No.17 <<<
【ガスパチョ】
「お前、足むくんだりしねえの?」
前々から不思議だった。目の前の男は用事らしい用事がなければだいたいは書斎なり研究室なりで研究に没頭している。そうでなければやたら小難しい本を手に読書にいそしんでいるのが常だった。座りっぱなしか立ちっぱなしなのである。そのうえお世辞にも食生活が健康的とは言い難かった。必要な栄養はきちんと摂取しているのだがサプリメントや健康補助食品に頼ることが多かったのだ。マサキからすれば不健康ここにきわまれりである。
「そこまで怠惰な生活を送ってはいませんよ」
むくみの大きな要因は下半身の筋肉不足だ。王族であった頃の習慣の延長としてまたグランゾンのパイロットして、日々、鍛錬を欠かさないシュウに筋肉不足などという怠慢が発生する余地はない。だが、マサキは納得しなかった。何せ目の前の男はそれはそれは不摂生な生活を送っているのだ。
「信じられるわけねえだろ。普段の生活考えやがれ」
「嘘ではないのですが」
「予備軍には違いねえだろうが」
真性の学徒は意固地で困る。自身の偏屈を棚に上げマサキは大きくため息をつく。これは対策を練っておかなければ。
そして数日後、紙袋にいくつかの食材を詰めてマサキはセーフハウスに乗り込んできた。有言実行である。
「借りるぜ」
紙袋の中身はトマトジュースと玉ねぎ、そして数本のおくらとカレー粉であった。
「お前は座って本でも読んでろ」
キッチンから家主を追い出すとマサキは洗ってがくを取ったおくらをラップで包んで電子レンジに放り込み、過熱がすむと粗熱が取れるのを待って小口切りにする。そしてトマトジュースに切ったおくらとみじん切りにした玉ねぎを大さじ二杯。最後に器に盛って塩とカレー粉を振れば完成である。
「よし。食え!」
ついでに持ってきていたアーモンドもオマケに付けてやる。
「ガスパチョですか」
「これくらいなら面倒くさがらずにできるだろ」
手間と言えばおくらの処理と玉ねぎのみじん切り程度だ。サプリメントや栄養補助食品で栄養自体は間に合うとはいえやはりきちんと食べて欲しい。これでも結構心配しているのだ。
「そうですね。あなたが手ずから作ってくれたものですし」
このささやかな善意はとてもいとおしいものだ。無下になどできるはずもない。
「……何でお前はいちいち大げさなんだよ」
「そうですか?」
当たり前の事実を語っているだけなのだが。
「まあ、いいけどよ。とにかく、本を読むにしろ何かするにしろ、それ食ってからにしろよ」
食べ終わるまでここで見張っているからな。腕を組み仁王立ちで宣言するマサキにシュウはひとつ提案をする。
「でしたら、あなたも一緒に食べましょう。あなたの分は私が作りますから」
他愛ない提案だった。マサキは特に何も考えることなく了承する。
「ったく。普段からこうやって作りゃあいいんだよ。仕方ねえ奴だな」
本当に手が焼ける。キッチンへ向かったシュウの背中に視線を投げたままマサキは大仰に肩を竦めてみせる。
「いや、それただ『餌待ち』してただけだと思いますよ」
一部始終を窓際で目撃していたローシェンの指摘は真実であった。
「悪党」はどんな栄養よりも善意と好意が大好物なのである。
【根も葉もあるけどない話】
事の発端はつけっぱなしにしていたTVの教養番組だった。
「そういえば、お兄ちゃん。地上だと一番大きな花って何なの?」
世界最大の動植物特集だったのだ。
某月某日、ふと思い出したそんなある日の記憶。
この機会にと手元のタブレットに映し出されたそれについて尋ねてみれば、返ってきたのは信じられない事実だった。
「ラフレシアは完全寄生植物なので根も葉もありませんよ?」
「え」
「ありません」
「マジ?」
「はい」
「植物なのに?」
「はい。ついでに光合成もしません。その機能自体がありませんからね」
「植物なのにっ⁉︎」
「栄養は寄生先のミツバカズラから得ているのでそもそも光合成をする必要がないのですよ」
「は? 何だそれ。無駄にデケぇんだからせめて自分の栄養くらい自前の光合成で何とかしろよ。怠けてんな」
ワーカホリック気味の風の魔装機神操者は怠けものに大変厳しかった。
「ラフレシアのような完全寄生植物は植物界においてとても稀有な存在なのですが……」
