場はとても温かいので助かりますよ」
【失言】
「いや、素直に家でおとなしくしてればいいのでは?」
ジト目を隠さないチカの正面にはシーツを二重にかぶった「お化け」が一匹。目が覚めて以降、うずくまったままうーうーとうなるばかりでそれはもううるさかった。
「魔術が使えない時点で負け確なんですから素直に逃げなさいよ」
なのに毎回律儀に歯向かって翌朝にはシーツのお化けに生まれ変わってふてくされるのだ。まあ、何て面倒くさい子どもだろう。
自らの領域にいる間、チカの主人はマサキをそばに置きたがる。そして、そばに居ればしつこいくらいかまうのだ。当然、マサキの機嫌は急降下。結果、結構な確率で売り言葉に買い言葉のバトルが勃発するのである。結果はごらんの通り。
そもそもここにくればちょっかいを出されるのは目に見えているのだから痛い目を見たくなければ家でおとなしくしていればいいのだ。だからついチカは口に出してしまった。
「特別用事がないなら少しくらいこちらに来なくても大丈夫ですよ。ご主人様だって忙しいでしょうし、マサキさんだってもうちょっとゆっくりしたいでしょう?」
「そういえば……、そっか!」
「いや、今まで気づかなかったんかいっ⁉︎」
どうやらチカの言葉はマサキにとってまさに天啓だったらしい。本当にこのおバカさんは!
「そうだな。そうする。じゃあ、しばらくこっちには来ねえ!」
シーツの向こう側に大変良い笑顔が見える。素直なことは美徳である。だが、チカは忘れていた。マサキはとても大ざっぱな性格であったのだ。
「……世間一般では二カ月を少しとはいいませんよ?」
それから約二カ月。ぱたりとやんだ「迷子」の来訪に今度は主人の機嫌が急降下したのは言うまでもない。
【「楽園」は終了しました】
「お前、これで何度目だよ」
「知りません。全部ご主人様が悪いんですっ‼」
鮮やかな新緑。間近で見れば存外艶やかで指が触れればふんわりとして触り心地がいい。なるほど「巣」としてはとても上等だ。
「俺の頭なんだけどな」
きっかけはもう忘れてしまったが、ある日、公園の木陰でうたた寝をしていたマサキを見つけてわざわざ載っかってきたのだ。
「あ、これ全然ありですわ。あたくし大満足!」
「人の頭の上でテンション上げてんじゃねえっ!」
がっしとつかんで事情を聞けば非道な主人の仕打ちに耐えかねて飛び出してきたというではないか。
「いや、それいまさらじゃねえか?」
あの男に人情味を求めて何とする。
「まあ、そこを突っ込まれると返す言葉もないんですけどね。さすがにストレスゲージがブレイクしたと言いますか」
何というかもうどこでもいいから飛び出したくなった、らしい。
「あー、まあ、その、何だ。少しくらいなら休んでもいいぞ」
さすがにちょっと哀れになってきた。
そんなこんなでマサキがチカに「巣」を貸し出すようになってしばらく、チカはついに「楽園」の終焉を知る。
「そういえばな」
「はい」
「この間、街中で偶然あいつと出くわしてよ」
「あ、ちょっと待って。何か今とっても不吉なフラグが」
「ついでだからお前の扱いをもうちょっと何とかしてやれって言っといた」
「いやああぁぁ——っ‼ 期待を裏切らない死亡フラグありがとうございますこんくしょうバカヤロウ!」
バレた。この流れで行けば来る。来なくていいけどきっと来る。だって、あの人「歩く死亡フラグ」だもん!
