SS集-No.16-20

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【ティーカップ・タンザナイト】

 まるで新しいおもちゃを見つけた「子猫」だ。
 つり気味の目を大きく見開き、時にしばたたかせながら手にしたティーカップに首を傾げている。
 シンプルな白いティーカップに広がる紺青の空。バタフライピーティー。ハイビスカスやローズヒップティーに比べてマイナーなこのハーブティーをシュウが目にしたのは学会の都合で地上に出た帰り。何かしらの土産でもとシンガポールの紅茶専門店に立ち寄ったときだった。
「なあ、これ何で青いんだ?」
 どうしても理由が思いつかなかったのだろう。頭上でクエスチョンマークを行進させたままマサキは素直に問うてきた。
「テルナチンという青色色素を含んでいるからですよ」
 バタフライピー(ちょう豆)は東南アジアを原産とするマメ科の植物であるが、これがアントシアニンの一種である天然の青色色素——「テルナチン」を含んでいるのだ。
「へえ。でも、何か絵の具みたいだな。きれいだ」
 よほどお気に召したらしい。その声は今にも踊り出しそうだ。
「ずいぶんと気に入ったようですね」
「だって面白いだろ。青いんだぜ!」
 生まれて初めて見た。好奇心に素直なマサキは大はしゃぎだ。おかげでシュウはさきほどからずっと放置されっぱなしである。
「さすがに薄情ではありませんか?」
 何せこの愚痴すら届いていないのだ。本当に何て薄情な「子猫」だろう。
「でしたら、もう一つ面白いものを見せてあげますよ」
 ティーソーサーのかたわらに置かれていたスライスレモンの果汁をマサキが手にしたカップに落とす。
「え」
 一瞬だった。まるで日が暮れるかのように紺青の青空が夕暮れの濃い紫へと染まっていく。
「スゲぇ、色が変わった‼」
「レモン果汁にはクエン酸が含まれていますからね」
「何だそれ」
「バタフライピーに含まれるテルナチンはアルカリ性。酸性のものを加えることで赤色に変化する特性があるのですよ」
 かんたんに伝えれば何か思い浮かんだものがあったのだろう。数回、首を傾げてからぱっと顔を輝かせてマサキは声を上げる。
「そうだ、あれ。タンザナイト!」
 タンザナイト。見る角度や周りの環境によって色が変わる「多色性」を備え、暮れの空のように青から紫まで色が変化する「タンザニアの夜」にちなんで名付けられたといわれる貴石。
「こいつ、お前らっぽい!」
「お前ら、とは?」
「お前らって言ってんだからお前ら以外いねえだろ。ほら、グランゾン青いだろ。お前の髪、紫だし!」
  だから、お前らっぽい。それはまるで世紀の大発見を成し遂げた冒険者の顔であった。シュウからすればその場で頭を抱えたいところであったが本人はいたって大真面目なので下手な反応はできない。機嫌を損ねでもしたら最悪一カ月の面会拒否が待っている。
「ご主人様、躾」
 どこからともなく舞い下りてきたチカが半目で進言する。
「……後日、あらためて時間を取りましょう」
 今に始まった話ではないがこの破壊的な言葉選びはどうにかならないだろうか。当たり前のように投げてくるのが言葉のボールではなく炸裂弾などもはやホラーである。
「感想を口にするのは自由ですが少しは場所と言葉と相手を選びなさい。誤解されますよ」
 ようやく一つため息をつく。
「何だよそれ。別にいいだろ。言うにしたってお前くらいしかいねえんだからっ!」
 訂正。炸裂弾ではなく焼夷弾であった。
「ご主人様」
「今すぐ時間を取りましょう」
 言葉選び、大事。
 これ絶対。

