この世には救いようのない馬鹿が存在するらしい。禁忌、逆鱗、地雷。連中はそのことごとくに触れてしまったのだ。
震源地はネット。すべての騒動の原因となったのは今話題のダイエット薬であった。
ディープフェイクによる数々の「証拠」とAIを駆使して出力された百十数人もの「架空の著名人」、さらに雇用された自称芸能人たちによるPR活動によって現在爆発的なヒットを飛ばすそのダイエット薬の名は【ランザム】——ある内臓系疾患の治療に使われる処方箋医薬品であった。
「は。努力はしたくないけど結果は欲しいって。舐めてんの?」
最初に切れたのはミオだ。合気道の有段者として日々の鍛錬に余念がない彼女にとって薬物による安易なダイエットはその濫用も含めて逆鱗に触れるに十分な怠惰と罪悪であったらしい。
「へえ、面白いことしてんじゃない。そんな半端な考えて一流モデルを自称してるとはねえ。それでもよくも【先輩】面ができたもんだよ」
次に切れたのは元バレリーナのシモーヌだった。
理想的な体型を維持するために徹底した食事制限はもちろん心身のメンテナンスに心血を注いだ日々。文字通り死ぬ気で舞台に立っていたのだ。その努力を放棄し薬さえ飲めばすべてが叶うなどとうそぶく恥知らずども。だいたい副作用のない薬物などこの世には存在しない。濫用のデメリットは輝かしい未来を夢見る後進たちの体を瞬く間に病み果てさせる。どうして看過などできようか。
「こっちだってねえ、余裕があればジムにでも通うわよ。余裕さえあれば! ストレス抱えて神経すり減らして藁にもすがる気持ちで探し当てたと思ったら、実体は使い方を誤った内臓疾患系の治療薬ですってぇ?」
最後はセニアだった。
とある犯罪組織の調査のためほぼ二カ月にわたって情報局にこもりきりだった結果、いつの間にか体重と体脂肪が許容範囲値を超えてしまっていたのだ。逃れようのない現実に打ちひしがれたセニアは文字通り藁にもすがる気持ちで「健康的な」ダイエット方法をしらみつぶしに探していたのである。
「つぶしちゃおっか?」
「そうだね。つぶそっか」
「つぶすわ。徹底的につぶすわよ。塵の一つだって残してやるもんですかっ‼」
破壊神降臨。
男性陣は震え上がった。ヤンロンは顔を背けたまま凍りつきマサキに至っては顔を背ける間もなく女性陣の鬼気に当てられて石化してしまっていた。しかもその背後ではフランパンとおたまを装備したプレシアが満面の笑みを浮かべて臨戦態勢に入っていたのだ。
「嘘のダイエット薬でたくさんの人からお金を巻き上げるなんて最低だよね。ね、お兄ちゃん?」
「お、ぉ…ぅ……」
お兄ちゃんに拒否権はなかった。しかも、悪夢はこれだけでは終わらなかった。
「ちょっと坊や、話は聞いたわよ!」
「許せませんわ。乙女の純情を何だと思っていますの。極刑案件されてしまわれてしまうのですわ!」
新たな破壊神たちの参戦であった。
「誰だ。サフィーネとモニカに情報流した奴はっ⁉︎」
ついにマサキが絶叫する。
「あたしよ。何か文句あるっ‼」
間髪入れずに怒鳴り返してきたのはセニアだ。完全に目が血走っている。マサキは神を呪った。神のくせに破滅的壊滅的連鎖反応を生むな、馬鹿野郎。
しかし、いくら恐ろしくとも任務は任務である。特に今回のダイエット薬騒動は医療現場に深刻な影響を及ぼしていたのだ。
本来【ランザム】は処方箋医薬品だ。医師の処方箋がなければ販売できない。だが、あの手この手を使って【ランザム】を入手する方法がネットを介して拡散され、最近では転売目的で計画的に入手する者たちまで出始めた。つい先日にはとうとう【ランザム】目的の強盗事件まで発生してしまったのだ。