「そうですか。なら期待には応えないといけませんね」
噂を聞いて影がさす。「歩く死亡フラグ」のご登場であった。
「デスヨネーっ!」
「楽園」は終了しました。チカの脳裏に無情なアナウンスがこだまする。
「楽園」は終了しました。
【浮世離れ】
世間俗事の煩わしさから超然としていること。また、世の中の動きや常識に無頓着なこと。
「お前もたいがい浮世離れしてるよな」
耳慣れた言葉だった。普段であれば聞き流すものであったが今回ばかりは違った。
「あなたも十分、浮世離れしているでしょうに」
存在の根底に諦観の薄氷を張る青年。齢一五でラ・ギアスに召喚されるまでに彼の「世界」では一体何が起こっていたのだろう。シュウですら目を疑うことがあるのだ。今目の前に立つ青年は一秒前の「彼」と本当に同一人物なのだろうか、と。
瞬間的なことではあったが「彼」は当たり前のように「世界」の「向こう側」に所在を変えてしまうことがままあった。そう、自覚のないまま人間としての存在が希薄になり、気づけば得体の知れない何かとなって「向こう側」へ。
ぞっとした。今まで隣にいたはずの存在が一瞬とはいえ得体の知れない何かに変わり果てるのだ。しかも、当人にその自覚は一切はない。それはとても恐ろしいことだった。
彼の根底に張られた諦観の薄氷。その底には何があるのだろう。時に斜に構えた態度で「世界」を見る彼の「世界」は一体何色をしているのだろう。そこに色彩はあるのだろうか。
「なあ、何か悪いことでも思い出したのか?」
不思議そうにこちらを見上げてくる。のんきなものだ。
「いえ、少し怖い話を思い出しただけですよ」
「へえ。お前でも怖い話ってあるのかよ!」
「あなたは人のことを何だと思っているのですか」
「シュウ・シラカワ」
理不尽と慇懃無礼が服を着て歩いているような男。何とも辛辣な評価である。
「まあ、でも、大丈夫なんじゃねえか。お前だし」
けらけらと笑う。
ああ、彼の笑顔に小さな安堵が胸に湧く。彼はどこにでもいる人間だ。短気で喧嘩っ早く手に負えないほど頑固で負けん気が強い。ただの、人間。
「そうですね。そうあるように努めましょう」
いつか本当に奪われるかもしれない。それだけは何としても避けなくては。胸に巣くう不安を振り払うようにシュウは努めて平生のように笑った。その奥底で「世界」の「向こう側」をねめつけながら。
【メンテナンス】
マサキは大変大ざっぱな性格であったがサイバスターの整備に関してはウェンディからもその手際を称賛されるほどに細やかであった。何といっても愛機の整備である。それは力も入ろうというもの。
「その代わりシステム周りは今でも苦手なようですね」
「そこはシロとクロに任せてるんだよ。実際、あいつらだけで間に合うんだからいいだろ」
「そんなわけがないでしょう。曲がりなりにもあなたはサイバスターの操者なのですよ。最低限、自機のシステムくらいは把握しておきなさい」
もっともな意見であったがマサキにしてみればそれはとても酷な話であった。手を動かすならまだしも長時間頭を動かしつづけるなどもはや苦行である。
「まあ。あなたの場合、直感に頼ることのほうが多いようですし実際それで目的が叶っているのですから面倒には思うでしょうね。ですが、きちんと覚えておけば兵装の故障率は確実に下がりますよ?」
たとえばサイフラッシュの故障率を今より三割下げることも決して不可能ではないだろう。
「マジかっ⁉︎」
「ええ。ですから、もう少し真面目に勉強してみませんか?」
マサキはシュウの提案に食いついた。
「ご主人様、趣味炸裂してますね」
如何にシュウとてさすがにサイバスターのシステムを完全に再現することは難しい。そもそもこれは整備の訓練である。必要最低限の環境さえそろえばいいのだ。シュウは機能を絞ったエミュレーターのパターンをいくつか用意したが事はそれだけでは終わらなかった。
「正魔装機全一六体のシステム周り全部ぶちこむとか……」
共通機関部分の物理的な整備に関しては仮想現実で補った。きちんと五感をともなう仕様にしておいたので実際の現場でも問題なく対応できるだろう。肝心のシステム面に関しては正しくクリアするたびにスコアを追加表示する仕様に変えておいた。
「さて、規定時間内にどれだけクリアできるでしょうね?」
「上等だ。やってやろうじゃねえかっ‼」
そして始まるタイムアタック。
まずは基礎の基礎を基本的な条件下のエミュレーターで叩き込み、ハイスコアを維持できるようになった頃合いを見計らっていよいよ本命へ。
「前々から思ってはいましたが、あなたは興味がある事柄に関しては驚異的な学習能力を発揮しますね」
あくまで基礎レベルの範囲内であったが集計データ一瞥したシュウは軽く頭を振る。
「何だよ。ちゃんと覚えたんだから別に悪いことじゃねえだろ」
「これだけの結果が出せるなら普段からもっと真面目に勉強しなさい、ということですよ」
本当に何てもったいないことをするのだろう。関係者たちからすればこれはもう立派な「損失」である。
「このままで終わらせるのは本当に惜しいですね……」
念のためにと用意したシミュレーターのパターンはまだ十数種類以上ある。ランダム要素を組み込めばまだまだ可能性は広がるだろう。彼がとても優秀な『生徒』であることはデータが実証している。彼はどこまで成長するだろう。そして、自分は彼をどこまで成長させられるだろう。そう「人財」となり得る人材は私財を投じてでも育てるべきだ。それが彼ならなおのこと。
「ご主人様、育成ゲーになってますよ、育成ゲー」
「失礼な。優秀な『生徒』の成長を期待しているだけですよ」
「いや、その顔で言われても信憑性ぶっちぎりのどマイナス!」
何て爽やかで邪悪な笑顔。矛盾の二文字も木っ端微塵である。
「さあ、次は何を試しましょうか」
喜々として追加のプログラムを書きはじめる主人にチカは「才能の無駄づかい」という八文字をただ静かに噛みしめたのだった。
「……なまじ才能がありすぎるのも考えものなんですねえ」
