あの一件から数日。アップルパイと紅茶専門店のビンテージ品を手にふくれっ面でセーフハウスを訪れたマサキにシュウは一瞬笑いを隠せなかった。これはまたずいぶんとへそを曲げたものだ。
「助けてもらったんだから礼は怠るなってヤンロンがうるさくてよ。アップルパイはプレシアから紅茶はお前が前に飲んでたやつ。店の人に聞いたらちょうど一缶残ってた」
「礼を言いに来た人間の顔ではありませんね」
「うるせえよ」
どうやらこんこんと説教されたようだ。おかげでマサキの機嫌は昨日からずっと線状降水帯のど真ん中らしい。
「至近距離での爆発でしたが特に後遺症などはありませんでしたか?」
「何ともねえ。たんこぶもなかったからな」
「そうですか。なら良かった」
「 ……悪ぃ、面倒かけたな」
「あれは面倒とはいいませんよ。すぐにお茶を入れますからあなたは座って待っていてください。どうせまだ疲れは残っているのでしょう?」
「……そこまでやわじゃねえぞ」
「その沈黙はなんですか。素直に休んでいなさい。準備ができれば起こしてあげますから」
そして数分後。
シュウはマサキが眠るソファの足下に向かって嘲笑する。
「相手を選びなさい。そう言ったはずですよ?」
どうやらあの場には魔術師も何人か潜んでいたらしい。哀れな少女に巣くっていた呪詛の血潮。完全には拭い切れていなかったようだ。
「もう少し懲らしめておくべきでしたね」
しかし、すでに跡形もない外道を罰する術はない。残ったのは影に潜む少女の面影を残した悪鬼のみ。
「もうおやすみなさい」
語りかけるように優しく微笑み、何の躊躇もなくその顔を踏みしだく。一瞬だった。少女の面影を残した悪鬼は断末魔すら許されず呆気なくこの世から消え失せた。
「マサキの命とあなたたちの命とでは比べるまでもないのですよ」
何も知らず何も知らされず、シュウの目の前でマサキは眠っている。
その命、優先すべきは誰がためか。
そんなものは決まっている。
彼の命と誇りはラ・ギアスのため。そして、
「彼自身のため——何より私のためなのですから」
安心しきったように寝息を立てるマサキをおのれの胸にかかえ込みシュウは満面の笑みを浮かべる。腕に抱いた命の何と尊くいとおしいことか。ささやかな幸せをかみしめながら、シュウはおのれの足下に築き上げられた屍山と血河そして怨嗟の幻を一瞥もすることなくただ当然のように踏みつぶしたのだった。
BGM 「名前のない怪物」
