SS集-No.11-15

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No.15 <<<

【ミルクピッチャー】

 たまたま通りがかった雑貨店で目にしたミルクピッチャーはめずらしい形をしていた。
「おや、これは」
 猫の形をしていたのだ。背中からミルクを入れて注ぎ口は口許になっていた。なかなかシュールである。店主に尋ねればすでに在庫はなくショーウィンドウの展示品が最後というではないか。シュウは即決した。同時にその足で懇意にしている紅茶専門店へと向かう。ちょうどいい。この機会にティーウェアも一式そろえてしまおう。
「……お前の凝り性がどうしようもないレベルなのはわかってたけどな、限度ってもんがあるんだよ。どうするんだよ、この量。ティーキャディスプーンはまだ許容範囲内にしても、何でポット三種類全部買ってきてんだよ。しかもこのメーカーめちゃくちゃ高いやつじゃねえかっ‼」
 キッチンの中央に陣取り仁王立ちでシュウの前に立ちふさがるマサキは大変おかんむりであった。無理もない。とはいえシュウからしてみればささいな出費である。ここまで叱られるとは夢にも思わなかった。
「ですが面白い形をしていましたし、どうせならそろえたほうが見目もいいでしょう?」
「だからってティーウェア一式そろえてくるな。お前、これそろえるのに一体いくらかかったと思ってんだっ!」
 ティーカップに記されたロゴはフクロウ。創業八〇〇年を超える老舗紅茶専門店アルエッグのロゴだ。そのアルエッグのティーウェアである。一式そろえるのに数千クレジット程度で収まるはずがない。予想されるであろうカード明細の金額にマサキは天を仰いだ。
 そもそもこのセーフハウスの住人は基本シュウしかいない。サフィーネたちも訪れるがそれは必要な用事があるときだけだ。必要以上の干渉をシュウは嫌う。
「ったく、もともと使ってるやつが壊れたわけでもねえのに何で買ってくるかね」
 シュウが手ずから紅茶を振る舞う相手など限られているだろうに。
「あなたに似合うと思いましたので」
「は、おれに似合う?」
 そして差し出されたのは猫を象ったミルクピッチャー。
「今あるティーウェアでこれに似合うものはありませんでしたから」
 ふさわしいものを買い直した。それだけだと実に楽しげに語る。マサキはもう二の句が継げなかった。
「わかった。もう買うなとは言わねえからせめて次からは買う前に相談しろ」
「そうですね。善処します」
 そしてこの数週間後。面白そうだったからと土地付き一軒家を一括購入したシュウにマサキが悲鳴を上げたのは予想されてしかるべき結末であった。

【死なばもろとも】

 ふと気になった。
「なあ、道連れにしたほうがいいか?」
 それは何事もないある日の午後。
「いきなりどうしました?」
「何か急に思いついたんだよ。お前、独りにしたらまずいかなって。でも」
「でも?」
「よくよく考えたらお前、スゲぇ頭いいだろ。お前じゃなきゃできねえこととかきっと山ほどあるだろうし、期待してる奴らだって大勢いるだろ?」
 だから、やっぱり駄目だと思った。神妙な顔でうなずく。こちらの気持ちなど聞きもしないで。だから、敢えて問うた。
「あなたの本心はどうなのですか。それは私の身を案じてのことでしょう?」
「——いやだ。だって、お前生きてるだろ。なのに連れて逝くのはおかしい。死んだら死んじまうんだ。どこにもいなくなる。おれはいやだからな」
「わたしがそれを望んでいるとは思わないのですか?」
「それでも、いやだ」
 即答だった。何てひどい仕打ちだろう。人でなしの彼は彼以上の人でなしに向かって生きることを強いてくる。
「あなたらしいですね」
 そうやって、自分はきっと駆けるように空へと逝くくせに。ならば、
「では、私があなたを連れて逝きましょう。それなら文句はありませんね?」
 だからその日まで。
「私と一緒に生きてもらいますよ」

【その価値と義務を】

「死んでも止める」
 彼はそう言い切った。その時、彼はまだ幼かった。おのれの立場を知らず価値を知らず、その義務をいまだ理解していなかった。
 けれど時を経た今、彼は迷わずこう答えた。
「殺してでも止める」
 彼はようやく理解したのだ。おのれの立場を価値を生き延びるべきその義務を。
「合格点ですよ」
 もしも自分がかつてのように世界の脅威と化したなら、と問うたシュウにマサキは一瞬の躊躇もなくそう答えた。実に喜ばしいことだ。
 魔装機神操者である彼の誇りはラ・ギアスのため。そして、その命は次代へ責務を託すために。だからこそ死んでも務めを果たす、などという自己犠牲は論外なのだ。たとえ多くの他者に犠牲を強いてでも彼には生き延びる義務がある。
「……お前、また変なこと考えてんじゃねえよな?」
「まさか。ただ、喜ばしいことを素直に喜んでいるだけですよ?」
「いや、喜ばしいって……」
 思わず後じさる。目の前の男の思考回路はどうにも偏屈過ぎて理解が追いつかない。
「今に始まったことじゃねえけどよ、お前、ほんと変な奴だな」
 ほとほと呆れ果てたと肩をすくめるマサキにシュウはただくつくつと喉を鳴らすだけであった。

