『粛正』——過去から現在に至るまでその免罪符の下で一体どれほどの非道が正当化されてきただろうか。神が振るうがごとき圧倒的かつ一方的な暴力。支配者を支配者たらしめる絶対の権能。
「まあ、ご主人様ですからねえ」
王位継承権を放棄し背教者として国を追われてなおチカの主人は『支配者』であった。
チカはほんの少しだけ彼らに同情する。新たな「神」を崇拝する彼らの慢心と暴虐は主人の逆鱗に触れてしまった。知らなかったとはいえ主人の領域を土足で踏み荒らしてしまったのだ。そう、彼らは主人の「唯一」とその家族にまで危害を及ぼした。
「ただ血の雨が降るだけならまだましだと思うんですよねえ」
とはいえその信仰が真実であるならばいかなる暴虐も彼らは「神の試練」として耐え抜いて見せるだろう。そう、真実であるならば。
「ずいぶんと血なまぐさい信仰もあったものですね」
「光のイズトゥーラ」本部に関するデータを入手するために叩きつぶした支部はどうやら「技術部門」を担っていたらしく、生産途中の「備品」リストにチカは呆れて二の句が継げなかった。
「各種毒ガスと最新式の重火器類が『備品』になる宗教団体ってあるんですねえ」
実際の工場は郊外にある施設であったが司法の目をかいくぐってよくもこれだけ大量に生産できたものだ。
「『神』の降臨は世界の終末後という話ですから、自分たちの手で少しでも時間を短縮しておきたいのでしょう」
幸い独自の魔装機を製造するまでには至っていないようであったが、その代わりに最新式の魔装機を一個小隊規模一括で購入できるだけの資金を確保していた。財源の大半は後ろ暗いものだ。真っ当な活動で得た資金もあったが実体は信者たちの信仰心につけ込んだ搾取であった。
「度し難い」
それは冷笑であった。チカは震え上がる。
信仰は個人の自由だ。けれど信仰のために国を挙げて虐殺を繰り返してきた事実が人類史には刻まれている。その応報として繰り返されてきた殺戮の歴史も。
異教とそれを信仰する異教徒たちに神罰を。
そう叫び暴虐をもって不可侵を侵すのであればこちらもまた『粛正』の暴虐をもって完膚なきまでに討ち滅ぼしてくれよう。そう、応報ではない。これは『粛正』だ。
「チカ」
「はい、ご主人様」
チカは飛び立つ。主人からの指示はない。聞く必要がないからだ。そうでなければ主人の使い魔は務まらない。
「光のイズトゥーラ」本部の所在とその施設内の情報は基本的に公開されている。支部も同様だ。非営利目的の宗教法人なのだから情報公開は当然である。シュウが叩きつぶした支部は存在しない地下施設を有していた。
本部はトロイア州にあり、古代遺跡が密集した地域の一角、発掘を放棄された遺跡を改修して建造された「神殿」であった。
チカは当然のように神殿内を自由に飛び回った。無害なローシェンが一匹。誰がそれを大胆不敵な敵情偵察だと看破しよう。チカは神殿内を巡るダクト内部にも入り込み最深部へと翔る。そして、自らの五感が取り込んだ情報のすべてを主人へと送りつづけた。
「神殿内部についてはだいたい把握できました。十分です。戻りなさい」
非合法分野の運営を本部から切り離し支部に任せているからか、「神殿」内部の構造は比較的単純であった。当然セキュリティは敷かれていたがチカの目を通して見るかぎりそれほど複雑なものではなかった。怠慢、あるいは慢心か。どちらにしろ好都合には違いない。
展開する魔術の規模が大きくなればなるほど必要な魔力量は増える。当然だ。ましてや今回の対象は「神殿」である。生半可な魔力量ではない。
「この程度の規模であれば『練習』にちょうどいいでしょう。テリウス、この術式を展開したまま半日ほど維持してみなさい」
展開範囲は半径約一キロ。対象はおよそ二〇〇人。神殿内のセキュリティシステムへ魔力による物理干渉および個々の深層意識レベルに合わせた複数コマンドの刻印・実行。実地試験なし。一発勝負で一二時間の継続展開。
「食事の時くらい一休みしたいんだけど」
「食事をしながら展開しつづければいい話でしょう」
「えぇ……、面倒くさいなあ」
潜在的な魔力だけを見るならばテリウスのそれは異母姉であり王位継承権第一位であるモニカすら凌駕する。そして、埋もれた才が活用に値するならば開花させるべきだ。
「ご主人様スパルタ……」
「心配せずとも細かい部分はこちらで受け持ちますよ」
王位継承権を有していただけあってシュウ自身の魔力量もそうとうなものであったのだ。
「でも、大まかな部分は任せてくるんだ」
「当然でしょう。でなければ『練習』になりません」
にべもない。
「まあ、仕方ないからやるよ。姉さんに任せられる内容でもないし」
