No.12 <<<
【PCW】
「あなたならきっとすぐ乗りこなせるでしょう」
気分転換にと半ば強引に連れ出された先のリゾート地で一度だけ乗ったPCW=水上バイク(PERSONAL WATER CRAFT)。操縦には専用の免許が必要になるため実際の操縦はインストラクターに任せていたが、きらめく太陽と青空の下、アクアマリンを溶かし込んだ海原を疾走するあの快感は全身が風に飲まれるのではないかと錯覚するほど強烈だった。
叶うなら今度は自分で手で操縦して自由に風を切りたい。そう願ったのは確かだ。しかし、それも「価格」という現実の絶壁に呆気なく砕け散ってしまった。現実は非情である。
目の前の男はそれをどこで聞きつけたのか、真新しい「手土産」を手に上機嫌でマサキのもとを訪れた。
「一人乗りなら手頃な価格でありましたので」
「……お前、ゼロの桁数えたか?」
確かにメジャーな三人乗りに比べれば手頃な価格ではあっただろう。だが、一般市民の金銭感覚では七桁万円の代物を「手頃な」価格とは言わない。断じて言わない。
「免許が取れたら三人乗りも検討しましょう。プレシアもきっと喜びますよ?」
その手にはすでに何冊ものカタログが。
加えて日本国内に限れば免許取得にかかる日数はわずか二日。「迷子」中に取得する余裕は十分にある。何より目の前の男が言う通り妹はきっと喜ぶだろう。
「……礼は言わねぇからな」
目の前に用意された最新型のPCWにマサキは今年の夏のスケジュールがほぼ確定されたことを悟ったのだった。
【グルメなんです!】
「一度聞いてみたかったのですが」
「何だよ、めずらしいな」
「日本人の食に対するあの執念は一体どこからきているのですか?」
聞けば研究の都合で地上に出たさい、スポンサーから日本料亭での食事に誘われたらしい。そこでフグを出されたのだと。
フグ。フグ目フグ科の魚の総称。
体は太っていて腹びれがなく体表にとげ状の鱗を持つものや鱗のないものがある。口は小さく歯は癒合してくちばし状を呈し、よく水を飲んで体を膨らませる。多くは内臓に毒を持ち肉は淡白で美味。トラフグ・マフグ・キタマクラなど日本近海に約四〇種が知られている。
「かんたんに調べてみましたが縄文時代のとある貝塚の住居跡地からフグの骨が出土していましたね」
「そこか、そこからか。もうDNAレベルじゃねえかよっ!」
しかし、当たり前だが縄文時代にフグの正しい調理法が確立されているはずもなく、フグの骨と一緒に住民が急死したような遺骨も発見されていたという。
「命がけにもほどがあるだろっ‼」
マサキは生粋の日本人であるがさすがにその執念にはついて行けない。
「よほど犠牲者が多かったのでしょうね。安土桃山時代の頃にはすでにフグを食することに対して禁止令のようなものが出ていたようです」
「おい、安土桃山」
連綿と受け継ぐな、少しはくじけろ。フグ食史。
「それでも犠牲者があとを絶たなかったのでしょうね。江戸時代にはとうとう『フグを食べて当主が死んだ家は永久に断絶』という掟までできたとか」
「……日本人、よそに回せよ。熱意と執念」
「あなたも日本人でしょうに」
一八八二年にはついに明治政府が「フグ食の禁止令」を出してフグ食が完全に禁止となったが、この禁止令に対する反発は大きく一八九八年に山口県限定でフグ食を解禁したのを皮切りに徐々に全国で復活していったのだった。
「海藻を消化できるのも日本人だけのようですし、食に対する執念は本当に凄まじいですね」
「おれもそう思う……。誰だよ、縄文時代からフグ食い始めた奴は」
「問いただしたければタイムマシンを作るしかありませんね」
そして数日後、シュウに連行される形で地上に出たマサキは件の日本料亭でフグのフルコースを堪能することになるのだった。
「……うまい」
縄文人の舌は確かだった。
【ネコゼ繫がりです】
ネコゼフネガイ−猫背舟貝
学名Crepidula fornicata
