言の葉、今足りて

短編 List-1
短編 List-1

「お前には関係ないだろうがっ‼」
 売り言葉に買い言葉だった。そう、ただの売り言葉に買い言葉。けれど、どうしてもそれだけは聞き流せなかったのだ。
「関係ない?」
 そんなことがあるものか。今回の一件には間違いなくあの邪神が絡んでいるのだ。なのにどうしてかたくなにこちらの言葉を拒む。
 子ども扱いするなと手を振り払われた。
「なら、多少手荒に扱ってもかまいませんね?」
 腕を掴み抱き寄せると同時にその唇にかみつく。驚きに見開かれる両目。怒りにまかせて怒鳴りつけられる前につむぐ言の葉。途端、かくんと膝が折れいささか細身の身体が傾ぐ。
「何、……で?」
 信じられないものを見る目。そこには驚愕よりも恐れがにじんでいた。当然だろう。彼の前でこんな顔を見せた覚えはない。
「……何で」
 現実に理解が追いついていないのだろう。まるで小さな子どもだ。破損したデータのようにただただ同じ言葉を繰り返し再生する。
 逃げを打つ間もない。そもそも脱力した身体では立ち上がることすら困難だろう。手足をばたつかせたところで何の抵抗にもならない。
 今腕の中にいるのは本当に彼なのだろうか。それこそ夢を見ているようだ。戦場においては天地に君臨し勇猛果敢に敵を蹴散らしながら時に戦局すらひっくり返す。魔装機神サイバスターの操者、マサキ・アンドー。その彼がどうしてもこうも怯えた顔を——彼にさせているのは誰か。
「子どもではない、とあなたが言ったのでしょう」
 すくみ上がる身体を抱きあげ向かう先は寝室。ヒュッ、と息をのむ音が聞こえる。
「いやだっ⁉︎」
 一瞬の逃避と困惑、そして拭えぬ恐怖を超えてようやく現実に理解が追いついたのだろう。まともに力など入らぬだろうに必死で抗い始める。その様はいっそ哀れなほどだ。もはや敵う術などありはしないのに。
「いやだ。離せ、離せよっ⁉︎」
「できない相談ですね。それに、すべてあなたの自業自得でしょう」
 日頃から言い聞かせていたはずだ。自身のためにも使う言葉は選べ、と。だが、喧嘩っ早いマサキはそれを忘れていた。だからこれは自業自得なのだ。
 シーツの上に組み敷いた身体は震えていた。けれどそれは怒りではなく恐怖ゆえだ。信頼していた相手からの手ひどい仕打ちに対する絶望。
「あなたはしばらくここでおとなしくしていなさい」
 もとより逃がす気などない。たとえどれほど拒絶されても。
「いやだあぁぁ——っ‼」
 けれど悲痛にまみれたその声に応じる者はこの小さな世界のどこにも存在しなかった。

 寄らば斬る。文字通り殺気を隠しもせずに訪れたシュウにセニアは頭を抱えた。平素の泰然自若は一体どこに吹き飛んだのか。よほど腹に据えかねることがあったらしい。
「マサキを警護から外してください。連中の狙いは彼ですよ。そして、最終的なターゲットは私です」
 無遠慮にもセニアの執務室に乗り込んできたシュウは一方的にそう言い放つ。
 明後日、ライオット州でとある祭典が催される。ソラティス神殿からさほど離れていない都市であったためガッデスとサイバスターが警備に当たることとなったのだ。
「ああ、なるほどね。マサキを餌にあんたをおびき寄せるつもりなんだ。で、あんたがここに来たってことはマサキは『欠席』確定なのね」
「こちらの話にまったく耳を傾けてくれませんでしたからね。少々手荒な方法を取りました。最低でも今日明日は起き上がれないと思いますよ」
「手荒いにもほどがあるわよ、この最悪男っ‼」
 男の不機嫌の理由がよくわかった。これは荒れる。天災レベルで荒れる。マサキはこの男の地雷を踏んだのだ。あの迷子は一体いつになったら他者に対するおのれの影響力を自覚してくれるのだろう。セニアはその場で突っ伏したくなった。
「それで、どうするの。まさかまともに相手をするつもり?」
「私が出ないと確信すれば連中は次の手を打つでしょう。まず、ヴォルクルスの分身を召喚するくらいの準備はしているでしょうね。最悪、祭典会場以外の場所で行動を起こす可能性もある。仮に目的を果たせなかったとしても相当数の犠牲者が出せれば連中は満足するでしょうから」
「度し難いにもほどがあるわ」
「狂信者とは得てしてそういうものですよ」
 ただ、教団の本隊は祭典会場がある都市の近辺に潜んで機会をうかがうだろう。ガッデスとサイバスターが都市周辺に配置されるからだ。その情報はすでにシュウのネットワークにも入っている。
「ですから、望み通り相手をして差し上げますよ」
「……あんた今の自分の顔自覚してる?」
 なまじ整っているだけにその鬼気は凄まじい。正直、セニアでさえ危うく後ずさりしそうになったくらいだ。
「ところで、マサキにはちゃんと伝えたんでしょうね?」
「何をですか」
「あんたがマサキを止めた理由」
「ええ、もちろん。みすみす罠に飛び込むようなものだと何度も言い聞かせましたよ。まったく耳を傾けてくれませんでしたが」
「そっちじゃないわよ」
 はあ、とセニアはこめかみを押さえる。本当に何て面倒くさい男。
「たぶん、マサキが聞きたかったのはそれじゃないわ」
 返す言葉を間違えるんじゃないわよ。だからこじれるんじゃない。そう呆れ果てるセニアにシュウはそれこそ返す言葉を見いだせなかった。