【お出口は、あちらです】

 ただし、人生の出口になりますが。

「けっちょんけっちょんですね。もう、ボロ雑巾も真っ青じゃないですか!」
 玄関先に山と積まれているのは悪意しかない不法侵入者たちの半死体だ。いくら破壊神の信奉者に世間一般の人権が不要とはいえ、これほど完膚なきまでに叩きのめされた様を見るとさすがに哀れが勝ってしまう。
「まあ、ねえ。間が悪かったといえばそれまでなんですけど」
 秋の夜長、健やかな寝息をたてる唯一無二を膝に載せ、お気に入りの小説を片手に紅茶で一息ついていたところへ殺気と悪意の一個小隊が「お邪魔します」と問答無用で押し入って来たのだ。気分を害すのは当然である。
「何せ突発的な任務続きで当初のデート予定日から三カ月もずれちゃってましたからねえ」
 三カ月。そう、三カ月ぶりなのである。チカの主人は自身の欲に大変素直な御仁であった。そして、報復のために自力で破壊神を木っ端微塵にするほど執念深かった。
 結果、悪意しかない不法侵入者たちはこの世の地獄を見た。
「静かにしていただけますか。マサキが起きたらどうするつもりです」
「いや、静かにするも何もすでに人生詰んでるんですが。人生の出口卒業してます、ご主人様」
「そうですか。それは喜ばしいことです」
 汚泥にまみれたゴミを見る目だった。
「駄目だ、この男。人生の辞書から容赦の『よ』の字を秒で抹殺してやがるっ‼」
 このままでは不法侵入者たちを廃棄するためだけにブラックホールクラスターを起動しかねない。しかし、慌てふためくチカの不安はものの数秒で解決された。
「なんだよ、うるせえなあ」
 つい先程まで惰眠をむさぼっていたマサキが起きてきたのだ。
「勝手に出て行くんじゃねえよ。寒いだろ。それ、貸せ」
 そうして有無を言わさずシュウの外套を引っぺがし、袖を通す。身長差八センチ。見事に服に着られている。
「先に寝るからな」
 うつらうつらしながら向かう先はゲストルームではなくそこからさらに奥にある扉。シュウの寝室だ。相当気が抜けているらしい。
「……あのー、ご主人様?」
 不穏な気配はマサキが顔を出した時点で霧散している。主人の表情に変化はないがそれはあくまで表面上の話だ。チカにはわかる。なんて現金な男だろう。
「片付けは明日にしましょう」
「いや、だからもう人生の出口卒業してますって」
「何か問題でも?」
「何モモンダイアリマセーン!」
 玄関先の半死人小隊にはもはや一瞥もくれず、シュウもまたマサキを追う。おそらく明日はこの三ヶ月でもっとも穏やかな一日になるだろう。
「なんていうか、ほんと。相手が悪かったんだと思いますよ。ご主人様ですから。まあ、でも。結果的にご主人様の機嫌も直りましたし、そこはご苦労様でした。これに懲りたら次の襲撃からはもう少しTPOをわきまえてくださいね。——次が、あればですけど」
 異論はなかった。
 物言わぬ肉塊と化した元不法侵入者たちは実にものわかりのよい肉塊であったようだ。
 お出口は、あちらです。

【貝紫】

 貝紫、または古代紫。英名はロイヤルパープル、ティリアン(チリアン)パープルとも。
 たまたまネットの雑学記事を読んでいた時だった。
帝王紫ティリアンパープル、まさにご主人様の色ですね!」
「ティリアンパープル? 何だそれ?」
 首を傾げるマサキにチカは大仰に呆れて言ったものだ。
「日本では貝紫・古代紫と言われている紫色のことですよ。アクキガイ科の巻貝から採れる染料なんですがほんのわずかしか取れないので染め物として使うにはとてつもない手間暇がかかったんです。古代では権力者のみが手にできる色と言われていたんですよ」
「それがどうしてあいつの色になるんだよ?」
 確かにあの男は元王族で紫色の髪をしているが。
「だから、そのままの意味なんですってば。ほら、見てくださいよ。これです、これ!」
 指し示されたのは画面に表示された色見本。
 澄んだ赤みのある紫。
「へえ、きれいな色だな」
 自然と口を衝いて出た素直な感想だった。どうしてだか見慣れたはずの色がとてもきれいに見えたのだ。
「……あれ?」
 目の前には絶句したまま固まるローシェンが一羽。もしかして何かまずいことを言ってしまっただろうか。
「おれ、何か変なこと言ったか?」
「いや、変なことというか何と言うか……」
「何だよ。きれいな色だから素直にきれいな色だって言っただけじゃねえか」
 何も間違ったことは言っていないはずだ。
「だから、それを言うなら場所とタイミングと相手を選べという話でして」
 器用にも羽で頭を抱えるチカの視線を追えばそこにはめずらしく驚いた様子で固まる男がひとり。そこでマサキは思い出す。そういえばこの男の髪色の話をしていたのだ。
「なあ。お前の髪、きれいな色してたんだな」
 だから声に出した。知らず微笑すら浮かべて、それはそれは嬉しげに。
「ご主人様、差し出がましいとは思いますが、もうちょっと言葉の選び方について教育したほうがよくありません?」
 主人の心労を察しつつもチカは進言する。ここで矯正しておかなければ今後「犠牲者」が増えるばかりになってしまう。
「……検討しておきましょう」
 素直な称賛を素直に喜べばいいのか、あるいはその無邪気さが今後もたらすであろうトラブルに頭を抱えればいいのか。シュウは片手で顔を覆うとそれは深い深いため息を吐いたのだった。

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