【それは魔法の国への】

 新しい長靴に少し大きめのカッパを着て雨の中を思う存分、駆け回った。ただ、お供に連れていきたかった父親の傘は小さな子どもには危ないからといつも取り上げられてしまったので、そのたびに癇癪を起こしてよく両親を困らせたものだ。
「雨の匂いは雨の匂いだろ。間違ってねえんだからそのままでいいじゃねえか」
 文字通り濡れ鼠となったマサキをシュウが見つけたのは利用頻度的にそろそろ処分を考えていたセーフハウスのリビングだった。窓際に座り込んでただじっと雨雲を見上げていたのだ。
「……風邪を引きますよ」
 腕を引いて立たせれば素直に従ってきた。けれどこちらを見ようとはしない。無言のままだ。普段の様子を考えればいっそ不気味なほどだった。
「まず、身体を温めてきなさい。話はそれから聞きましょう」
 着替えを持たせそのままバスルームへ。
 再びリビングに戻ればそこには尻尾をぺたんと床に落としたシロとクロがいた。
「事情を聞いても?」
「雨の匂いがしたんだにゃ。でも」
「雨の匂いは雨の匂いじゃにゃかったの」
 ヤンロンが、と名前が出たところでシュウは得心した。なるほど。彼は地上で教職に就いていたと聞く。ならば「雨の匂いの正体」を知っていても不思議はない。だが、それがマサキにとっては意気消沈するほどにショックだったのだろう。雨の匂いは雨の匂いのままでいい。きっとそうとうな思い入れがあったに違いない。
「少しは落ち着きましたか?」
「……おぅ」
 きちんとパジャマに着替えたマサキはやはり暗い顔をしたままだった。
「ヤンロンに何を言われたのですか?」
 途端に険しくなる表情。その錐のごとく鋭い視線の先はシュウの足下に隠れた二匹の使い魔たちだ。
「大したことじゃねえよ。ただ」
「ただ」
「雨の匂いに『正体』なんて、あったんだなって……」
 雨の匂いを構成する要素は三つ。オゾン、ペトリコール、ゲオスミンだ。
 まず生成されたオゾンが下降気流に乗って地表付近へ運ばれ、これが鼻にツンとした金属的な香りとして届く。そして雨が降ったときに地面から上がってくる匂い——ペトリコール。最後の要素が土の匂いのもととなるゲオスミンだ。
「ガキの頃、雨が降るたびに何かスゲぇなって思ってたんだよ」
 空から降ってくる大量の水。まるで世界中が水の底に沈んでしまったかのようだった。きっと雲の上にはすごい魔法使いがいて雨を降らせているに違いない。そう、まだ幼かったマサキにとって雨は【魔法の国】への招待状だったのだ。
 ラ・ギアスにはめずらしい長雨。だからだろう。今はもう遠い遠い彼方になってしまった思い出が息を吹き返したのは。
「なるほど。彼に他意はなかったでしょうが」
 今回ばかりは間が悪過ぎた。
 感情の起伏が激しく多感なマサキは時にひどく神経質になる。ヤンロンの善意は知らずマサキの不可侵——ささやかな思い出——を踏み荒らしてしまったのだ。
「悪気がないのはわかってんだよ……」
 ただ、理解はしても感情がついてこなかった。だから、逃げ込むように雨の中に飛び込んだのだ。そうすれば何もかもが流れ落ちる気がしたから。
「それでこの有り様ですか」
 今のところ熱は出ていないようだが安心はできない。自覚のないまま疲労をため込むのがマサキだ。幸い意気消沈している今なら素直にシュウの言うことを聞いてくれるだろう。だが、それで解決する話ではない。
「聞かせてくれませんか?」
 マサキをソファーに座らせると真正面からシュウは請うた。瞬間、マサキは目を見開く。
「……つまんねえぞ」
 軽くにらみつける。シュウの意図は理解できなかったが悪意が無いことだけは理解できた。目の前の男はマサキにたいそう甘かったのだ。
「けれどあなたの大切な思い出でしょう。私にとってはそれだけで十分な価値がある」
 まるで幼子をあやすかのように頭をなでられる。
「お前……、馬鹿じゃねえか」
 それが精一杯の意地と悪態。けれど優しい手は頬をなでるばかりで。
「あなたと同じ【世界】を見たくなっただけですよ」
 だから、もう一度【魔法の国】へ行きましょう。
 雲の上の魔法使いもきっとあなたを待っているから。