何せラフレシアとその近縁種は中生代白亜紀にまで遡る古い起源を持つとされているのだ。その長きにわたる進化の末に獲得した能力を「怠惰」の一言で片付けられてはたまらない。
「何だよ、デカい以外に何がそんなにめずらしいんだよ」
「とても希少な種なのですよ」
「そんなに数が少ないのか?」
世界一デカくて数が少ない花。なるほど、希少と言えば希少だ。
「ラフレシアの生育地は東南アジア地域の熱帯林に限定されています。完全寄生植物なので宿主であるミツバカズラ属が生息する場所でしか生存できません」
「他の連中に寄生すればいいじゃねえか」
「ラフレシアはミツバカズラ属以外には寄生しません。寄生できない、とも言えるでしょう」
生息地は狭くさらに寄生できる宿主も限定されている。確かに厳しい環境だ。
「何かラスダン限定のレアモンスターみたいな連中だな」
感受性豊かな若者の感想は大変率直であった。
「そのためラフレシアは非常に死亡率が高い花なのです」
「死亡率?」
今、植物とはあまり縁のない三文字が聞こえなかっただろうか。
「ラフレシアの花芽が死亡する原因は自然的要因と人為的要因の両方にあります」
「宿主になるやつが減ってるとかか?」
「そうです。ラフレシア同様宿主であるミツバカズラも絶滅危惧種ですからね。人為的要因は熱帯林の伐採や土地利用の転換による環境の破壊です」
結果、ラフレシアの生存率は下降の一途をたどり、現在、フィールドによってはその花芽の八〇パーセント以上が開花を迎えることなく死亡するという。
「八〇パーセント以上って……、そんなにかよ。何か、思ってたより苦労してんだな、こいつら。怠けてるとか言って悪かったよ」
純粋な憐れみもだが少なからず罪悪感が湧いたらしい。重々しい表情で画面に向かって頭を下げる。悪いことをしたら素直に謝りましょう。
「その素直な感性は称賛に値しますが、あなたときどき愉快な反応をしてくれますね」
まさか、一植物の死亡率を告げただけでこうもしゅんとしてしまうとは。万事この調子だとしたら、なるほど。ちょっかいをかける側も熱が入ろうというものだ。早急に対策を講じねばなるまい。
「真顔で愉快とか言うな。ぶっ飛ばすぞ、てめぇ!」
「褒めているのですよ」
まるで一人漫才ですね。悪意はない。当人に悪意はないのだ。たぶん。一〇〇パーセント面白がっていることは間違いないが。
「第三者視点からするとご自身も十分、漫才の相方にカウントされてるんですけど自覚はあるんですか、ご主人様」
直後、圏外で一部始終を傍観していたチカは星となった。
【襲来、サカバンバスピス!】
「言いたいことはわかった。気を使ってくれたってのも理解した。そこは素直に謝る。けどな、ものには限度ってもんがあるんだよっ‼」
肺の空気をめいっぱい使ってマサキは吠える。
指さす先はゲストルームのベッド。そのど真ん中に鎮座していたのは他でもない。全長一メートル二〇センチを越える巨大サカバンバスピス——の抱き枕が三つ。グレー、パープル、グリーン。いずれも色違いである。
「あなたがあまりにも肩の力を抜かないので強硬手段を取ることにしました」
ここ数カ月、立てつづけに過酷な任務をこなしてきた弊害なのだろう。平時でありながら一向に肩の力を抜けなくなっていたマサキをおもんばかったシュウの行動は早かった。
「だからって、ド直球に脱力生物ぶつけてくるな!」
興奮のあまりマサキの顔はすでに真っ赤だ。そう、シュウが実行したのは約四億五〇〇〇万年前に生息していた古代の無顎魚による奇襲であったのだ。視覚を経由した脱力効果は覿面だった。ちなみに抱き枕の左右を飾っているのはエビフライの尻尾とあじフライの尻尾をゆるキャラ化したぬいぐるみである。どちらも全長約五〇センチ。店頭で目が合った瞬間に即決したLLサイズであった。そこはせめてSサイズで妥協すべきではなかったのか。よくよく見ればシーツの柄もサカバンパスピス仕様であった。抜かりない。
「悪魔か……」
人情を解さない【総合科学技術者】の辞書に容赦の二文字はなかった。
それからしばらく、訪問のたびにぶん投げられていた巨大サカバンパスピスであったが。
「そろそろ一度置いたらどうですか」
「あ? いやに決まってんだろ。こいつ触ってると結構気持ちいいんだよ」
