不足の事態に備えて持っておきなさい。以前、対魔術用の護身グッズとして贈られたオリハルコニウムの指輪とは別に渡されたキーホルダー。付属のボールペンはガラスブレイカーとして使うことができキャップの中にはチタン製のナイフが仕込んである。
「まさかこんなすぐに使う機会が来るとはなあ」
いつものように道に迷い歩きつづけること約三〇分。ようやくたどり着いた先はとある路地裏。今や立てこもり事件の震源地である某飲食店の裏口正面であった。
「解決したらあとでちゃんと弁償するんだにゃ」
「んなこたぁ言われなくてもわかってるって。それより連中をどうにかするのか先だろ」
裏口のすぐ隣にある窓を割って店内へ。魔術がからきしなマサキは気配遮断などという高等スキルを持ち合わせてはいなかったが、頼もしい使い魔たちは気配を薄める程度の魔術ならば使いこなして見せたのである。
「じゃあ、シロ、行くにゃ」
「任せるんだにゃ!」
直後、店内に響きわたる凄まじい断末魔——と錯覚するほどの咆哮。
「喧嘩中の猫の叫び声ってあれもう人間の断末魔だよなあ。夜中、窓の外で暴れてるのを初めて聞いたときは眠気が一気に吹き飛んだぜ」
真面目に死闘を繰り広げながら立てこもり現場に転がり込む猫二匹。人質はもちろん立てこもり犯たちもあまりの迫力に跳び上がる。
「お、複数犯っていっても三人かよ。なら十分間に合うな」
不敵な声に立てこもり犯の一人が反射的に振り返ればその瞬間に腹を直撃する強烈なボディブロー。成人男性とはいえ叩き込まれた重量に慈悲はなく男の身体は容易に吹っ飛んだ。まず一人。
幸い立てこもり犯の中に魔術師の類いはいなかったようで装備といってもせいぜい中古の銃器くらいであった。
「目線と殺気と……。あとはまあ、何かいろいろ。それなりに弾道って読めるもんなんだよなあ」
よけた銃弾は二発。かすりもしなかった。知らぬ間に積み上がっていた経験値にちょっと泣きたくなる。
まさか正面から銃弾をよけられるとは夢にも思わなかったのだろう。あまりの衝撃に銃身を握る手がぶれる。硬直は一呼吸。そして間合いは十分。
左の拳と右肘が残る立てこもり犯たちそれぞれの急所に決まる。一人は窓を破って店外へ。もう一人は壁に叩きつけられ白目をむいて沈黙。ぴくりとも動かない。呼吸はしているのでノープロブレムである。たぶん。
それはまさしく嵐であった。
「本当にあなたは不運なのか幸運なのかわかりませんね」
「うるせえよ。いいだろ、無事だったんだから」
迷子の先で偶然立てこもり事件を解決した結果、襲撃された店から大量の食材をお礼として受け取ってしまったマサキはとても消費しきれぬ返礼をさばくべくシュウのもとを訪れたのだった。
「これ、思ったより役に立ったぜ」
取り出したのはボールペン付きのキーホルダー兼ガラスブレイカー。
「役に立ったようで何よりです。とはいえ、本来であれば活躍の場などないほうがいいのですが」
「おれだってまさかこんなすぐに使う場面が来るとは思わなかったんだよ」
運悪く立てこもり事件の現場に遭遇してしまった。しかし運良く事態を解決するための手段とタイミングがそろっていた。そして事件解決のお礼として届けられた大量の高級食材。まともに買えば一体いくらになることやら。
本当に不運と幸運のセット販売は勘弁して欲しい。
「ところで一つ確認なのですが」
ぼやくマサキにシュウは問う。
「拳銃を持った相手に正面から突っ込んでいったというのは本当ですか?」
「ん? ああ、それな。さすがに短機関銃が相手だったら逃げたけどよ、中古の拳銃一丁だったからな」
あっけらかんと口にする。シュウは思わず眉間のしわを押さえる。短機関銃が相手でなくとも銃器を相手に真正面から突っ込む人間がどこにいる。
「また、無茶なことを……。至近距離で当たれば即死の可能性とてあったのですよ?」
「まあ、言われてみればそうなんだけどな。目線とか殺気とか筋肉の動きとかで意外に読めるんだよ。基本的に弾って真っ直ぐ飛ぶもんだし、要は射線上から外れりゃいいんだからよ」
理屈はわかる。だが、理屈の理解度と実現率はイコールではない。ましてや相手は強盗であり場所は立てこもり事件の現場だ。その渦中にあってよくもそんな博打を打てたものだ。
「踏んだ場数が違うということですか」
