COMPLEX WARS!

短編 List-1
短編 List-1

 ゼノサキス邸のリビングの隅、専用クッションの上でペット向けのおやつに舌鼓を打っているのはマサキの使い魔であるシロ、クロとなぜか堂々と入り浸っているシュウの使い魔チカであった。
「バカですね」
「バカなんだにゃ」
「バカにゃのよ」
 端的かつ辛辣な評価の矛先は言うまでもなくおのれの主人たちである。現在、ゼノサキス邸はとある戦争の真っ只中にあった。その名も「コンプレックス戦争」である。
 コンプレックスは誰にでも存在する。それは身長についてもだ。悪意はなくともデリカシーを欠いた一言は時に冗談では到底すまない事態を引き起こす。今回がまさにそれであった。
「バカですね」
「バカなんだにゃ」
「バカにゃのよ」
 悪意はなかった。それは紛れもない事実だ。しかし、今回はそれを言った相手と言われた相手が悪かった。
「いえ、ですが実際私より小さいでしょう、あなた」
「てめぇが無駄にデカいんだよ。この紫ガリガリ棒野郎がああぁぁーっ‼」
 その会話に至る経緯については完全黙秘を貫かれているので詳細は不明だが、事情を知った周囲の人間たちは頭を抱えるほかなかった。
 マサキの身長は一七六センチ。日本人の平均身長である一七一・五センチと比べると数センチほど高い。間違っても低くはない。
「でも、ご主人様一八四センチなんですよね」
「八センチ小さいんだにゃ」
「八センチ低いのは事実にゃのよね」
 そう、八センチ。ぱっと見その差が気づかれない数センチ程度ならまだしも明らかな身長差を直視させる八センチ差なのである。しかも相手はシュウ・シラカワ。およそすべての事柄において反りが合わない男の口から放たれた「小さい」の破壊力よ。
 さらに追い打ちをかけるかのように「見目がいささか幼い分、余計に小さく見える」とまで言われたのだからマサキが怒髪天を衝くのもむべなるかな。そこはせめて「幼く見える」でまとめる配慮くらいはあってもいいではないか。マサキが負った心の傷は大きかった。
「そりゃあそうよ。だって戦争案件よ、それ」
 リビングのソファに陣取り、なじみのパン屋から新商品のモニターにと貰ったベーグルにかぶりつきながら合いの手を入れてきたのはミオだ。マサキがへそを曲げて部屋に立てこもっていると聞いて冷やかしに来たのだが、事情を聞いて態度を一変させたのである。
「ごめんマサキ、あたしが馬鹿だった。戦争よ、それは一心不乱の大戦争案件よ。伸ばせるなら伸ばしたいわよ、思いっきり。何で今日びのスカートってあんなに丈が長いのよ。嫌がらせ? 嫌がらせよね、嫌がらせだわ。前落とし決めるわよ‼」
 密かに同じ悩みを抱えていたらしいミオがマサキの援護に回ったのである。げに恐ろしきはコンプレックス。
「だが、小さいのは事実だろう。それくらいのことでいちいち騒ぐなど修練が足らん」
 リビングに足を踏み入れるなり一刀両断したのはヤンロンだ。小腹が空いたのかちょうど二階から下りてきたマサキの顔が一瞬で鬼神と化し、ソファで三つ目のベーグルを頬張っていたミオの顔から表情が抜け落ちる。そして、キッチンでミルクティーの準備をしていたテュッティは一キロのグラニュー糖を躊躇なくティーポットへ投下した。
「……おう。ヤンロン、ちょっと面貸せや」
「そうね。貸してくれないと小手捻りの小手返しの転回小手捻りのオマケつけちゃうぞ?」
 立ち上る怒気は死霊も居すくむ鬼気と化しさしものヤンロンも身をのけ反らせる。
「だ、だが、事実には変わりな——」
「いいから面貸せ、この歩く中国四〇〇〇年‼」
 怒りのサラウンドは炎の体育教師を容赦なく玄関口から叩き出した。
「ヤンロン、これはあなたが悪いわよ」
 内紛は数時間に及んだ。
 その後、対マサキ最終兵器であるプレシアの説得によってマサキの籠城生活はひとまず二日で開城を迎えたのだった。

 籠城問題解決から数日後の某月某日某所。十指に及ぶ博士号を有する若き天才は内心で苦悶していた。原因はセンターテーブルを挟んだ向かいのソファでふてくされている青年である。あの失言から間もなく一週間がたとうというのにその機嫌はいまだ悪天候のど真ん中に停滞したままであった。
 おのれの発言がデリカシーを欠いていたと自覚したのはその両目が大きく見開かれた瞬間だ。負けん気の強い彼にしてみればそうとうな屈辱だったに違いない。けれど——けれども自分にとってそれはたいそういとおしいもので。
「素直に口に出せればいいのですけどね」
 そうしたらそうしたらでまた別の意味で大騒動に発展するのは目に見えている。目の前の青年はそれはそれは素直な性根をしているので、伝える言葉をひとつ間違えただけで赤くなったり青くなったり白くなったりと大忙しになるのだ。
「何だよ、さっきから黙りやがって。気持ち悪い奴だな」
「一方的に人の住居に押しかけてきたあなたが何を言いますか」
 口をへの字に曲げたまま押しかけてきた時点で彼の心情は一目瞭然であったが、へそを曲げているわりに自分の真向かいに座って動く気配はない。忙しないのはあちらこちらをさ迷う視線だけだ。どうやら彼なりにタイミングを計っているらしい。
「人のことを言えた義理ではありませんが、あなたも大概強情ですね」
 意図せず口からこぼれた言葉。失言だったと自覚した時にはすでに遅く、天井をさ迷っていた視線がシュウの視界に勢いよく突き刺さる。
「うるせえよ。このガリガリ野郎が」
「以前から気になっていたのですがそれは本気で言っているのですか?」
「何だよ」
「いえ、あなたが何度もガリガリとしつこいものですから」
「事実だろ」
「他の人間ならいざ知らず、マサキ、あなたこそ何を言っているのですか」
「あ?」
「そうでしょう。私がガリガリでないことはあなたもよく知っているでしょうに」
 沈黙が続くこと約一二秒。シュウが指摘した事実にようやく思い至ったマサキは喉がちぎれんばかりの大音声で吠えた。
「今すぐもっぺんで死んできやがれ、このセクハラ野郎っ‼」
 渾身の右アッパーではなく左ストレートであったのがせめてもの温情であろう。もちろん、見事に回避されてしまったのだが。
「バカですね」
「バカなんだにゃ」
「バカにゃのよ」
 二度目の籠城は三日三晩に及んだ。最終日はサイバスターのコクピットだったそうな。

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