Doughnut day

短編 List-1
短編 List-1

 マサキは甘いものがそう得意ではない。バレンタインデーでも板チョコが二枚もあれば十分だとぼやくくらいだ。しかし、何事にも例外は存在するもので、
「あずきとホイップクリーム……」
 ときどき無性に甘いものが食べたくなるときがあるのだ。一種の発作と言っていい。
 目に留まったのは王都にあるドーナツチェーン店のCM。内容はちょうど昨日から発売された新作のリングドーナツ。種類は二つ。一つにはあずきとホイップクリームが。もう一つには生クリームとカスタードクリームがたっぷりと入ったカロリーの爆弾。テュッティであればもろ手を挙げて歓喜するだろうが美容に敏感な女性陣の多くはおっかなびっくり様子見に徹するだろう。何せ比較的甘い物好きのミオでさえ、
「あの組合せはちょっと狂気」
 と後ずさっていたのだから。
「……スゲぇ甘そう」
 だが、今無性に食べたいのはその甘さの爆弾だ。健康的な食生活を真っ向からぶち壊してくる高カロリーの刺客。
 マサキは立ち上がる。思い立ったが吉日。ぐずぐずしていては売り切れる。向かう先は王都の中央通り端。学生たちで賑わう通学路であった。

「それで、後先考えずに店舗へ駆け込もうとしたら周辺でたむろしていた学生たちに見つかって、慌てて路地裏に逃げ込んだら今度は道に迷って最終的にさ迷い出た先のラングラン軍官舎裏で管理人に保護されたと」
 床に敷いた絨毯の上でクッションを抱えたままふてくされるマサキにシュウは呆れ顔を隠そうともしない。
「いちいち声に出すんじゃねえ!」
「事実でしょうに。そもそもあなたが自分の知名度と影響力を正確に把握していないからこういうことになるのですよ」
 剣神ランドール・ザン・ゼノサキスの聖号を賜与されたゼノサキス家現当主にして救国の英雄。ラングランが世界に誇る魔装機神サイバスターの操者、マサキ・アンドー。まさかその本人が変装もせず素のままで通学路途中のドーナツチェーン店に現れるなどと誰が想像しようか。学生たちが騒然となるのも当然であった。
「近所のおばちゃんとかおっちゃんたちはいまさら特に騒ぎゃしねえぞ」
 マサキにしてみればどうしていまだにきゃあきゃあ騒がれるのか、正直、不思議で仕方がない。
「日常的にあなたと接点のある人々と違って彼らはあなたの表面的なラベルくらいしか知りませんからね。無理からぬことです」
 もっともマサキの人となりが知れ渡ればそれはそれで余計な人気が出てくるかもしれない。否、確実に今までとは別方面での人気が増すだろう。まったく、ひとたらしの才がある人間はこれだから目が離せないのだ。
「それより、どうしたのです。甘いものはそう得意ではなかったでしょう?」
 ラ・ギアスに点在するシュウのセーフハウス。その一つに半ば殴り込み同然の剣幕でマサキが飛び込んで来たのは一時間ほど前のことだ。
「何とかなりそうなことなら言うこと聞いてやるから、今すぐ【認識阻害の魔術】を教えやがれ——っ!!」
 あの勢いでよくも玄関が蹴り破られなかったものだ。シュウは密かに設計者と関連業者に感謝した。
「たまにあんだよ。何だか無性に食べたくなる時が」
 今回はたまたまドーナツのCMが目に入ったから買いに行こうと思った。それだけの話だったらしい。
「それで【認識阻害の魔術】ですか。確かにあれなら特別変装する必要もありませんし一番手っ取り早い方法ではありますが、あなた魔術はからきしでしょう。最低限の基礎すら履修していない人間には無理ですよ」
 現実は非情だ。マサキの渾身の右ストレートがクッションに決まる。こちらも非情な八つ当たりである。
「……じゃあどうすりゃいいんだよ!」
「かんたんなことですよ」

 どうやら年若い親子らしい。三十代前後。黒髪の父親の背に隠れるように一〇歳を少し過ぎたりの少年がおっかなびっくり付いて歩く。
「人見知りかな?」
「でも、何か可愛いね」
 通学途中の学生たちが親子に向ける視線はとても好意的だ。親子が向かった先は通学路途中にあるドーナツチェーン店。店内のイートインコーナーはほぼ学生で埋め尽くされてた。
「ああ、これですね」
 父親が選んだのは先日発売されたばかりの新商品。
 あずきとホイップクリームが入ったリングドーナツと生クリームとカスタードクリームがたっぷりと入ったリングドーナツ。
「間違いありませんか?」
 確認すれば半ば父親の背に隠れていた少年がこくりと頷く。ふくれっ面に見えるのは甘いものをねだるのが恥ずかしいからだろう。
 支払いを終えると父親に手を引かれ少年は店をあとにする。
「かんたんだったでしょう?」
 路地を二つ曲がったところで親子は二人の青年に姿を変えていた。
「何でおれがガキでてめぇが父親なんだよ。設定がおかしいだろうが!?」
 がなりながらしかしドーナツが入った紙袋はひっしと抱きしめて離さない。まるで小さな子どもだ。しかもあまり違和感がない。
「別におかしくありませんよ。それにあの姿のほうが幾分か気も楽だったでしょう?」
 小さな子どもが甘いお菓子を親にねだるのは普通のことだ。そこに性別は関係ない。父親に手を引かれて帰ることも。
「まあ……、そりゃあ、そう…、なんだけどよ。それより、何かしてほしいことってないか? 約束しただろ」
「あなたにできる範囲で、でしょう。でしたら、今度こそあなた自身で買ってきてください。私のために」
「お前の分を?」
「はい」
「それだけか?」
「それだけです」
 そんなことでいいのかと不思議そうにマサキは首を傾げるがシュウからすればそれで十分。むしろおつりがくるくらいだ。何せ目の前の青年はひねくれ者なうえに喧嘩っ早い恥ずかしがり屋なのでめったなことでは手すら繋がせてくれないのだ。
「わかった。でも、いつになるかはわかんねえからな?」
「そこはわきまえていますよ。あなたが魔装機操者としての責務を優先するのは当然です」
 魔装機神操者としての任務に限りはない。特にマサキが乗るサイバスターはその機動力からラ・ギアス全土を文字通り飛び回る。
「とはいえ、できれば気づく前に買ってきてほしいものですね」
 自分で言い出した手前、マサキは何とか自分一人で買い物をこなそうとするだろう。誰かに代理を頼めばすむだけの話に必死で頭を悩ませて。シュウが欲しいのはその時間だ。あの素直な心根を他の誰でもない自分が独占する。それは何と甘美な優越感だろう。
 それから二週間ほどしてマサキから約束のドーナツを受け取ったシュウはおのれの心配が杞憂であったことに安堵する。
「間に合って何よりです」
 顔を真っ赤にしたマサキが怒鳴り込んできたのはそれからさらに数日後。
「シュウ、てめぇっ! あの店ネットオーダー対応してたんじゃねえか。しかも受け取りカウンター店の裏。完全非接触対応。おれの苦労を返しやがれええぇぇ——っ‼」
 当時のことを思い出したのか悔しさと羞恥と怒りでもうほとんど涙目だ。
「おや、ようやく気づきましたか。それは失礼。可愛いあなたが見たかったものですから」
 偵察に出していたチカが録画した買い物の一部始終を編集しながらシュウはにこりと笑った。ご満悦であった。

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