少年期の終わりから現在に至るまで地上地底を問わず彼は一体いくつの大戦を経験しただろう。中には生身での白兵戦も少なからずあったはずだ。こと武術に関しては天賦の才を持って生まれたマサキである。戦場での経験は天上の美酒となってその身を存分に潤しただろう。
「これできちんと魔術を修めていたらどうなっていたのでしょうね」
少なくとも一定値以上の魔力は有しているはずだ。でなければ瞬間的にとはいえ【ラプラス・コンピューター】の性能を最大限まで発揮できないだろう。
「マサキ、今からでも魔術を修めてみる気はありませんか?」
このまま埋もれさせてしまうのは純粋に惜しい。
かつて身一つで破壊神を打ち倒した伝説の剣神ランドール・ザン・ゼノサキス。その聖号を賜与された彼は、真実、剣神の再来になり得るだろうか。
「は? んなもん嫌に決まってんだろ。面倒くせえ」
けんもほろろな反応であった。
考え方を変えてみよう。
マサキに剣と魔術の両方を修得させるのではなく彼の不足を自分が補うのだ。そして、折に触れて少しずつ魔術も教えていけばいい。少しでも興味を持ってくれればこちらのものだ。彼は興味のある事柄については非常に勤勉で優秀な生徒であるから。
「それはそれで楽しいですね」
「何がだよ?」
「大したことではありませんよ。それよりせっかくの食材です。今日は私が作りましょう」
「何か機嫌が良いな、お前。また、ろくでもないこと考えてるんじゃねえだろうな?」
向けられる視線は非常にとげとげしい。これも日頃の行いか。
「新しいプログラムを思いついたのですよ。そのスケジュールも」
嘘ではない。ただ、そのプログラムの中身がいつもと違うだけで。
「またかよ。お前のそれ、もうほとんど病気じゃねえか? どんだけ思いつくんだよ」
呆れ果てたと言わんばかりのマサキにシュウはわずかに口角を上げて返す。
「世界が存続するかぎり興味は尽きませんからね。宇宙も限りがありませんし、何よりとても楽しいことですから」
「おれにはちょっと想像がつかねえ」
「おや、あなたにはないのですか?」
「特別……、何だろう。思い浮かばねえ」
問われて振り返る。地上にいた頃から何事に対しても関心は薄いほうだった。そこをあげつらって浮世離れしていると何度からかわれただろう。
「サイバスター……」
けれど、ラ・ギアスに来て少しだけ変わった。
「そうだな。サイバスターと一緒に飛んでるときがいい」
空を翔る。ただただ無心に一心に。世界の『軛』を振り切って。
あの瞬間に勝るものをマサキは知らない。
「うらやましいことですね」
かつて切望しけれど拒絶された白銀の戦神。何も知らず知らぬがゆえに数多の失意と挫折を踏みつけて戦神に望まれたかつての少年。
何て憎らしい、何て妬ましい。そして、狂おしいほどいとおしい。彼ら以上に胸を焦がす存在をシュウは知らない。彼らは今当然のようにシュウのそばにいる。誰でもないシュウのそばに、だ。これを奇跡と呼ばずに何と呼ぶ。
「ほんと機嫌がいいな」
「ええ、楽しいことが増えるばかりですからね」
「ふぅん……。お前、笑うと大抵うさんくさいけど今日はほんとに楽しいんだな」
ひどい言い草である。
「ええ。ですから、何かリクエストはありませんか。私にできる範囲であればすべて用意して見せますよ」
「大きく出たな。なら、コブガチョウの包み焼きとほうれん草のソテーな。あと……」
食欲旺盛なマサキは上機嫌で好物を挙げていく。これは大変だ。しかし、宣言した手前そうかんたんに白旗を上げるわけにはいかない。
「いいでしょう。ですが、さすがに一人では時間がかかり過ぎます。手伝ってくれますね?」
「当たり前だろ。ほら、さっさとキッチンに行くぜ!」
ソファから飛び起きたかと思えばその勢いのままキッチンへ。さすが人間の三大欲求。食欲の力は偉大である。
ふとマサキに贈ったキーホルダーが目に留まる。万が一に備えてのものだったがこうもはやばやと出番が来るようでは他にも用意しておいたほうがいいかもしれない。何せ彼の迷子は一種の奇跡だ。このままではいつか世界線すら越えかねない。
「できれば私の手の届く範囲にしてください。迎えに行くのに手間取りますから」
まあ、こればかりはマサキの幸運に祈るしかないのだが。とりあえず、また新しいカタログを取り寄せておくとしよう。
「その前にまずはこちらを片付けましょうか」
そしてシュウは目下の戦場であるキッチンへと足を向けたのだった。