テリウスは素直に承諾した。目の前の従兄弟は「教育」に関しては本当にスパルタであったので。
魔方陣そのものはチカに「書式」を持たせすでに神殿内に複数箇所敷かせている。起動時間をブーストするための魔力を装填したエメラルドも各所に設置ずみだ。
神殿内のエアダクトを経由して魔方陣を描いたため、最終的に小中規模の魔方陣を複数箇所に敷いて組み合わせる必要があったのだ。そして、規模の異なる魔術回路が同時に複数存在するため大規模な術式を起動するよりも逆に魔力量の調整が難しくなっていたのである。ただ単純に魔力を回すだけでは魔力のオーバーフローで術が破綻してしまうからだ。陣の規模によって術式の記述も異なるため手順通りの起動ができなければ一〇〇パーセント暴走する。また、仮に起動できたとしても供給する魔力の調整を誤れば起動失敗時と同様、魔術回路の暴走によって術の展開範囲内は大地もろとも消し飛ぶことになる。
「失敗すれば神殿含めた一切合切完全消滅。成功すれば問答無用の『粛正』実行。……えげつない」
容赦の「よ」の字もない。
「というかさ、『練習』なんて言ってるけどはなから失敗させる気ないよね」
何せ当の本人が直接本陣に乗り込むのだ。その時点で失敗はあり得ない。
「いろいろばっきばきにへし折る予定だそうですから……」
そう、これは応報ではない。『粛正』なのだ。そこには一片の情理もない。ただ一方的かつ圧倒的に行使される暴力。それはまるで神が振るう神罰がごとく。
「まあ、信仰は個人の自由ですし、世の中には教義のためなら教祖も殺すガチの原理主義者さんもいるくらいですから、絶殺カウンターくらいどんとこい! なんでしょうね」
その信仰が真実であるなら彼らはこれから訪れる「試練」に見事打ち勝って見せるだろう。
「打ち勝てれば、の話ですけどね」
主人がそうであるようにチカもまた冷笑する。
神殿内をくまなく探索する途中で見聞きしたその実体。あれでよくも神の教えを説けたものだ。
「中枢システムは遺跡の構造に沿って地下にあります。テリウス、あなたはガディフォールで『神殿』屋上近くに待機していなさい。魔方陣を起動するタイミングはこちらから報せます。ああ、物理遮断型の結界も敷いておきましたからそれも同時に展開しておくように」
「こき使うなぁ」
「これも『練習』ですよ」
悪逆非道の手伝いを『練習』とは恐れ入る。だが、テリウスは一つため息を吐いただけであった。
「そういえばさ」
「はい」
「チカも一緒の行くの?」
「遠慮したいのが本音ですけどあたくしご主人様の使い魔ですし」
主人に付き従うべき使い魔が主人のみを「戦地」に赴かせるなど言語道断。
「じゃあ仕方ないね。頑張りなよ」
「ええ、頑張りますとも。はあ、ほんと面倒なことをやらかしてくれやがりましたよ、あの連中」
爆弾テロから数日。彼らが無事意識を取り戻したとの一報は受けている。容態が安定したことも確認ずみだ。
彼の背を焼いた重度のやけどと彼女の頬を深くえぐった刺創。どちらも適切な外科的措置と高度な治癒術によって完治は約束されている。セニアの手引きで治療に加わったモニカにチカは何度感謝しただろうか。
「これでもし、傷跡が残ろうものなら……」
チカはそこで思考を放棄した。この世には想像してはならないものがあるのだ。
「明日には出かけます。寝坊しないように」
軽く注意して玄関へ。
「ご主人様、どちらへ」
「散歩ですよ」
たかが近所の散歩にグランゾンですか。声には出さなかった。チカは賢明であった。もとより向かう先など知れているのだ。
「……まあ、ほぼ目の前でしたからねえ」
それはもう気が気でなかっただろう。あの主人が何もできずただ呆然と見ていることしかできなかったのだ。付き添うことすら叶わずに。
「あなた方はきっと怒るでしょうね」
昏々と眠りつづける善良な兄妹。容態は安定している。多少時間はかかるがマサキの背を焼きプレシアの頬えぐった傷は完治可能と医師から言質も取れている。傷跡一つ残らない、と。これ以上心配する要素はない。ゆえにあとは手を下すだけだ。
「もはや代償など不要」
代償に足る支払いすら望めぬ有象無象。その絶滅をもって世に報いる以外、何の役に立とうか。
「さて、どう言い訳をしましょうか」
次に来たとききっと事情を知ったマサキにどやされるだろう。そして、そんな彼をしっかり者のプレシアが頬を膨らませて叱りつけるに違いない。血の繫がりなどないというのに仲睦まじい兄妹だ。
自然と口許がほころぶ。
「また、来ます」
踵を返す。
もうすぐ夜が明ける。
それは『粛正』の夜明けであった。