 何と伝えれば良かったのだろう。
 簡潔にわかりやすく伝えたつもりだ。
 自分を誘い出すための呼び水として祭典が狙われている——正しくはマサキ個人を標的に教団が襲撃をしかけてくる。だから、祭典を欠席して欲しい。そうすればあとはこちらで適切に処理する。そう何度も伝えたのに彼は決して首を縦には振らなかった。
「なあ、何でだよ」
「言ったでしょう。狙われているのはあなたなのですよ」
「そうじゃねえよ。何で、そんなに……」
 上手く言葉にできないのだろう。なぜ、どうしてと繰り返すばかりで一向に進まない会話。募るもどかしさはやがて怒気へ変じ自然語気も荒くなる。そうして、売り言葉に買い言葉の末に吐き出されたあの一言。
「お前には関係ないだろうがっ‼」
 大人げなかったとは思う。けれどあれだけは許せなかったのだ。あのまま何も手を打たなければマサキは自分を呼び寄せるために利用され、最悪命の危険にさらされる恐れがあった。どうしてそれを見過ごせる。その原因は他でもないおのれにあるというのに。
「……ああ、そういうことですか」
 マサキが問いただしたかったのはこれか。平素であれば気づきもしないだろうに本当に彼の直感には恐れ入る。
 そして、帰宅と同時に寝室へ。
 シーツをかぶっただけのマサキはベッドのすぐ下でうずくまっていた。抜け出そうとしたものの腰が立たずそのまま転がり落ちてしまったのだろう。
「目が覚めましたか」
「……」
 いらえはない。警戒されているのだろうか。あれだけ手ひどく扱ったのだ。当然だろう。張り倒される覚悟はできている。
「マサキ」
「……何で」
 そして再び問う声。
「すみません。答えを間違えました」
 先に謝罪し、今度こそ伝えるべき言葉を告げる。
「怖かったのですよ」
 いら立ちと焦燥の根源にあったもの。
 マサキの戦士として操者としての技量を疑ったわけではない。ただ単に恐ろしかったのだ。直接自分に危害を加えるならまだしもよりにもよって彼を害し、そこに流れる血を呼び水として利用する。到底許せるものではなかった。
 マサキ・アンドーは魔装機神操者として戦い生きて、そして死ぬ。彼の命は彼の誇りとラ・ギアスのため。決して背教者の命を狩るための「道具」ではない。だからこそ恐ろしかった。自分の命を狩るための「道具」としてマサキの命を利用されることが。
「私の言葉が足りませんでした。すみません」
「……おれは、お前が思ってるほど、弱く……、ねえからな」
「ええ。ただ、私が怖かったのですよ」
「じゃあ……、次からは、そう……、言えよ。おれだけじゃ無理でもお前がいたら、違うだろうし。お前一人よりおれがいたほうが、……たぶん、いいだろ」
「そうですね。考えが足りませんでした」
 マサキが繰り返し問うていたのはシュウの不安と焦燥の根底にあったもの——怖れだ。自身の安否よりもそれを何とかしなければと直感的に悟ったらしい。
「けれど今回は譲りません。あなたはこんな状態ですし、そもそも近日中に処理しておくつもりの相手でしたからね」
「……おれが、こんな、ことになってんのは……、お前のせい、だろ」
「ええ。ですから、その罪滅ぼしも兼ねて私に任せてください」
「……無茶すんなよ?」
 お前、いろいろ派手なんだから。シーツの影から泣き腫らした顔がのぞく。痛々しい。ほんの数時間しかたっていないのにずいぶんとやつれたように見える。自然と手が伸びる。
「熱が出たようですね。声も枯れている。もうこのまま休みなさい」
「風呂……」
「あとで身体は拭いておいてあげますから。おとなしく休んでいなさい」
 もとより体力が限界だったのだろう、なだめているうちに段々とまぶたが下りてきて数分後にはシュウの腕の中ですうすうと寝息を立てていた。
 失うことが怖かった。
 恵まれた血筋に生まれたとはいえ地上人の血を引くシュウにとって「世界」は決して心安らかなものではなかったからだ。だからこそ数少ないよすがであった母が地上への帰還を願うあまり我が子——シュウを邪神へ捧げた事実は受け入れ難かった。
 あの瞬間にシュウの「世界」は決定的に欠けてしまったのだ。けれどその欠落はもはやない。かけた世界を満たしてありあまるものが今この腕にあるからだ。
「本当に大人げないことをしました」
 かき抱いた命の尊さを思う。同時に愚かな画策に尽力する邪教の徒への憤りも。
「対価は、支払ってもらいますよ」
 その篤き信仰心、完膚なきまでに踏みしだこう。応報は果たされるべきものだ。たとえそれが未遂の悪意であったとしても。

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