【幸運を召し上がれ】
それはホールケーキサイズの原石をカットし研磨してできあがったラピスラズリのショートケーキであった。表面を飾るのはいちごに彫刻された三つのルベライトでその輝きはまるでルビーと見紛うほどだ。
「……ラピス、だよな?」
「ラピスですね。たまたま立ち寄ったアンティークの雑貨店に飾ってあったのですよ」
めずらしいものを見つけたと呼び出された先でマサキを待っていたのはテーブルに鎮座するラピスラズリのショートケーキであった。
「で、面白そうだったから買ってきたと?」
「よくおわかりで」
「わからないでかっ! どうせまた安くねえ買い物だったんだろうが。お前は一度でいいから節制って言葉に土下座してこいっ‼」
「それを言うならあなたの方向音痴こそ世の節理に対する謝罪案件では?」
あらゆる常識を無視し次元の壁すらいともたやすく乗り越えていく規格外の方向音痴。しかも、乗り越えた次元の向こう側で何をやらかしたかと思えば世界の行く末を左右する一大事に巻き込まれ、最終的に山と積んだ戦績を背負って帰ってくるのだから勝手に行き来される「世界」からすればもう立派な迷惑行為である。
「ぐぬぬっ!」
自覚があるだけに言い返す術がない。お手本のような地団駄を踏むマサキには一瞥もくれずシュウはテーブルに置かれたラピスラズリのショートケーキを手に取る。
「どうぞ」
「は?」
不意打ちだったからか当然のように差し出されたショートケーキをつい受け取ってしまう。
「え?」
「ラピスラズリは幸運の象徴。そして、幸運と言えばあなたでしょう? 私はどちらかといえば悪運持ちらしいので」
差し上げます。目を白黒させるマサキにシュウはわざとらしく喉を鳴らす。
「え……、と。高い、よな、これ?」
「そうですね。原石を切り取っただけとはいえ高品質のラピスラズリですからそれなりの値段はしますよ。まあ、大した額ではありませんでしたが」
「お前の基準で測るな!」
しかし、受け取ってしまった以上、いまさら突き返すわけにもいかない。というより目の前の男がそれを許さないだろう。抵抗したところであっと言う間に言いくるめられるのがオチだ。
「あとでちゃんと金払うから請求書送れよ?」
でなければ男が廃る。
「差し上げると言ったのですからそのまま素直に受け取ればいいものを」
「安物じぇねえってお前が言ったんだろうが!」
全身の毛を逆立てて怒鳴る。
「あなたは本当に強情ですね」
とても可愛らしい。とは口に出さなかった。
「……お前、今何かスゲぇ不気味なこと考えただろ?」
「失礼ですね。不気味なことなど考えていませんよ。時間の無駄でしょう」
さすが野生の第六感。侮れない。
「ならいいけどよ」
「では、そろそろお茶にしましょうか。見せたいものはもう一つありますから」
「見せたいもの? まだ、何かあるのかよ」
「これですよ」
新しいトレイに乗って現れたのは表面を濃い青のゼリーで覆われたレアチーズケーキだった。
「……まさか、これお前が作ったのか?」
「たまたまバタフライピーエキスのパウダーが手に入ったのですよ」
否定はされなかった。マサキはヒェッと身をすくめる。能面のまま淡々とケーキ作りにいそしむ【総合科学技術者】などちょっとしたホラーではないか。
「あなたのほうこそずいぶんと失礼なことを考えているようですね?」
「仕方ねえだろ! お前がケーキ作るとかもう立派なホラーだからな。絵面考えろ絵面。素直に試験管とドライバーだけ持ってろっ⁉︎」
【方向音痴の神様】は大変素直な性根の持ち主であった。
「そうですか。では、今すぐこれは片付けましょう」
「あ」
トレイを持ち上げた瞬間に漏れたのは未練の一声。
「気になるのですね?」
「……」
「素直に言えばいいでしょうに」
「うるせぇっ‼」
レシピを忠実に再現したチーズケーキは絶品であった。
そして、不本意ながらお土産となったラピスラズリのショートケーキはしばらくの間、仲間内の会話を盛り上げる大変有用な材料となったのだった。
【悪運にサヨナラを】
「これで少しはその性悪を矯正しろ」
突きつけられたのは一枚のポストカード。印刷されているのは一羽の青い鳥だ。
背は尾も含めて光沢のある瑠璃色で尾の基部には左右に白斑があり喉、顔は黒で腹は白い。 全長は約一六センチ程度。オウサマルリハ。エリアル王国における「幸せの青い鳥」御三家の一羽であった。
「これは?」
