千丈の堤も蟻の穴より

短編 List-1
短編 List-1

「何かあったらすぐに連絡するのよ?」
 そう言ってエーテル通信機を渡してきたテュッティは真顔だった。反対に通信機を渡されたマサキの顔からは完全に血の気が引いていた。すでに「保護者」には一切合切ばれていたのだ。
「俺の苦労っ⁉︎」
 情報の漏洩元に関してはもはや考えるのも馬鹿らしい。何せあの男はセニアに堂々と話を通してマサキの休暇をもぎ取っているのだ。
「そうですね。通常のネットワークでは地上とラ・ギアスを繋ぐことはできませんし、であれば地上との通信が可能なエーテル通信機は常日頃から携帯しておくべきでしょう」
「だったらお前がまず人を拉致るのをやめろ」
 被害者は主張する。
 今回はセーフハウスに到着するとほぼ同時にグランゾンに連れ込まれ、気づいたときには東京の端っこにある某研究所の研究室でチョコフラッペを堪能する羽目になっていたのだ。
「お断りします」
 誘拐犯は傲岸にも拒否権を発動する。あまりにも堂々と拒否するものだから逆にこちらが間違っているのではないかと錯覚すらしてしまう。
「つか、いきなり地上に出て研究所に来るって何なんだよ。ここお前の研究所か?」
「ええ、ダミーの」
 気のせいだろうか。今何かおかしな日本語が聞こえた気がするのだが。
「だみーのけんきゅうじょ?」
「ええ、ダミーです。仮に実害が出てもここなら許容範囲内ですから」
「お前の保有資産どうなってんだ……」
 もはや二の句が継げない。そういえば以前チカが言っていたではないか。そこそこの優良企業であれば秒で買収できる程度の資産はある、と。
「お前、色んな意味でもうちょっと自重しろ」
「無理ですね」
 即答である。一度でいいからこの男を完膚なきまでに叩きのめす方法はないものか。
「それより結構急いでたみたいだけど急な用事でもあったのか?」
「いえ、火急の要件ではないのですが、そろそろデータがたまる頃だと思い出したのですよ」
「データ?」
「ハニーポット。意味はわかりますか?」
「蜂蜜の壺?」
「言葉の意味としては間違っていませんが、今後のためにも一度セニアにネットワーク関連の指導を受けておきなさい。理解しておいて損はありませんから」
 細かい説明を聞けばハニーポットとはネットワーク上で攻撃者やウイルスなどをおびき寄せるためにわざと攻撃しやすいように見せかけたコンピュータなどのことを指すらしい。
「ってことは、ここにそのコンピュータだか何だかがあるのか?」
「ええ、ここはそのために用意したダミーですから」
「何て?」
「ですから、この研究所自体がハニーポットなのですよ。もともと手空きのさいの気分転換が目的だったのですが、始めてみると意外に面白かったものですから」
 恐ろしいことをさらりと言ってのける。
「やることが派手すぎるだろ……」
 頭の良いやつの考えることはわからない。マサキは脱力感を禁じ得なかった。チョコフラッペに逃避しようとしたがすでに完食済みである。現実は非情だ。
「適度な緊張感を維持するためにもちょうどいいのですよ」
「適度な緊張感?」
「ハニーポットは外敵をおびき寄せるための蜜坪です。だからこそ、その保守には細心の注意が必要なのですよ」
 管理がずさんであればいつか必ずほころびを生む。仮にそれが蟻の穴ほどのほころびであったとしても攻撃者たちは必ず突破するだろう。そうなれば何かしらの実害に繋がる恐れがある。それでは「囮」の意味がない。千丈堤も蟻の穴より崩れる。ささいなことでも油断すれば大きな災いを招きかねないのだ。
「何よりいい気分転換になりますからね」
 仰々しく攻撃者の脅威を語るわりにシュウの態度は泰然としてる。この男にとって攻撃者たちの脅威などせいぜい休憩時間の暇つぶし程度でしかないのだろう。
 ちなみに利益性の高い情報を取得した場合はセキュリティーベンダーに提供もしているそうだ。
「いまさらだけどお前とことんえげつないよな」
 せめて攻撃する相手を選べればよかったのに。マサキは顔も知らない攻撃者たちに同情した。趣味か仕事かは知らないが挑んだ相手が悪かった。攻撃者たちの何割かは絶対に後日制裁を食らったはずだ。
「それより、マサキ。あなたはどうなのですか?」
「何がだよ」
「きちんと鍛錬をしているのですか?」
「げっ!」
 まさかの飛び火である。
 もともとマサキは空手とボクシングで全国区に出られるだけの実力があった。ラングランに召喚されからは当時の教官だったラングラン軍の上官により実践的な体術を叩き込まれたのだ。結果、
「お前はもう足技を使うな」
 と関係者全員から苦情をもらう羽目になったのだが。
 剣に関しても「天性の流派」に教える技量はないとある意味放置されてしまったのが実情だ。決して日々の鍛錬をさぼっているわけではない。
「ヤンロンやミオがいるでしょう」
「面倒くさいんだよ、あいつら。一回手合わせしたことがあるけどよ、それができるならあれをやれこれをやれってうるさいのなんの」
 目の前に将来有望な「後輩」がいるのだからそれは指導にも熱が入ろうというもの。こと武術に関してマサキには天賦の才があるようであった。
「しかし、鍛錬に熱を入れていないにもかかわらずあれですか」
 乱舞の太刀。マサキが精霊界での修行を経て修得した技。「神祇無窮流」の奥義に酷似したそれはマサキが養父ゼオルートに師事したわけではなく、一度見ただけのゼオルートのそれを見よう見まねで到達した技だ。
「あなたも十分無茶苦茶ですよ」
 そもそも「神祇無窮流」は使い手を選ぶ。その奥義に酷似した技をろくに魔術も使えず剣の基礎も知らない人間が短期間で修得するなどありえない。
 シュウ自身も「神祇無窮流」の習得者であったがシュウから見てもマサキの成長スピードは驚異的であった。
「あなたの場合はむしろ多少気を抜いていたほうがいいのかもしれませんね」
「何だよ。さっきは緊張感を持てとか言っておいて、今度は持つなって?」
「ええ。あなたの実力を考えるとむしろ余計なお世話だと思いなおしたのですよ」
 それに下手に実力を伸ばされてはパワーバランスを崩しかねない。
「イニシアチブは死守しておきたいですしね」
「何だ、何か言ったか?」
「いいえ。それよりデータの確認も取れましたからホテルに戻りましょうか」
「ん、用がすんだら帰るんじゃないのか?」
「帰りませんよ。そもそもサイバスターがないのですから帰りようがないでしょう」
「え、でも通信機……」
「ええ、こちらから連絡を入れる時に必要でしょう?」
 にこりと笑う悪魔がそこにいた。
「ひっ⁉︎」
 袋小路とはこういう状況をいうのだろうか。もはや現実逃避以外に何ができよう。がしっと腕をつかまれたままマサキはシュウがあらかじめ手配しておいた六つ星ホテルへと連行されて行ったのだった。
 なお、保護者へはきちんと外泊の事後連絡が入ったそうである。当然、連泊となった。

タイトルとURLをコピーしました