思いの外触り心地が良かったらしく気づけばサカバンバスピスとセットで寝転がるようになったマサキに、家主の機嫌が直滑降したのは皮肉な話である。
グレーとグリーンはともかくパープルカラーのサカバンバスピスは速やかに納戸の最奥へと封印されたそうな。
【雪の妖精】
体長約一四センチ。その半分は尾で占められ体重はわずか八グラムから九グラム。身体は丸く真っ白な顔とつぶらな瞳はその愛らしさから目にした人間の多くに笑みを誘う。
「雪の妖精」の愛称で親しまれるその小鳥の名はシマエナガ。日本の北海道にのみ生息する野鳥であった。
「わざわざ買ってきたのですか。地上に出てまで?」
テーブルに並ぶのは真っ白な小鳥を模したカップサイズのケーキが四つ。仲間外れにならないよう使い魔たちの分も買ってきたらしい。
「……何となく」
「あなたは……。こちらに来るよりも休息を取るのが先でしょうに」
つい先日までとある紛争地域——その激戦区にいたはずだ。ひとまず休戦協定が結ばれたとは聞いていたが部隊の要であるマサキとサイバスターがいの一番に離脱したとはとてもではないが信じられなかった。
「これ、結構有名なんだぞ。甘すぎないし」
「この小鳥はシマエナガですか?」
「そんな名前だったと……、思う」
子どもの頃、お土産でもらった時の記憶を頼りにしたせいか「うまくて甘過ぎないケーキ」ということしか思い出せなかったそうだ。
「無理をしなくてもよかったのですよ?」
「べ、別に無理はしてねえぞ!」
嘘ではない。これはリベンジなのだ。一年にわたってマサキの予定をことごとくへし折ってきた理不尽に対するリベンジ。
バレンタインもホワイトデーも奇跡的にもぎとった夏休みもすべて吹き飛んだ。前半は突発的な任務のドミノで。後半はテロリストとヴォルクルス教団からの刺客による襲撃で。すべて。そう、すべて吹き飛んだのだ。
マサキの機嫌は爆発した。大爆発である。それはもう凄まじい有り様だった。当時、運悪く復活したヴォルクルスなど八つ当たりも兼ねていたせいで文字通り一寸刻みの五分刻みにされた挙げ句、アカシックバスターで消し炭にされてしまったくらいだ。
「惨い最期でした……」
「とか言いながら、残る分身をブラックホールクラスターで事象の地平に直送の直葬にしてたのはご主人様ですよね?」
マサキの予定がことごとく吹き飛んだということは裏返せばシュウの予定もまたことごとく狂ったということだ。そして、今日はクリスマス・イブ。正直、今回もまたのっぴきならない事情で諦めざるを得ないと思っていたのだ。それがまさか。
「これ、やる。腹減ってるだろ」
ふてくされた表情のまま、けれどその手に愛らしい「雪の妖精」を収めたケーキ箱を手に現れたのは。
「もう意地を通り越して執念の塊状態だったんだにゃ」
「ヴォルクルスも裸足で逃げ出す形相だったにゃ」
両国合意のうえで結ばれた休戦協定もその実体は鬼神のごときサイバスターの八面六臂に震え上がった結果だというではないか。何でもサイフラッシュだけで半径二〇キロ圏内すべての魔装機と戦艦が行動不能に陥ったとか。
「復讐者レベル極まってるじゃないですか。どこかの特異点から魔力リソースかっさらってぶち込みでもしたんですかっ⁉︎」
「うるせえ。ちゃんと任務こなしたんだから文句言うな!」
よくよく見れば頬が少し赤い。どうやらここに来るまでに一杯引っかけてきたらしい。
「ケーキと一緒にワインも買ったにゃ。イライラしてたから一気に一本開けたんだにゃ」
「三本買ったのにコクピットに忘れて来たにゃ。もうただの酔っ払いにゃ」
使い魔二匹は主人の醜態に呆れ返っていた。
「あなたの心づかいはとても嬉しいのですが、やはり先に休みましょう。ケーキは明日食べればい——」
「いやだ」
「マサキ」
「い・や・だ」
「そうは言っても疲れているでしょう?」
「食う。今食う。絶対食うっ‼」
もう完全に駄々っ子だ。こうなるとシュウでも手に負えない。ならば。
「実はいろいろ用事があって今日はとても疲れているのですよ」
「……」
「ですから、一緒に休みませんか。そのほうが私も安心ですし」
「……」
「ケーキは明日食べましょう。せっかくのクリスマスです。ゆっくり過ごせるならそのほうがいいでしょう」
「………………嘘だったらぶっ飛ばす」