「この間、ミオが任務でエリアル王国に行ったんだよ。その時『幸せの青い鳥』フェアやってたんだと」
何となく勢いで関連グッズを衝動買いしてしまったらしい。ポストカードはその一枚であった。
「なるほど。しかし、なぜこれを?」
「お前、自分は悪運持ちだって前に言ってたじゃねえか」
だから、これでも飾って少しはその性悪と悪運を矯正しろ。何とも尊大な物言いであったがシュウは呆れるよりも先に微笑ってしまう。
シュウが口にした悪運は不運という意味では無い。「悪事を働きながらその報いを受けないほど強い運」だ。そこはマサキもよく理解しているだろう。それをポストカード一枚で真っ当な幸運に矯正しろとはまったく無茶を言う。
「ラピスラズリのお礼というわけですか」
以前、シュウはラピスラズリの原石を加工して作られたショートケーキをマサキに贈っていたのである。理由は至って単純。幸運の象徴は幸運に祝福された人間が所持するべきだと思ったからだ。「幸せの青い鳥」はその返礼に違いなかった。
「では、ありがたく頂戴しましょう」
真実、幸運の祝福を受けた人間から手渡される「幸せの青い鳥」だ。その加護は信頼に値する。
「……何にやついてんだよ」
「素直に喜んでいるだけですよ」
どうやら顔に出てしまったらしい。
「しかし、私に『幸せの青い鳥』ですか」
我が事ながらこれほど似合わない組み合わせもないだろう。自然と湧き出た自嘲に一瞬喉が震える。
「さて、私の悪運がいつ幸運に変わるのか。楽しみですね」
物言わぬ「幸せの青い鳥」を手に目の前の「幸福」を思う。「悪人」のためにわざわざ「幸運」を運ぶなど物好きもいいところだ。正直、感心するより呆れてしまう。けれどそれはシュウにとって唯一無二から贈られた掛け値なしの善意。
「すでに十分恵まれているのですが」
とても楽しみだ。
【手のひらの蒼穹】
「さて、どうしましょうか」
手元には紺青のガラスペンと同色のインク。贈り物としての見栄えはいいほうだろう。羽を象ったガラスペンはシュウから見ても見事な業だった。
「困りましたね」
もともと買うつもりなどなかった。けれど文具店のショーウィンドウに飾られたこれが目に留まった瞬間、ドアをくぐっていたのだ。
陽の光すら吸い込むほどに濃く深い「空」。そう錯覚してもおかしくないほどに鮮やかな紺青だった。そしてそこに並んで飾られていた同色のインク。店主にそれらを所望したのは必然だったのかもしれない。
「あなたはどう思うでしょうね」
まず間違いなく面食らうだろう。そしてうさんくさげにシュウを問いただすに違いない。彼に対する贈り物としてこれほど不似合いなものもないのだから。
「本当に困りました」
けれど言葉とは裏腹に口許は緩むばかり。
目に浮かぶ。何だかんだと文句をつけながら結局マサキはガラスペンを受け取るだろう。悪意あってのものならともかくこれは紛れもない善意からの贈り物なのだから。
「人が良すぎるのも困りものですね」
そこにつけ込んでいる自覚はある。
「しょうがねえ奴だな、お前はよ」
シュウの機体と同じ紺青のガラスペンを手に困惑しつつもそう言って笑うだろう。
手のひらの蒼穹。彼の手を染める紺青。
「あなたの瞳にはどんな『空』が見えるのでしょうね」
シュウが問えば口下手なマサキはきっとしどろもどろに、それでも本人なりに一生懸命答えてくれるだろう。ああ、楽しみで仕方がない。
「……ご主人様、性悪」
「聞こえませんね」
半目のチカを振り返りもせず喜々として次の予定を立てる。
後日、ガラスペンとインクのセットに追加する形で新たに贈られた緑水晶のインク瓶にマサキが絶句したのは言うまでもない。
「お前はもうちょっと労力を割く方向を考えろ……」
【それが何か?】
リビングの床に転がしたサカバンバスピスの抱き枕に背を預けさつまいもチップスの二袋目を開けたときだ。思い出したようにマサキがソファで読書に耽っていたシュウを振り返る。
「どうしました?」
「いや、今思い出したんだけどよ」
「はい」
「お前、おれのこと好きだよな」
「ええ。それがどうかしましたか?」
即答である。それも真顔で。
「どうかしたっていうか……、何か不公平じゃねえかって」
マサキがシュウに対して明確な好意を口にすることはめったにない。その前に羞恥で大爆発してしまうからだ。どうやらそれを後ろめたく感じていたらしい。