【偶像(idol)】

「今のあなたはまさに偶像アイドルそのものですね」
「お前、頭沸いたのか?」
 誇らしげにけれど確かな嫌悪をにじませて笑う男をマサキは辛辣に切り捨てる。 
 救国の英雄。最強の魔装機神サイバスター操者。地上地底を問わず積み上げられた輝かしい戦績。へきえきするほどもてはやされた。そして、そこに流し込まれた悪意善意好意のヘドロに吐きそうになったことは一度や二度ではない。だというのに今度はアイドルである。もはや悪意しか感じない。
「偶像としてのアイドルですよ」
 マサキの不機嫌を察したシュウは素早く自らの言葉を訂正する。
「偶像?」
「偶像の起源は象、幻影を意味するラテン語の『idolum』やギリシャ後の同じく現像、幻を意味する『eidolon』に由来します。偶像崇拝という言葉を聞いたことはありませんか?」
「どっかで……、聞いたような気はする」
 だが、それと自分に一体何の関係があるというのか。
「自覚がないとは言わせませんよ」
「……」 
 無視は許されなかった。
 そう、腹立たしいことに自覚はあるのだ。
 古代、偶像は神や霊を象徴する像や彫刻を指し、崇拝の対象だった。そして、このラ・ギアスにおいて精霊王と契約しその人格を宿した魔装機神もまたその例に漏れず、それは魔装機神の操者であるマサキたちも例外ではなかった。
 誰もが皆というわけではない。けれど確かに人々の信仰の一片は自分に向けられている。その事実の恐ろしさと苛立ち。そして一抹の嫌悪。けれどその「務め」を放棄することはできない。自分は魔装機神操者なのだ。
「心配せずとも、ちゃんと引きずり下ろしてあげますよ」
 すべて見透かされている。
 その出自から生まれたときよりかしずかれ、民を見下ろす立場にいた男は崇拝の甘美をよく理解していた。自由とは相反するその「檻」の毒と醜悪も。それゆえに差し出されたその言葉。
「お前はもうちょっと言葉の選び方を考えろ! ……まあ、そのときは頼むわ」
 差し出された手を握り返すことは——決してできないと互いに思い知りながら。