エゾフネガイやシマメノウフネガイと似た笠貝のような外観をした約五センチ以下の巻貝で、北西大西洋沿岸に住み他の貝に付着して生きる
「肩こりですか?」
「鉄板通り越してオリハルコニウムが入ってるって言われた」
「それは……、また重症ですね」
ラングラン軍が太鼓判を押す整体院の院長いわく、これはもう駄目だ。と匙を投げられたらしい。その激務とサイバスターの搭乗時間を考えれば致し方ないとはいえまさかオリハルコニウムに例えられるとは。
「せめて超抗力チタニウム程度なら」
「それグランゾンの装甲だろうが。なぐさめにもなってねえからな!」
しかも猫背になりかけているとも言われたのだ。
「筋トレもだけどもうちょっとストレッチに励めってよ」
「一足飛びで改善するものではありませんから、こればかりは仕方がありませんね。そういえば」
「そういえば?」
「ネコゼフネガイという巻き貝があるのですが」
「ねこぜふねがい?」
「ええ。日本語では文字通り『猫背舟貝』と書きます」
ネコゼフネガイはエゾフネガイやシマメノウフネガイと似た笠貝のような外観をした約五センチ以下の巻き貝で、北西大西洋沿岸に住み他の貝に付着して生きる。この巻き貝は性決定がとても風変わりなのだ。
「生まれたときに性別決まってねえのか?」
「多くの生物は生まれた時点で性別が決まっていますが、一定の環境下で性転換する生物は意外といるのですよ」
ネコゼフネガイは海底の岩に最初に固着した個体が大きなメスとなり、そこへ別の個体が次々と積み重なって一番上の小さな貝がオスになるのだ。そして、間に挟まれた貝たちはオスでもメスでもない中性になる。
「え、性別ねえの?」
「一番下のメスが死ぬとその上にいた貝が卵巣を発達させて次のメスになるのですよ」
「何だそのだるま落としっ⁉︎」
「とても風変わりでしょう?」
「風変わりというか何というか……」
ちょっと受け入れがたい生態だ。フィクションのモンスターだと言われたほうがまだ納得できる。ついでに脱力してしまった。
「少しは気が抜けましたか?」
「ちょっとだけな」
だから、筋トレもストレッチもあとに回して一寝入りだ。
「要りますか?」
当たり前のように差し出された上掛け代わりの白い外套。当然だ。もうすっかり習慣になってしまった。受け取ると同時に丸くなる。身長差八センチ。服に着られてしまうこの現実だけはいまだ腹立たしい。
「起きたらストレッチを手伝ってあげますよ」
オリハルコニウムを伸ばすのは苦労するでしょうから。そう楽しげに笑う男にマサキは口をへの字に曲げて無言の抗議に徹した。あとで覚えてろよ、性悪男め。
「確かにこれは……。オリハルコニウムですね」
数時間後、あまりの固さに絶句するシュウにマサキはちょっとだけ泣きたくなってしまったのだった。
【その行く末は、きっと】
実年齢と加齢の速度がかみ合っていない。それはマサキだけでなく魔装機神操者全員に言えることだった。
他の操者たちが年齢に沿って老いていくのに対しマサキたちの時間はその半分以下の速度で緩やかに流れ、いまだに老いを実感できずにいた。しかし、だからこそマサキたちは常に前線に立って戦いつづけた。戦いつづけられた。
人間としての時間から取り残されつつある。突きつけられた現実に悲嘆した時間は決して短くなかったが、操者としての責務を考えればいっそ無慈悲ともいえる「加護」も受け入れるしかなかった。実際、魔装機神隊の任務は過酷だ。それが魔装機神の操者ともなればなおのこと。ましてや魔装機神には【大量広域先制攻撃兵器】が装備されていたのだ。到底、老いた体で扱えるものではなかった。
「お前、もうすっかり爺さんだな」
「あなたはようやく二十代後半といったところでしょうか」
マサキより少しだけ年上だった男はまもなく九〇歳を越えようとしていた。
研究者として詰めに詰めた不摂生な生活のツケが回ってきたのだろう。男の老いは平均よりも少しばかり早かった。当の本人は人生において満足な研究成果を残せたと微塵も後悔していなかったが。
「後悔はありますよ」