「ああ、そういうことですか。特に問題はありませんよ」
合点がいったシュウに手招きされ素直に隣へ腰を下ろせば当然の様に抱きこまれる。
「いきなり何しやがるっ⁉︎」
「逃げないでしょう?」
「は?」
「あなたは逃げずに私の腕の中にいる。これで証明は十分だということです」
「こんなことでいいのか?」
「ええ、これ以上ないくらいの証明ですので」
「そういうもんか?」
「そういうものです」
これで問題は解決した。
めでたしめでたし——とはいかなかった。
主に「圏外」が。
「はーなーしーてぇーっ! 今日こそ、今日という今日こそぶっ飛ばしますわよ、あのバカップル!」
全身全霊をかけて荒ぶるチカの首根っこを前足で押さえ必死に説得するのはシロとクロだ。
「落ち着くにゃ。落ち着くにゃ。冷静になるんだにゃ。あれはただのバカップルにゃ。近寄ったら馬鹿が感染るにゃっ‼」
「もう手遅れにゃのよ。末期。ステージ4。手の施しようがにゃいの。だからあきらめるにゃ」
「だからって限度ってもんがあるでしょうがああぁぁ——っ‼」
【その「光」にご用心】
「理にかなった戦略ですね」
冷たい声音の端ににじんだそれは確かな称賛を含んでいた。暇つぶしにサカバンバスピスの抱き枕にヘッドロックをかけていたマサキはあっさりとサカバンバスピスを放り出すとそのまま向かいのソファでタブレットに視線を落としていたシュウに歩み寄る。
「何だそれ。……クモ?」
タブレットに映し出されていたのは一匹のクモとそれに関するレポートであった。
「シートウエブスパイダー(Psechrus clavis)ですよ」
「そいつが理にかなった戦略をしてるって?」
「ええ。とても効率的な『狩り』をしています」
レポートを拡大し指先でいくつかマーカーを引く。
「シートウエブスパイダーはホタルの性的なシグナルを戦略的に利用しているのですよ」
「シグナル?」
マーカーを追ってレポートを読めば東アジアの亜熱帯林に生息する「シートウエブスパイダー」がホタルを「光るルアー」として巧みに利用していることを台湾・東海大学の研究チームが発見したとの記載があった。
「光るルアー……」
ルアーとは餌となる小魚などに似せた形・色に作った疑似餌の一種だ。ということはその光とやらが疑似餌の役目を負っているのだろう。
「シートウエブスパイダーは【餌】として捕まえたホタルを利用しているのですよ」
レポートに添付されていた動画を再生してみればそこには蜘蛛の巣にかかった状態で発光しつづけるホタルが一匹。
「え、これって……」
シートウエブスパイダーは捕まえたホタルをすぐには捕食せず、光を放ちつづける間は生かしたまま放置しておくのだという。そして、シートウエブスパイダーの主な獲物となったホタルの生物発光は点滅せず一定の場所でじんわりと光を放っていた。この発光を他のホタル、特に雌を探している雄が「求愛の合図を送る雌」と誤認し、自ら近づいて捕らえられてしまうのではないかと研究者たちは推測しているのだった。
「餌にされるわルアーにされるわ。踏んだり蹴ったりだな、おい」
「ですが、理にかなった戦略でしょう?」
「そりゃあ、まあ。言われてみればそうなんだけどよ」
さすがにちょっと惨い気がする。
「世の中には雄のホタルを女装させるクモも存在しますからね」
「はぁっ⁉︎」
さらっと恐ろしいこと聞いてしまった。マサキは跳び上がりそうになるのを寸前でこらえる。
「オニグモは捕まえたホタルの雄に毒を注入し、発光パターンを雌のそれに装うそうですよ」
シートウエブスパイダーのそれよりよほど手が込んでいるだけあって餌の捕獲率も格段に跳ね上がるそうだ。
「……おっかねえ連中だな」
「彼らも生き残るために必死ですからね」
飄々とした態度を崩さないシュウとは対照的にマサキはほんの少しタブレットから後ずさる。
「これも自然の摂理ですよ?」
「わかってるよ。でも、実際に目にしちまうと……」
どうしても憐れみが勝るらしい。とても正直な感想だ。いっそ呆れてしまう。
「あなたもある意味立派な『捕食者』なのですがね」
まったく恐ろしい話だ。
その背が追うのは確かに「希望」であるはずなのにまるで誘蛾灯のように誰も彼も引き寄せ狂わせて、時に滅ぼしすらしてしまう。なのに当の本人にはてんで自覚がないときている。
「何だよ。何か言ったか?」
「何も言っていませんよ」
ああ、本当に恐ろしい話があったものだ。
