踏み台にされたのはラングラン軍のネットワークサーバー。突かれたのは未確認の脆弱性だった。
ターゲットとなったのは魔装機神隊。それも魔装機神四体のうちの二体。ガッデスとサイバスター。遠近制圧戦の要となる機体だ。だが、クラッカー側の目的は深刻な実害を出すことではなかったようで一定時間後には自然と攻撃はやんでいた。まるで侵入すること自体が目的だったように。とはいえ、生命維持を含む中枢システムが無事だっただけで実害がまったくないわけではなかった。
ガッデスは不正アクセスの影響でわずかながらヨツンヘイムの照準にずれが生じた。ヨツンヘイムは高圧力の圧縮流水を発射する射撃兵器であったが大口径だったことが幸いして敵対象の破壊に支障はなかった。
問題はサイバスターだ。当時、サイバスターは場を制圧するために上空から乱戦の中央にサイバードで強襲をかけていた。
本来であれば滞りなく発動するはずだったサイフラッシュが不正アクセスの影響で実に十数秒ものタイムラグに見舞われたのである。射程範囲の都合で制圧領域の中央に立つ必要がある中でそれは絶望的なタイムラグであった。結果、サイバスターは横っ腹に数発食らう羽目になったのだ。幸いサイフラッシュ自体は正常に発動したため場の制圧には成功したが被ったダメージは大きく、最終的には退避せざるを得なくなってしまった。
「……舐めた真似してくれるじゃない」
数日後、調査を終えたセニアは激怒していた。まさか軍のサーバーを踏み台に仕掛けてくるとは思わなかった。否、それは警戒を怠っていたおのれの怠慢だ。問題はその先にある。
「新商品のPRですってぇ?」
私費で買い上げた民家を改修して立ち上げた私設研究所で三日三晩情報収集にいそしんだ結果、セニアは今回の騒動がとあるハッカー集団のPR活動であったことを掴んだのである。
何のPRかといえば彼らが新たに発売するハッキングツールだ。しかも、サブスクリプションタイプで手厚いサポートオプションもついている。ラングラン軍のネットワークを経由して彼の魔装機神へのアクセスにまで成功した最新ツール。それが新商品の謳い文句であった。
「上等よ。売られた喧嘩は全力で買ってやろうじゃない」
キーボードに打ち込むのはあるアドレス。あの男のことだ。どうせこちらから打診せずとも動くだろう。連中は愚かにも禁忌に触れたのだ。
「悪いけどあたしは倍返し派なの。徹底的につぶさせてもらうわよ」
敵に回すならまず相手を選べ。
セニア・グラニア・ビルセイア。「セニアに調べられたらそこに機密はない」その悪名の意味を彼らは自らの破滅をもって理解することになるのだった。
「やれやれ。喧嘩を売るならもう少し相手を選べばいいものを」
セニアからのメールを受信したシュウは呆れていた。本当に愚かな人間がいたものだ。彼らは彼女の悪名の意味を理解できていないとみえる。
「まあ、いいでしょう。暇つぶしにはなる」
それに個人的にも彼らの所業は見過ごせない。
「おのれの技術が死者を出す可能性すら想像できないのなら、技術者として生きている意味などないでしょう」
大破こそ免れたもののサイバスターは後方への退避を余儀なくされた。十数秒のタイムラグでも絶望的な状況だったというのにもしもこれが数十秒のタイムラグに及んでいたらどうなっていたことか。
「では、思考を放棄した人間には相応の末路をたどっていただきましょうか」
これほどつまらない理由で人命を危険にさらす連中だ。仮に今回の一件で死傷者が出たとしても罪悪感など毛ほども感じなかったに違いない。自分たちが死に追いやったかもしれない相手はただの人間ではない。ラ・ギアスの平和と未来を背負う魔装機神操者であったのだ。そして、その中にはシュウにとっての唯一も含まれる。もとより見過ごす気などなかった。
「テリウス、少し出かけます。あとは任せましたよ」
「うん。正直、任されたくはないけどね。それより頭の中身以外は素人の民間人だろうから少しは手加減してあげなよ」
かしましい女性陣のお守りを任されたテリウスはうんざりとした顔で肩をすくめて見せる。
「人語が通じる相手であれば検討しましょう」
それは事実上の処刑宣告であった。
「ほんと喧嘩を売るならせめて相手を選べばよかったのに」
テリウスは名も知らぬ犯罪者たちの未来を憂いて肩を落とす。
「まあ。でも、消えてくれるならさっぱり消えてくれたほうが面倒事は減るよね」
さすが従兄弟。その思考に容赦は一片もなかった。
セニアが報復に出たとの報せにマサキとミオは天を仰いだ。ヤンロンは眉間を押さえテュッティはこめかみを押さえてため息をつく。