「あなたを相手に嘘などつきませんよ。さあ、部屋に行きましょう?」
手を差し伸べた途端、マサキのまぶたが落ちる。傾ぐ身体を受け止めればすでに意識はなかった。本当に意地だけで立っていたのだろう。
「一足早いクリスマスプレゼントですね」
明日、目覚めた彼は自身の発言をどれだけ覚えているだろうか。実に楽しみだ。
「ええ。本当に、楽しみです」
腕に抱いたぬくもりは消えることなく。
【今年のサンタは「勝ち屋」です。】
勝ち屋。家から二駅先にあったおにぎり専門店。今も記憶に残るのはガラスケースに並んでいたできたてのエビ天、ツナマヨ、鮭の塩焼きだ。そういえばケースの端っこにはあなご飯もあった気がする。あの頃はまだ小学生だった。両親に連れられて何度か運動会と花見の弁当を買いに行ったのだ。すっかり忘れていた。どうして今になって思い出したのだろう。
「何か欲しいものはありますか?」
問われ、そういえば何も食べていなかったことを思い出す。
小さな子どもよりも聞き分けのない連中をサイフラッシュで黙らせて、それから何もかも振り切るように飛び出した。
「ヤンロンには私から説明しておくわ。いってらっしゃい」
そう言って送り出してくれたテュッティにはあとで蜂蜜の一斗缶を贈っておこう。頭はぐつぐつと煮えたぎっていたはずなのに不思議とそこだけは冷静だった。
気づけば北海道のとある公園で突っ立っていた。頭の上では「雪の妖精」の愛称で知られる丸くて真っ白い小鳥たちが羽根を膨らませて暖を取っている。
「店、どこだっけ?」
何となく。そう、本当に何となく思い出したのだ。お土産に貰ったシマエナガの小さなケーキ。あれは誰だっただろう。父親の知り合いだったか母親の同級生だったか。けれど愛らしい「雪の妖精」にはしゃぐ子どもはもういない。それでも。
「何で買っちまったかねえ」
そうしてケーキのついでに適当なワインを三本買った。コクピットで一本開けてしまったのはまずかったかもしれない。アルコールは疲労の天敵だったのだ。眠気がひどい。気を抜いたらその場でひっくり返ってしまいそうだ。
そうして意地と執念でたどり着いた先は気難しい男の隠れ家。
「無理をしなくてもよかったのですよ?」
やることなすことそつない男は不機嫌なマサキを見て少し困ったように笑って見せた。そんなに無理をしているように見えただろうか。せっかくリベンジに来てやったというのに。
言いたいことは山ほどあった。晴らしたい鬱憤も山ほどあった。バレンタインもホワイトデーも奇跡的にもぎとった夏休みも、全部、全部、あれだけ必死に頑張ったのに全部吹き飛んでしまった。これを理不尽と呼ばず何と呼ぶ!
「それでも今日には間に合ったでしょう?」
「何か……。お前、嬉しそうだな?」
ふわふわする。そういえばここはどこで今は何時だろうか。思い出せない。
「心配せずとも明日は誰にも邪魔させませんよ」
髪をなでる手は優しい。そうか。嘘をつかない男が言うならそうなのだろう。
「何か欲しいものはありますか?」
もう一度、同じ事を問われた。
「勝ち屋、の……天むす」
運動会と花見。ほんの数回だけ食べたおにぎり弁当。たぶん、二度と買えない。だってあそこはもう自分が「帰る場所」ではないから。
「それだけ、ですか?」
「……それ……、だけ、で、いい」
それ以上はきっと未練になる。
「あなたの願いはいつもささやかですね」
ささやかすぎて逆に苦労します。そんな風に笑った男の顔は逆光でよく見えなかった。
「……なぜ、天むす?」
翌朝、二日酔いを引きずってゲストルームから這い出たマサキを待っていたのは遠い記憶に残る勝ち屋のおにぎり弁当だった。
「どうかしましたか?」
「なあ、これ……」
キッチンの奥からミルクティーを手に現れたシュウに記憶が怪しいマサキは首を傾げながら尋ねてみる。
「ああ、それですか。現場のスタッフからのお礼ですよ」
「現場のスタッフ?」
「あなたが眠ったあと地上で少しトラブルがありまして」
見過ごせない内容だったので急遽ゲートを開いて自ら現場に赴いたらしい。
「事態が収まった頃には日付が変わる寸前で、そのお詫びにと受け取ったのですよ」
運が良いのか悪いのか。サンタクロースに先を越された気分です。そう肩をすくめるシュウにマサキはただただ首を傾げるばかりだった。
