「お前な、助けに行くなら行くで最初から素直にそう言えよな。……まあ、俺は魔術なんて使えねえからついて行ったところで役に立たなかったろうけどよ」
弱り切った白猫を抱えて追いついたシュウにマサキは肩にかけていたトラベルバッグを放り出すくらい驚いた。そして驚いた勢いのまま休憩所に駆け込み餌の準備に精を出していた保護団体のスタッフを捕まえて飛んで帰ってきたのだ。
白猫は次の船で本土の動物病院に運ばれることになった。体調不良の原因が毒餌であることはすでに伝えてある。
「ふざけた真似しやがる!」
シュウの予想通りマサキの怒りはそうとうなものだった。無辜のものを一方的に虐げるなど言語道断。ぶん殴ってやると肩を怒らせるマサキをシュウがなだめる。
「心配せずとも彼らは相応の報いを受けていますよ。あなたが手をくだす必要はありません」
「それって地獄を見る程度ですんでんのか?」
「さあ、どうでしょうね」
「——わかった、何も聞かなかったことにする」
素直であることは美徳である。
さて、一悶着はあったものの目的地である休憩所には無事到着した。お待ちかねのランチタイムである——とはいかなかった。世の中には優先順位というものがあるのだ。
「ほら、お前も手伝えよ」
ずいっと差し出されたポリバケツと柄杓。ポリバケツの中身は保護団体お手製の豪華ランチである。
「私が、ですか?」
「当たり前だろ。人手不足なんだから」
困惑するシュウにマサキの返事はにべもない。立っている者は親でも使え。元大公子だろうが【総合科学技術者】だろうがそこに立っているなら四の五の言わずに協力しろ。
「……私が、ですか?」
「何だよ文句あんのか?」
「そういうわけではありませんが……」
やはり抵抗があるらしい。出自に加えもとから潔癖症の気がある男だ無理もない。だが、マサキは容赦しなかった。
「わかった」
「わかってくれましたか」
「お前、向こう二カ月死んでも面見せんな!」
それはもう満面の笑顔であった。
勝敗は決した。
餌がたっぷり入ったポリバケツと柄杓を手に能面の青年が猫の大群のど真ん中に立って黙々と餌を配っている。トレードマークの白い外套の裾には餌を求める獰猛な猫たちが群がり、その背中には勇猛果敢な子猫が一匹張りついて、よじ登ろうと必死に爪を立てている。誰あろうシュウ・シラカワの背中にである。まさに勇者。
「ッははははっ! スゲぇ、絵面の破壊力がえげつねぇっ! マジかっ‼」
「いやああぁぁーっ‼ 何これ何これ何これとんちき大空間! ムンクもびっくり抱腹絶倒阿鼻叫喚。ダブルでまるっとフルセット。まさにこんちくしょうのあんちくしょう。意味が不明よおバカさん。あたくしもう横隔膜が開幕瀕死! いっそ来世によろしくぅ‼」
「何ていうかシュールなんだにゃ」
「真面目に直視するだけ体力の無駄にゃのね」
そして、休憩所の隅では笑い過ぎて窒息寸前の「目撃者」が一人と一羽。彼らに人の心はなかった。
「……あとで覚えておきなさい」
しかし、ラ・ギアスを震撼させた背教者の怨言も飢えた猫軍団の前には無力であった。猫とは破壊神以上に無慈悲で傍若無人な存在なのである。
とりあえず、ポリバケツの中身が綺麗になくなるまで黙々と餌やりは続いたのだった。
腹筋と横隔膜に優しくない餌やりタイムがようやく終わり今度こそ平和なランチタイムが始まった。
「しかし、大きすぎませんか?」
今日のためにとマサキが購入したトラベルバッグはずいぶんと分厚く幅もあれば奥行きもあった。一体何をこれほど詰め込んできたのか。
「自業自得だ」
先程までの和やかな雰囲気はどこへやら。額にうっすらと浮かぶ青筋にシュウの背筋を冷たいものが流れ落ちる。
「チカ、あなたまさか……」
密告者など一羽しかいない。
「へえ、一応自覚はあるんじゃねえか。そりゃあ結構なこった」
どん、と突き出されたバッグの中身はこれでもかと詰め込まれたランチBOXとスープジャーの山。もはや一種の暴力に等しいボリュームである。
「心配すんな。ほとんどは冷凍処理してある。だから、残りは全部家で食え。間違っても誰かに押しつけんじゃねえぞ?」
新しい論文の発表にグランゾンの補助システムの再構築。新型センサーのプロトタイプ作製他etc.ここ数週間は地上とラ・ギアスの往復だけで半日が終わることなどざらだった。それくらいめまぐるしかったのだ。当然、健康的な食生活など送れるはずもなく栄養補助食品と軽食が頼もしき隣人であった。
「俺は前にも言ったよな。研究に没頭するなとは言わねえ。言ったところでどうせ聞きやしねえからな。ただしそれならそれで最低限の飯は食えって」
「……言いましたね」
一度こうなってしまったマサキに勝てる見込みはほぼゼロに等しい。本気で怒らせたらそれはもう恐ろしいのだ。
「じゃあ、食え!」
鬼気迫る笑顔の圧にシュウは潔く白旗を上げた。誰だって我が身は可愛い。
「まあ、そうは言ってもお前のこった、食べきれないと思ったらチカやテリウスたちに丸投げするに違いねえ。だから、ずるしねえように見張りに行くからな!」
【方向音痴の神様】からのお達しである。異論反論一切却下だ。
「あなたが、見張りにですか?」
「当たり前だろ。そりゃあ、任務が入ればそっちを優先するけどよ。でなきゃお前絶対ずるするじゃねえか」
マサキとしてはシュウの怠惰に目を光らせるつもりなのだろうがシュウからすればむしろ大歓迎だ。何せ自由気ままなマサキが自主的にシュウのもとを訪れるなどめったにないのだから。まさに禍福は糾える縄の如し。不幸のあとには思わぬ幸福が待っていた。
「だから、ちゃんと食えよな」
「そうですね。善処します」
不機嫌手前だったそれはあっと言う間に上機嫌へと名を変えていた。まったく現金なものである。
「いや、それ善処する方向絶対間違えてますって」
「もうお約束のパターンなんだにゃ」
「ツッコミするのも疲れたにゃ」
二匹と一羽の使い魔たちの視線には疲労感すら漂っていた。
「これが世に言う割れ鍋に綴じ蓋ってやつですかねえ」
「一蓮托生なんだにゃ」
「本当にどうしようもないにゃ」
面倒くさい主人を持つと使い魔は苦労する。互いの主人をそう評し日々の苦労を慰め合う使い魔トリオ。
「そういえばよ」
今後の食生活について滔々と説教を続けながらふと思い出したようにマサキがシュウに問う。
「今日、楽しかったか?」
何の変哲もなければ娯楽もない野良猫だらけの小島。正直、呆れられるのではないかと不安のほうが大きかったのだ。
「ええ、とても」
よどむことなくシュウは言い切る。
面食らうことは多々あった。特に猫の餌やりなど生まれて初めての経験だった。おかげで外套は新調が決定である。だがそれも過ぎてしまえばとても新鮮な思い出だ。こんな場所にシュウを連れてこようなどと思いつく人間はこの世でマサキくらいだろう。
「そっか。じゃあ、来年もまたどっか連れて行ってやるよ!」
そう笑う彼はとてもまぶしい。
「ええ、期待していますよ」
ありふれた日常がこれほど得がたいものになる瞬間などそうそうありはしないのだから。
