何を言っているのかわからなかった。うらやましい、妬ましいと言ったのだ。地上においては十指に及ぶ博士号を有し【総合科学技術者】として不動の地位を築いた男が。それだけではない。自らその権利を放棄したとはいえこの男はラ・ギアスにおいてもっとも恵まれた血筋と魔力を有する元王族でもあったのだ。
およそ平均的な大衆のだいたいが望むであろう社会的地位と能力を有しながらいまさら何をうらやむというのか。
「何言ってんだお前……」
他に何と返せばよかったのか。
両親をテロで失って間もなく一方的にラ・ギアスへ召喚された。魔装機の操者として。一六にも満たぬ子どもがだ。
それからはもう必死だった。慣れぬ環境に人間関係。幸い保護者には恵まれたが地上人に対するあからさまな差別にはずいぶんとへきえきしたものだ。
他の操者と比べて突出した能力があったわけではない。意固地で負けん気が強く平気で上官に噛みつく性格はそうとう扱いづらかっただろう。魔装機操者としての適性がなければ数日で叩き出されていたに違いない。
紆余曲折の末に魔装機神サイバスターの操者として揺るぎない地位を確立したものの地上人に対する差別はいまだ根強い。それどころか強大な力を有する魔装機神の操者であることを理由に強い憎悪や殺意を向けられることも多々あったのだ。そしてそれはサイフラッシュを装備したサイバスターの操者であるマサキに対して顕著だった。
サイフラッシュは【大量広域先制攻撃兵器】だ。それも敵勢のみを標的にし一方的かつ一瞬で破壊する理想的な大量破壊兵器。その最大半径は実に数十キロに及ぶ。撃墜しようにも桁はずれの機動力と飛行能力を有するサイバスターを補足するのは容易ではなく、最悪照準を定める前に自分たちが壊滅されてしまう。
たった一機の存在が戦局を左右しかねない。味方にしてみれば形勢逆転の強力な一手となるが敵対する側からすればこれほど恐ろしい存在はないだろう。だからこそ向けられる感情は両極端に近くなるのだ。
本来であれば青春を謳歌していただろう少年期の後半を生死の綱渡りに費やし、羨望と嫉妬と憎悪と殺意を半ば一方的に浴びせられてきたこの数年間。その日々のどこにうらやむ要素があったのか。
「ほんとに何言ってんだよ、お前……」
いらえはない。自然と視線が下がる。なぜかその顔を直視できなかった。否、したくないのだ。紫水晶——その瞳の底に垣間見えた諦観の黄昏。羨望と嫉妬と自己嫌悪が混じり合ったそれはひどく悲しくそして恐ろしい色をしていた。
「言葉の通りですよ。私はあなたがうらやましい。私では叶わなかったことを当然のように叶えたあなたが」
「サイバスターのこと言ってんのか?」
「それだけならまだ諦めもついたのですがね」
「何だよ、はっきり言えよ」
「こればかりは言葉にするのが難しいのですよ」
常に沈着冷静で端正な容姿にシニカルな笑みを貼り付けている男が、演技でも何でもなく本当に困ったように笑って見せたのだ。まるでどこにでもいる普通の人間のように。普通の人間? そこでマサキは愕然とした。目の前の男を自分は今まで何だと思っていたのか。
「素直であることは美徳ですが、あなたの場合はもう少し繕うことを覚えたほうがよさそうですね」
いつもの皮肉ではない。それは純粋な善意だった。
「私はサイバスターで自由を得たかった。けれどあなたはサイバスターと共に空を駆けたかった。その差ですよ。私にとってサイバスター手段でありサイバスターに選ばれなかった人間の多くにとってもそうだったでしょう」
「それが何だよ。同じ事じゃねえか」
「違います」
即答だった。
魔装機神は兵器だ。そこに個など存在しない。風の精霊王と契約しその守護を得て人格を有していたとしてもサイバスターはあくまで兵器でしかないのだ。
「にもかかわらずそこに明確な個を見いだしたのはあなたくらいでしょう」
でなければどうしてサイバスターはマサキを呼んだのだ。いまだ操者として未熟であったマサキと精霊憑依を可能とするほどにサイバスターがマサキを深く受け入れたのは決してサイフィスの意思だけではあるまい。
「あなたが見る【世界】と私が見る【世界】は根本的な部分がきっと違うのでしょう」
泣きそうだ。いつの間にか握りしめていた拳が開く。手を伸ばすべきだろうか。泣いている子どもはまず頭をなでてから声を聞いてやるものだ。そう誰かが言っていた気がする。
「けれど不思議なことにあなたと同じ場所に立ちたいとは思えないのですよ。むしろ、それだけはしたくない。でなければ、私は世界を呪うでしょう」
「何でだよ。お前、さっきから変だぞ」
「不可侵ということですよ。どれだけ焦がれてもそれを侵すことだけは許されない。私が許さない」
妬み焦がれ嫌悪しながらけれども手を伸ばさずにはいられない。だというのに目の前にあるそれには決して触れようとはしない。誰でもない自分自身がそれを許さないからだ。
マサキには到底理解できなかった。手を伸ばし手を取り合うことになぜ許しが必要なのだ。ただ同じ場所に立ち同じものを見て時に異なるものを見ながら共に歩む。それだけのことではないのか。
「それがあなたのいる【世界】あなただから見える【世界】ですよ」
「じゃあ……お前が見てる、お前がいる【世界】って何なんだよ」
「あなたには見えない【世界】ですよ。いえ、あなたには決して見えて欲しくない【世界】と言いましょうか」
「人をガキ扱いしてんじゃねえよ。おれだってその辺はそれなりに理解してる」
「そういう意味ではないのですが、まあ、当たらずといえども遠からずですかね。ええ、ですからあなたが生きているかぎりこちらには来ないでください。私が困りますから」
「何でだよ。お前ほんと面倒くさいな」
「世界を破滅させたくなる」
だから、こちらには来ないで欲しい。いっそ清々しいくらいの笑みをその口許にたたえて言い放つとシュウはさっと背を向ける。いらえは不要らしい。
「何なんだよ、ほんと何なんだよお前……。言いたいことがあるならほんとの言葉で言えよ」
同じ【世界】にいるはずなのに異なる【世界】に立って同じはずの違うものを見ている。それが間違っているとは思わない。ただ時にそれは悲しく、寂しいことだとは思う。けれど、忘れないで欲しい。
そう、思った瞬間には踏み出していた。
たとえ【世界】が異なろうと声は届く。背を合わせることも。
「やっぱちょっと待て、シュウ。でねぇとぶん殴る!」
そう、こうやってその手を掴むことだって。
「下品ですよ、マサキ。あなたは本当に人の話を聞いてくれませんね」
諦観の黄昏はまだ消えない。それでも、手は振りほどかれなかった。
