「もしも無事に新世界であなたたちの神に出会えたなら伝えておいてください。この世で私に命令できるのは『神』ではなく私だけだと」
末端に用はない。容赦なく自分たちを叩きのめした男はそう言って本部のデータを持ち去った。その無能ゆえに生き延びた男は震え上がりながら憲兵にそう訴えたという。
「……終わった」
マサキは頭を抱えた。雨が降る。どうあがいても血の雨が降る。あの男はマサキも匙を投げるくらい偏屈で面倒くさく執念深いのだ。こうなってはもう誰にも止められない。
常日頃の沸点は遙か高みにあるが特定の案件に関してのみあの男の沸点は恐ろしいほど低くなるのだ。自らの懐に入れたものに対して危害を加えられたときである。ひねくれてはいるがあれはあれで情け深い人間なのだ。いろいろ面倒くさいが。
そして数日後の正午過ぎ、見舞いに来たセニア経由で某新興宗教団体の壊滅を報されたマサキはその惨状にそれから半日ばかり寝込む羽目になったのだった。
「だから、爆弾テロ仕掛けるときは場所と相手を選べってんだよ……」
「その爆弾テロに巻き込まれて入院してる人間が何を血迷ったこと言ってるのよ。もう寝てなさい。ほんとに真っ青よ、顔」
入院一週間目を終えた「同僚」の現実逃避にセニア・グラニア・ビルセイアはやれやれと肩をすくめるのだった。
数少ない元学友の妹が婚約したという。封筒の中身はその婚約パーティーへの招待状であった。
「お相手はゼンデラス教授のご子息ですか」
少々厄介な相手だ。
ゼンデラス・ハンクス。高名な宗教学者で著作も多くシュウもいくつか手にしたことがある。力強く迷いのない文体で、読み進めていくうちに自然と背筋が伸びてしまうほど彼の文章は厳かで真摯だった。
ラングラン・シュテドニアス・バゴニアの三国間で起こった動乱の影響から、近年、規模は小さいながらも新興宗教団体の乱立が一つの社会問題となっていた。
小さなコミュニティ内でのみ成立するものや至極真っ当な団体については何の問題もない。注視すべきは宗教団体を隠れ蓑にした犯罪者集団や教義のためにはテロ行為も辞さない過激派を擁する宗教団体だった。
先日発売されたゼンデラスの著作はその新興宗教団体を厳しく批判する内容を含んでいたのである。中には特定の団体を示唆する記述もあり出版を断念するか内容を修正するよう出版社に何通もの脅迫文が届いていたのだ。そして、今回発売されたゼンデラスの著作で暗に批判の対象となっていたのが「イズトゥーラ」と呼ばれる新世界の神を祀る新興宗教団体「光のイズトゥーラ」であった。
「聞けない相談ですね」
元学友家族の婚約パーティーを襲った爆弾テロ。標的は相手方の父親であるゼンデラスであった。問題の著書が発売された直後とあってある程度の報復は予想されていたが、まさか爆発物まで持ち出してくるとは誰も予想していなかったのだ。
それはシュウにとっても同様であった。ゼンデラスと親交のある関係者席にあの二人がいたのだ。それとなく探りを入れてみればどうやらゼオルートとは先輩後輩の間柄であったらしい。
爆発に巻き込まれて吹き飛ばされる二人の兄妹。妹をかばい爆炎で背を焼かれ瓦礫の破片で肉を裂かれる兄。兄にかばわれながら熱波に身を焼かれ、飛んで来たガラス片で頬をえぐられて泣き叫ぶ妹。彼らは爆風で壁に叩きつけられそのままぐったりと動かなくなった。駆け寄ったシュウが何度声をかけても目を覚ます気配はなく、せめて医療機関へ付き添うだけでもと願いはしたが国際的な指名手配犯であるシュウにどうしてそれが叶うだろう。シュウにできたことは、後日、二人の容態を聞いて治癒術に長けたモニカを病院へ送ることだけであった。
マサキとプレシアが爆弾テロに巻き込まれ入院したとの一報に駆けつけてしばらく、無害なローシェンを装って潜り込んできたチカにセニアは頭を抱えた。セニアの雰囲気から何となく状況を察したテュッティとヤンロンも頭を抱えた。ミオにいたっては完全に五感をシャットダウン状態である。
「世の中には加減って言葉があるの、知ってるわよね?」
「それが必要であればそうしましょう。ですが、それが今回の件に何の関係が?」
ローシェンの口から流れてくる玲瓏な「声」にセニアは天を仰いだ。すでに手遅れであった。
「ねえ、もしかしなくてもあんたあそこに居たの?」
「友人家族の婚約パーティーですからね。当然、招待されましたよ」
結果、仲睦まじい兄妹が目の前で吹き飛ばされる様を目撃することになったのだが。
「命に別状がないのはわかってるわよね?」
「モニカから聞いています。ですが、命に別状がないだけでしょう。あの状態を軽傷とは言いませんよ」
「まさか見てたの?」
「ほぼ目の前でしたので」
ついにセニアは陥落した。もう駄目だ。これはもう応報では収まらない。
「雨を降らすなとは言わないから、せめて雨量は控えめにしてちょうだい」
「ええ、感謝しますよ。セニア」
そうしてローシェンは飛び立った。誰もそれを引き留めなかった。そんな気力は誰にも残ってはいなかった。
「できることはこっちで何とかするから、誰かマサキを起こしてくれる?」
応報は『粛正』へと名を変えてしまった。もはや誰にも止めることはできない。王権に対する反逆者へ振り下ろされる『粛正』の刃がそうであるように、間もなく無慈悲の雷雨が緋をともなって大地を穿つだろう。ただただ一方的に切り捨て打ち壊し、踏みつぶして焼き尽くす。人としての尊厳すらも八つに裂いて。
『粛正』——それは人が振るう神のごとき圧倒的暴力の異称であった。