【Morgue Tour】

「はぁ⁉︎ 遺体安置所観光だぁ? 頭イカれてんのかっ‼」
 当時は彼のルーブル美術館よりも人気の観光スポットであったと告げれば一般的な倫理観に従順なマサキは辛辣に吐き捨てた。
「観光名所となったのは結果的にであって本来の目的は別にあったのですよ?」
 暇をつぶしに来たから暇をつぶせそうな話をしろ。それはもう横暴な理由でシュウの元にやってきたマサキは、現在、サカバンバスピスの抱き枕に引っ付いてカーペットの上に転がっていた。抱き枕は連日の任務で疲労していたマサキの緊張をほぐすために以前シュウが購入したものだ。
「何だよ、本来の目的って」
「身元確認です」
 セーヌ川から引き揚げられた水死体や路地裏で見つかった遺体はその状況から最後まで身元が特定されないことが少なくなかった。当時は世間に知らせたり、近親者に連絡したりする体制が整っていなかったため、市はどのようにして遺体と遺族を結びつけるかで頭を悩ませていたのだ。
 そして一八〇四年、警視庁の建物に初めて遺体安置所が設置された。もちろん観光施設としてではない。遺体の身元を特定してもらうための施設としてだ。
「何だ。まともな理由じゃねえか。それがどうして観光名所になんだよ」
「都市計画の余波と言えばいいでしょうか」
「都市計画? 再開発とかそんなやつか?」
 一八六四年。遺体安置所は警視庁からシテ島にあるノートルダム大聖堂の裏手へと移転した。多くの人々が行き交う場所で正面には高価なガラス張りのウィンドウ。そのガラスに向かって傾いた大理石の台と遺体の上に絶えず水が降り注ぐ光景は役所の施設というよりも展示場のような印象を見る者に強く与えた。
 これはアクセスしやすく、可視性を高めた街づくりというパリ大改造計画の論理が遺体安置所のレイアウトにも反映されたためである。
 それだけではない。報道によって挿絵付きの新聞が出回り、遺体安置所の遺体にまつわる謎が大々的に報じられるようになったのだ。人々はただ遺体を見に来るだけでなく、背景にある物語を追い、結末がどうなったかを知るために遺体安置所を訪れるようになった。
「……胸くそ悪い話だな」
 マサキの機嫌は急降下するばかりだがシュウが口を閉じる気配はない。
 特に人気を集めたのは大衆向けの安い新聞だった。派手な見出しや息をもつかせぬ名推理劇。画家による遺体の挿絵が読者の好奇心を大いにかきたてた。
 人々は第一報から事件を追い始め、遺体安置所に足を運び、その後の裁判にまで駆けつけるようになった。それは「死」の消費であった。現代人が実際に起きた事件をもとにした連続ドラマを娯楽とするように、当時のパリの人々もまた「死」を娯楽として消費していたのである。
「どいつもこいつも正気じゃねえ。どうなってんだよ、頭の中!」
 一九世紀後半には遺体安置所を一日に訪れる人の数はルーブル美術館の来館者数を上回り、エッフェル塔の入場者数の実に四倍にまで達したという。
「一八八〇年代までには世界各地で同様の施設が作られました」
 ニューヨークが大規模な遺体安置所を建設したのを皮切りにサンフランシスコ、ローマ、ベルリンなどの大都市がそれに続いたのだ。
「確かに悪趣味な話ではありますが、専門分野における確かな貢献も果たしていたのですよ?」
「はっ。遺体安置所観光の何が貢献だよ。ふざけたこと言ってんじゃねえぞ」
 証拠があるなら見せて見ろ。そうがなるマサキにシュウはハードカバーサイズのタブレットを取り出してマサキに手渡す。
「パリで法医学と現代的な捜査手法を学んだ検死官たちが母国で同様の制度を導入した記録です」
 人々が熱心に遺体安置所を観光する裏側で警察も遺体の特定や犯罪現場における手順などを学んでいたのである。
「何事にも良い面と悪い面があります。この遺体安置所についても同じ事。その歴史と事実は認めるべきでしょう」
「……」
 けれど納得しきれないのだろう。マサキは口をへの字に曲げたままサカバンバスピスの抱き枕にヘッドロックをかける。八つ当たりだ。
「納得できないのなら、せめて覚えておきなさい」
 歴史は必ず風化する。そうしてそこに綴られた数多の事実もまた時の砂漠に埋もれていくのだ。
「その事実がおのれの無力が、無知が悔しいのであれば。あなたならできるでしょう?」
「お前ほんとむかつくなっ‼」
 全力で投げつけられるサカバンバスピスの抱き枕。しかし、全長一メートル二〇センチはあっさりとかわされてしまう。
「……考えて、は、おいてやる」
 そう言ってそっぽを向くのが精一杯だった。

 すべての始まりとなったパリの遺体安置所は一九〇七年に閉鎖された。現在は人知れず新しい施設が作られそこには人々の行列と歓声、熱気はなく。今はただ安らかな静寂のみが満ちている。
 どうか、安らかに。

【猛毒なので】

 特に山もオチもないある日の会話。
「……なあ、こいつらカエルだよな?」
 黄色、オレンジ、ミント。何の色かと言えば体色である。
「カエルですね。これは外敵を遠ざけるための『警告色』と呼ばれる護身術の一種です。わざと目立つ色をしているのですよ」
 地上から持ち込んだ雑誌に載っていたとある絶滅危惧種のカエル。その鮮やかすぎる体色はひと目でマサキを絶句させた。なるほど。確かにこれだけ強烈な色をしていれば相手もひるむかもしれない。そして、こんな個性的な存在を突きつけられれば湧いてくるのが好奇心というもので。
「こいつ名前なんて言うんだ?」
「モウドクフキヤガエルです」
「は?」
「猛毒ですから」
「もうどく」
「猛毒です」
「まさか『ふきや』って……」
「コロンビア先住民のエンベラ族は何世紀もの間、モウドクフキヤガエルの毒を使った吹き矢で狩りをしていましたからね」
 それが名前の由来です。淡々と語るシュウに対しマサキはまたも絶句してしまう。
「ド直球にほどがあるだろっ!」
 もうちょっと頭をひねろ。しかし、
「マサキが言えた義理じゃないんだにゃ」
「ええ、にゃいわね。一片も一ミリもにゃいわ」
「他でもないあなたがそれを言いますか」
 ぼっこぼこであった。

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