「つぶすわよ。圧倒的に徹底的に壊滅的に完膚なきまでに完っ璧につぶすわよ! 蟻の子一匹だって逃がさないんだからっ‼」
陣頭指揮を執るのはセニアだ。その両脇には能面のミオとシモーヌ。モニカとサフィーネは笑顔だがその額にはそれは見事な青筋が立っている。そして、マサキの背後ではフライパンとおたまを装備したプレシアがにこにこと笑っていた。怖い。お兄ちゃんはもう泣きそうだ。
ちなみに二日一度は蜂蜜一キロとグラニュー糖をニキロ近く消費するテュッティは今回の作戦には不参加であった。気持ちは分かる。彼女の基礎代謝は世界の七不思議にカウントされるべきものだ。
「資料を見てもらえばわかるけど今回の元凶はこのテロリスト組織よ。だけど販売を委託されているのは【ヴォーダム】って半グレ組織ね。半グレとはいっても規模でいったらそこら辺の武装組織なんて目じゃないわ。オマケに【ランザム】以外の違法薬物の売買で荒稼ぎしているから装備も最新式をそろえているの。ムカつくわ」
これは徹底的につぶすだけじゃ甘いわね。物騒に指を鳴らすセニアに両脇のミオとシモーヌも首肯する。能面のまま。頼むから表情に感情を戻して欲しい。プレシアに背後を取られているマサキには逃げ場がない。
「テロリスト本体の壊滅は次回に見送るわ。今は【ランザム】の供給安定化が最優先よ。連中のアジトはもう掴んであるから。ここね。複数箇所あるけどつぶすのは中枢とそのバックアップの二ヶ所だけで十分よ。残りは軍に任せましょう」
次々と打ち出されていく膨大なデータ。レポート用紙に換算すれば数十枚はくだらないだろう。これでも精査して必要最低限にまとめているというのだから実際のデータ量一体どれほどのものになるのか。
何よりこの短時間でどうやってこれだけ詳細な情報をかき集めたのかマサキには想像もつかない。「セニアに調べられたらそこに機密はない」その悪名の意味をまざまざと見せつけられた気がした。
「……シュウが絡んでないだけまだマシだけどよ」
これにあの男がバックアップで入ったらそれはもはや戦争である。それも一方的な殲滅戦。半グレとはいえ彼らも一応人間だ。せめて司法にかける慈悲くらいは残してやりたい。
「そういうわけだから、行くわよ。マサキ!」
「何でおれぇっ⁉︎」
思わず悲鳴が出た。ついでに涙も出た。この面子の中に入るのか、自分一人が。もはや懲罰である。
「当たり前でしょう。こっちと向こうじゃ数が違うのよ。戦るなら電光石火。一気に制圧して中枢を叩く。サイバスターは必須じゃない」
セニアの言い分は真っ当である。マサキはうなずくしかない。何より血走った目が怖かった。
「お兄ちゃん、頑張ってね!」
そして、背後で満面の笑みを浮かべる妹も怖かった。否と言った瞬間、たぶんフライパンかおたまあるいはその両方が飛んでくる。間違いなく飛んでくる。死ぬ。
「…………マサキ、生きて帰るんだ。生きてさえいれば、生きてさえいれば何とかなる」
そういってマサキを見送るヤンロンは最後まで顔を背けたままだった。
呪おう。もうサイフィスとサイバスターを拝み倒してでもあの元体育教師を呪おう。マサキはそう決意しながら女性陣にドナドナされていったのだった。
数時間後。
「モウヤダ、オレハヤダオレハヤダオレガヤダ。オソトニカエルッ⁉︎」
ほぼ錯乱状態でサイバスターに立てこもったマサキを引きずり出すため、事情を察したらしいシュウが自主的にゼノサキス邸を訪問したとかしなかったとか。
「一体何を見たのですか?」
「ノロワレヨ」
「わかりました。もう寝なさい」
回収された「メンタルの迷子」はしばらく帰ってこなかった。
So it’s your fault.
短編 List-1