かつての玲瓏な声はしわがれてしまって時に喘鳴すら混じる。
「あなたをここに残して逝く」
おそらく「後継者」が見つかるまでマサキたちが人間らしく老いて逝くことはできないだろう。誰もがそれを察していた。マサキたちの「異変」を解決するための術を誰も探そうとしないのはそのためだ。
精霊の王たちが操者に求めるものは数多く、また厳しい。ゆえにその眼鏡にかなう人間を探し出すのは容易ではなかった。
「あと何年かかるだろうな」
過ぎ去る時間に落胆する時期はとうに過ぎた。今はただ「後継者」の出現を待ちながらラ・ギアスのためにひたすら戦う日々だ。
「何十年後かもしれませんよ」
それだけ希有なことなのだ。
「さすがにその頃には死んでるだろうよ」
「そうあって欲しいですね」
けれどその現実を精霊王たちは受け入れ手放すだろうか。自分たちの声を聞きその加護を受けてラ・ギアスのために戦う希有な人間たちを。
「一緒に行きませんか?」
「どこへだよ」
「どこへでも」
逃げてしまおう。ここではないどこかへ。
「行かねえよ」
即答だった。行けるわけがない。自分は魔装機神操者なのだ。
「おれたちはそのためにここにいるんだ」
この身に背負った魔装機神操者の誇りにかけて。
「お前は先に逝ってろよ。どうせ向こうでも本の虫になるんだろ」
「その行く先が精霊界であれば、の話ですがね」
一時とはいえ邪神の走狗であった者に果たして精霊界はその門を開くだろうか。
「ゼツに比べりゃ十分マシだろうが」
いいからさっさと先に逝ってろ。つっけんどんに言い放ち足早に部屋を出る。最後の見舞いはそうして終わった。
「人の心配よりてめぇの心配してろよ。馬鹿じゃねえか」
「マサキ、それはちょっと言い過ぎ」
「そうよ、あなたのことを心配してくれたのに」
「そこは素直に受け取れ」
見舞いを終えたマサキを待っていたのはマサキ同様あの日から変わらぬ姿を維持する仲間たち。
「いちいちうるせえな。それより、任務じゃねえのかよ。先に行くぜ!」
サイバスターに乗り込み、サイバード形態から一気に加速。
あと数日もすればあの男は逝くだろう。多くの仲間たちがそうであったように。
「逝けやしねえよ」
「後継者」が見つかるのはいつだろうか。そしてそのとき自分たちは果たして人と言えるもののままだろうか。
「逝けやしねえ……」
その頃には、きっともう。
【七夕】
七夕。引き裂かれた恋人同士が年に一度の逢瀬を許される日。
「ずいぶんと甘い為政者もいたものです」
七夕の伝説を聞いたときは呆れてものも言えなかった。最終的に改心したとはいえ事の発端は自らの怠慢。つまり自業自得である。それの何がロマンチックなのか。情にほだされて逢瀬を許可した為政者も為政者だ。
「あのなあ、誰もそこまで深く考えちゃいねえよ。少しくらいは目をつむってやれよ」
大衆が求めているのは年に一度、別れ別れになった恋人同士が再び出会えるというイベント部分のみなのだから。
「そうね。だから年に一度くらいは大目に見てやるわよ」
とあるデータの解析依頼を快く引き受けた自分に才媛の従姉妹はそう言って眉間にしわを刻んで見せた。
今回は長逗留になる。しばらくラ・ギアスには帰れそうにない。そう伝えたとき彼は少しだけ肩をすくめて笑った。
「相変わらずだな、お前。ちったあ休めよ」
倒れても知らねえぞ。善処します。そう言って互いに背を向けてからもう二カ月がたつ。
「あなたの善意には感謝しますよ、セニア」
見上げた先は雲一つない夜空。
貴石の海原を翔るのは夜目にも鮮やかな白銀の翼だ。
「早めに解析終わったからデータ取ってこいって言われたんだけどよ。お前ら、今度は何やらかす気だよ」
「あなた方の手をわずらわせるほどの話ではありませんよ」
一日千秋。そんな感情は生涯理解できそうにない。当時は確信すら抱いていたというのに世の中とはわからないものだ。
だが、そんなことよりも、今は。
「天の川を、見に行きましょう」
彼の手を引いて永遠の星空へ。
