美しい世界は残酷で

短編 List-1
短編 List-1

 それは夢のように美しい世界だった。廃墟の瓦礫はもちろん雪を踏む足音さえ汚れなく美しい。哀れな我が子の軀を前にうなだれる母キツネの後ろ姿すら。
 そう、それはただただ美しい世界を描いた残酷なゲームだった。

 地上に出たさい友人であるリュウセイ・ダテではなくその同僚であるアヤ・コバヤシにめずらしく勧められたのだと聞いた。幻想的な世界がラ・ギアスを連想させたから試してみて欲しい、と。けれど同時にこうも言われたそうだ。「とても残酷な世界」だから気をつけてね、と。
 ベッドの上でシーツのお化けになってしまったマサキの顔はシュウには見えない。その足下には件のゲームをダウンロードした携帯用ゲーム機が転がっている。だからシュウも気になってクリアしてみたのだ。二時間もかからない短く小さな物語だった。余計な字幕も音声も一切が切り捨てられた世界。それはとても美しい世界だった。
「ああ、確かに残酷ですね」
 それはキツネの親子の物語だった。
 厳しい真冬の深夜、人間が起こした戦禍に森を焼かれ身を隠していた岩穴すら吹き飛ばされてキツネの親子はばらばらになってしまった。
 傷だらけの身体を引きずりながら母キツネは我が子と父キツネを探して美しい四季の世界を独り歩く。そしてたどり着いた世界で我が子の軀にうなだれ、その顔にそっと頬を寄せる。だが、子狐はぴくりとも動かない。我が子を見つけるたびに母キツネは同じことを繰り返し、段々とふらついていく身体を引きずりながらついに父キツネの軀の前で母キツネは鳴いた。たった一度だけ。母キツネの前には七色に光る大樹があった。
 キツネのつがいはそのまま大樹に吸い込まれエンディングへ。説明は一切ない。ただ、スタッフロールが終わったあと美しい春の野を駆けるキツネの親子が一瞬だけ写り、同時にデータが初期化される。命は一度きり。その世界はどこまでも美しく残酷だった。
「マサキ」
 いらえはない。とてもではないがそれどころではないのだろう。
 あのキツネの親子は戦禍で離散してしまった実在する人間の家族をベースに描いたものだ。多感な時期であることに加えもともと感受性が豊かなマサキには相当キツかったに違いない。彼は現在進行形で戦場に立っている。それはゲームを勧めたアヤ・コバヤシも同じだ。彼女はこの美しい世界に何を見いだしたのだろう。
「……っきしょう‼」
 かろうじて聞き取れたのはそのうめき声だけだった。
 善性は美徳だ。それは間違いない。けれど時に思う。その善性のいくぶんかを悪性に塗り替える術はないものか。そうでなければ人はたやすく壊れてしまうだろう。世を探せば決してくじけぬ頑強な心の持ち主もいるだろうがそれはほんの一握りの人間だ。でなければなぜ彼はこうもおのれの無力に嘆く。しょせんはゲームの話でしかないというのに。
「かといって、あなたが私のようになれるはずもない」
 シュウは自分が悪性寄りの人間であるという自覚がある。実際、それが必要であればそのように振る舞える。悪辣に人を陥れることも殺めることも。だが、マサキにそれは不可能だ。悪辣であれ残虐であれ。たとえそう呪いをかけたところで叶うまい。それが彼の性根だ。
 シーツのお化けは微動だとしない。まるで巌のようだ。耳を澄ませばかろうじて嗚咽のようなものが聞こえてくる。
 シュウは声をかけることを諦めただその肩を抱いた。時折、小さな子どもにするように頭をなでる。嗚咽がやむ気配はない。けれど声はかけない。かけたところで聞こえないだろう。彼の心は今独り嵐のただ中にいるのだ。
「明日は一日休みましょうか」
 このまま泣き疲れて眠ってしまったとしても一晩で回復するとは到底思えない。ならばいっそこの機会に眠れるだけ眠ればいい。幸い魔装機神隊——それも魔装機神が動くほどの不穏分子は表面的には一掃されたはずだ。事実、シュウのネットワークにも大した情報は入っていない。再起するにしてもしばらく時間がかかるだろう。
「まあ、あらかじめつぶしておくのも手ではありますが」
 それは今優先すべきことではない。
「私はあなたにあなたでいて欲しい。けれど、こんな姿を見るくらいならいっそ堕ちてくれればと思ってしまう。あなたが悪性に染まるはずもないのに」
 しばらくしてようやく寝息が聞こえてくる。シーツにくるまった身体がかしぐ。
「おやすみなさい」
 そっと横たえる。目を覚ますのはおそらく明日の昼過ぎくらいだろう。
「マサキさん、寝ちゃいました?」
 今の今まで姿を隠していたチカが天井から下りてくる。
「明日の昼くらいまでは起きてこないでしょうね。あなたは静かにしていなさい」
「あたくしだってそれくらいの空気は読めますよ」
 シュウの肩越しにマサキを見る目は少し不安げだ。
「ご主人様、ちょっとくらい教えてあげたらどうですか?」
「何をです?」
「え、悪人の心得」
 翌朝の朝食時間までチカの姿を見たものはいなかった。

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