収賄罪成立。
密約の対価はラングランでも有数の高級ホテルで催されている期間限定スイーツビュッフェの招待チケットであった。
「うわぁ、あからさまな買収だあ!」
差出人不明の「賄賂」にミオは笑いを隠せない。よほど秘密にしておきたいらしい。
「まあ、気持ちはわかる」
キャラ崩壊だもんねえ。腕組みをしながらうんうんとうなずくミオの脳裏に浮かぶのは数日前のあるワンシーンだった。
『お使い』に出たまま一向に帰ってこない「迷子」のお迎えと追加の『お使い』のために向かった某セーフハウス。過去に何度か訪れた場所だったこともあってミオは家主に断ることなく堂々と正面から上がり込む。
家人を求めてリビングへ向かえば真っ先に目に入ったのはソファで惰眠をむさぼる我らがリーダー。
「ちょっと、マサ……」
「さっきようやく眠ったばかりなのですよ。そっとしておいていただけますか」
突如、頭上から降ってきた玲瓏な声にミオは思わず跳び上がる。
「うわっ、シュウ⁉︎」
見上げたそこには声に違わぬ端正な容貌と無情のまなざし。
「ここ最近、よく眠れていなかったようですから」
しかし、マサキの性格上、寝ろと言ったところで素直に休むはずもなく何度もなだめすかしてようやく目を閉じてくれたのだ。
「依頼されたものの用意はできています。追加分もね」
だから、先に客間で待っていてください。そう告げるとミオの存在など最初からなかったかのようにソファで眠るマサキのもとへ歩み寄り当然のようにその身体を抱き上げる。
「へ?」
「ひとまず部屋に連れて行きます」
「え、ちょっ……」
まさにとりつく島なし。颯爽と去って行く白い背中を慌てて追いかけようと踏み出せば、天井から一匹のローシェンが舞い降りてそれを阻む。
「下手に突っつくとあとが怖いからやめたほうがいいですよ」
「あ、チカいたの?」
「そりゃあ、いますよ。あたくしご主人様の使い魔ですよ」
言われてみればもっともだ。だが、今問うべきはそこではない。
「あとが怖いって?」
「そのままの意味ですよ。見たでしょ、あの顔。まあ、でれでれですよ、でれでれ。隠しもしないんだから、あーあー、あたくしもうやってられません! マサキさんが起きてたら確実にぶん殴られてますね、あれは」
「…………あれ、でれでれなんだ」
どうみても極寒の能面だったのだが。
「まあ、今日はもうこのまま泊まることになるでしょうから、ミオさんは『お使い』だけ持ってお帰りくださいな」
「え、泊まり確定?」
「ええ。ゲストルームはもうマサキさんの部屋みたいなものですし、何よりご主人様が許さないでしょうからね」
「マサキってそんな頻繁に来てるの?」
「いえ、迷子になって『遭難』しかけたさいだいたいここにたどり着くんですよ。なので着替えとかあれとかこれとかもろもろ全部そろっちゃってるんです」
たかが迷子で「遭難」しかけることに呆れ果てればいいのか、そのたびにここへたどり着く「強運」に驚嘆すればいいのか。
「キャラ崩壊起こしてない?」
だが、実際に声に出てしまったのはこれだ。
だってそうだろう。シュウ・シラカワなのだあの男は。冷酷で頑固で偏屈でそのうえ執念深く破壊神すら木っ端微塵にした完璧超人。それがでれでれ? いやいや、一体何の冗談だ。
「まあ、気持ちはわかりますけど冗談じゃないんですよねえ、これが」
だって見たでしょう。男の使い魔はいやらしい笑みを浮かべてミオの想像を煽る。
まるで小さな子どもが宝物を抱え込むように大事に大事に胸に抱いた唯一無二。抱え込まれた当の本人はのんきに夢の中だったがそれはとても恐ろしい事実だった。何も知らぬまま彼はあの男の執心を一身に受けているのだ。
「ちょっと勘弁して欲しいなあ」
おそらく仲間内で最初の『目撃者』はミオだろう。となればこれからミオはこの事実を一人で抱え込まなくてはならないのだ。当事者であるマサキに告げるという選択肢もあるがそれはシュウが許さないだろう。万が一ばれた日には一体どんな報復が待っているか。我が身のためにもこればかりはマサキの自覚を待つしかない。
「テュッティはともかくヤンロンがきつい……」
最悪、テュッティは頭を抱えながらも協力してくれるだろうがあの炎の体育教師は駄目だ。事が露見した瞬間、フレイムカッターで斬りかかりかねない。それどころか出会い頭に火風青雲剣をぶちかます可能性すらある。あれはこの世で一番敵に回してはいけなタイプの『頑固親父』だ。
「あたしも『幸運』欲しかったなあ」
この苦境から抜け出せるならもう悪運でも凶運でもいい。だが、いくら願ったところで現状は好転しない。まったく世知辛い世の中である。客間に用意されていたクリームソーダを味わいつつミオはこれから始まるであろう苦難の日々に頭を抱えるのだった。
「少し大人げないことをしましたね」
すうすうと寝息を立てて眠るマサキを見下ろしたままシュウは自身の態度を振り返って苦笑する。今はまだ混乱しているだろうが時間がたてばミオも気づくだろう。あれは牽制というよりも明らかな威嚇だ。自分の領域で眠るマサキに触れさせたくなかったのだ。本当に大人げない。
「口止めが必要でしょうね」
ミオの性格を考えれば不要だろうが謝罪の意味もある。
「さて、どうしましょうか」
形に残るものは得策ではない。なら時期的にちょうどいいものがある。
「あとで手配しておきましょう」
贈賄罪成立の瞬間であった。
そして、収賄罪成立より数時間後。
「マサキってさあ、幸運持ちだけど不運も持ってるよね」
「はぁ? 何だよそれ」
「知らぬは亭主ばかりなりってやつよ。頑張れ!」
そしてミオは夢あふれるスイーツビュッフェへと駆け出す。沈黙は金。マサキには悪いがこれも世のため人のため。彼は尊い犠牲となったのだ。
「うん、今日も快晴だあ!」