「惨い。敵ながらおれは心の底から同情するぞ」
「あーあ、せめて相手を選べばよかったのに。かわいそう」
「自業自得ではあるが、相手が悪すぎたな」
「むしろ相手側の被害だけで収まるかしら」
セニアの「実績」を知るマサキたちは被害者側ながらクラッカーたちに心底同情した。彼らはこれからプライバシーのプの字もない人生を送る羽目になるのだ。そして、文字通り地の果てまで追い立てられて徹底的に踏みしだかれる。息をする間も許されないだろう。
「だってセニアだぞ」
「うん、セニアだもんね」
「まあ、セニア様だからな」
「あれはもう止められないわよ」
四人そろって匙を投げる。だってどうしようもないのだ。彼女はセニア・グラニア・ビルセイア。魔装機神隊における電脳戦の【勝利の女神】。 現実世界ならともかく電脳空間で敵に回してよい相手ではなかった。
彼らは泡を食って事態の収拾に奔走した。全方位からの一斉アクセス。冗談ではない。しかも侵入経路は千差万別で中には確認こそされたものの現実的ではないと一笑されたものまで片っ端から実行してきたのだ。正気の沙汰ではない。
秒単位で浸食されていくシステム。流失する情報。どこから漏れたのかプライベートな情報まで抜き取られていた。住所氏名年齢性別体重まではお約束として学生時代に失恋した相手全員の氏名と失恋場所、さらにその年月日と時刻までさらされているのはどういうことだ。一体どこから引っ張り出してきた。ここまで来るとはもはやホラーである。
「システム上のセキュリティはともかく現実世界の物理的なセキュリティには不備が多すぎましたね」
締め切っていたはずのコントロールルームに押し入ってきたぶしつけな来客はそう吐き捨てる。
「はじめまして。そして、さようなら」
刹那、四肢が飛ぶ。
まさに阿鼻叫喚。血煙が充満するコントロールルームで血も涙もない来客はやれやれと肩をすくめる。
「これだけのコードが書けるのであればもっと真っ当な職につけたでしょうに」
才能をドブに捨てる人間がここまで多いとは嘆かわしい世の中になったものだ。
「喧嘩を売る相手は選びなさい。もっとも、あなたたちに次などないでしょうが」
何重にも響き渡る絶叫と嗚咽、断末魔。彼らは絶望の底で悶絶すら許されず自らの手足を求めてただただのたうち回る。
「覚えておきなさい。彼らの——彼の命はあなたたちより遙かに重い」
その双肩にラ・ギアスの平和と未来を背負い彼らは命ある限りただ走りつづける。その軌跡は一種の聖域だ。くだらない私欲が侵していいものではない。ましてや彼の誇りを踏みにじるような真似を誰が見過ごそうか。
「セニア、あとは任せましたよ」
自分が動けばどうなるか彼女が知らないはずはない。
王位継承権を持たずとも彼女は王家に生まれ王族として生きてきた。「粛正」の意味を彼女は正しく理解している。その無慈悲を執行する瞬間については言わずもがな。
「さて、報酬はどう支払ってもらいましょうか」
まさか自分がボランティアで動くとは思っていないだろう。当然、相応の対価は用意しているはずだ。彼の与り知らぬところで。
サンプルとして興味深いデータもいくつか入手することもできた。
「思ったよりもいい暇つぶしになりました」
足下の地獄になど見向きもせず、シュウは踵を返す。
「期待していますよ、セニア」
そういえば、ドナドナとは人やものが連れて行かれることを意味する言葉だったっけ。シュウの小脇に抱えられたままマサキは遠く明明後日の方向に視線を向けながら逃避する。
不正アクセス事件から数日。セニアがシュウの協力を得て報復を果たしと聞いたマサキたちは罪悪感でしばらく食欲も出なかった。惨い、惨過ぎる。よりにもよって何て同盟を組んだのだ。まさに電脳世界のヴォルクルス。あの二人を敵に回して真っ当な人生を歩めるはずがない。
「セニアの許可は取ってあります。ちょうど研究の都合で地上に出る予定があったのですよ。気分転換に観光も兼ねてゆっくりしましょう」
「ダカラッテナンデオレ」
「言わせたいのですか?」
「ケッコウデスゴメンナサイオウチカエル」
できれば一泊二日以内に帰りたい。しかし、それが単なる夢幻であることは他でもないマサキ自身が嫌というほど理解していた。一泊二日で帰れるならばこうしてグランゾンに連れ込まれてなどいないのだ。
「サイフィス、サイバスター……」
ドナドナされていく子牛ってこんな気持ちだったんだろうか。知りたくなかった現実にちょっと泣きたくなってしまったマサキだった。
