礼拝を禁ず
賛歌を禁ず
落涙を禁ず
傾聴を禁ず
その四肢を禁ず
ただ、在ることのみを許す
本来であれば一つの魔方陣ですむはずだった。しかし、設置場所の都合で複数の魔方陣を組み合わせる必要が生じた。ただ、それでも数カ所敷くだけで十分間に合ったのだ。
「難易度爆上げするためだけに重複承知で小中規模の魔方陣を追加で十数種類敷かせるとかもはや鬼畜の所業。バランス最悪じゃないですか、あれ。テリウスさんきっと陣の数見てげっそりしてますよ」
「経験を積むにはあれくらいが丁度いいのですよ」
呆れるチカにシュウはにべもない。
「光のイズトゥーラ」本部の「神殿」は信者だけでなく一般にも公開されている。工場見学に似たツアーまで組まれているくらいだ。ゆえにどこにでもいる一般市民として堂々と正面から乗り込んだ。
「零落」
告げる。
「今、陽は地に墜ち緋に染まる」
正門をくぐると同時の「執行」宣言。起動する二十数種の魔方陣が一瞬にして「神殿」と「神殿」を中心とする半径一キロ圏内を魔力の淵へと引きずり込む。
世界の「認識」は歪み、外部からの物理的な干渉は禁じられる。内部から外部への干渉もだ。閉じられた「神殿」は「隔絶された宇宙」と化した。
「神殿」内の一般信者たちは神の偶像へ熱心に祈りを捧げ、神を讃える聖歌に涙すらしている。しかし、彼らは堂々と眼前をよぎる「不信心者」には気づかない。その姿を認識できない。
「世界」への侵食は続く。
魔力を介した物理的干渉によって「神殿」を維持する電力システムはコントロールを失い、「神殿」と「地下神殿」を隔てるセキュリティシステムはその意味を失った。
地下世界へと続く顎のごとき階段は一つだけ。通常の移動手段であるエレベーターは電力システムのダウンとともに停止している。当然のように階段を下る。足下を照らすのは非常灯だ。
空間に満ちる魔力は階下に向かうにつれその濃度を増していく。耐性のない人間であれば息苦しささえ感じたであろう。
九〇を超える階段を下りきった先は地下神殿の正面横。銃と剣をそれぞれ装備した警備兵が各所に配置され、目視できるかぎりでも十数人以上。
「隔絶された宇宙」と化した「神殿」は同時に魔力で満たされたフラスコでもあった。そして、今現在「神殿」内に存在する信者はおよそ二〇〇人。そのうち「『神』のための非合法活動に熱心な模範的信者」は地下神殿に九〇名弱。このフラスコの中にはその九〇名弱の脳髄が魔力というシナプスに繋がれて漂っているのだった。
地下世界を覆う「認識の歪み」をいったん解除し、堂々と正面へ。
「跪け」
誰何の自由すら許さない。
直後、地下世界に鳴り響く銃声。
警備兵たちの銃口が狙いを定めたのは互いの膝。彼らは現実を理解する間もなくそれを撃ち抜いていた。だが、地面に伏してのたうち回るのは何も彼らだけではない。剣を手にした警備兵たちもまた顔を土気色に染めて苦悶にあえいでいた。
「粛正」は等しく執行されるべきである。誰一人、欠けることなく。たとえば誰かがその膝を撃ち抜かれたのであればその痛みを皆で等しく分かち合うように。
魔力のフラスコに漂う九〇弱の脳髄は今や魔力のシナプスによってその「苦難」の一切を共有していたのだった。
『神』のごとき「人」の暴虐が告げる。
「礼拝を禁ず」
『神』の名をその似姿を『神』にかかわる一言一句の一切を視界に収め拝する権利を今ここで剥奪する。
新たな苦鳴は朱の滴をともなった。
眼窩に差し込まれた十指がおのおのの眼球をえぐり出し、躊躇なく握りつぶす。
『神』に捧げる「眼」は今ついえた。だが、息絶えるにはまだ早い。なぜなら『粛正』は完遂されるべきものであるからだ。
「賛歌を禁ず」
喉が引きつる。ぴきっとあり得ぬ音を立てて喉が急速に乾き裂けていく。
『神』を讃えただ一心に信仰を歌う「声」など無価値。ゆえに疾く干からびよ。結果、苦悶の調べは地下世界から消失した。
「落涙を禁ず」
『神』に通じる一切の芳香、『神』に捧げる血と硝煙と死臭。それらに感涙する術を今踏みしだく。そして、嗅覚もまた死んだ。
「傾聴を禁ず」
『神』の声にその『言葉』に傾ける聴覚など世に不要。引く波のように遠ざかる「音」の断末魔に身を縮ませながらその死を理解せよ。
非情の執行に無音の断末魔が咲かせたのは血色のあだ花であった。
「その四肢を禁ず」
『神』に捧げるその手足にどれほどの価値があろう。
「眼」も「声」も「嗅覚」も「聴覚」もすでにその価値を失った。ならば、せめてその両手足だけでも朽ちて大地の肥やしとなれ。
泥の船が水に溶けて沈むかのように手足の感覚が溶けていく。現実には五体満足な状態であったが信者たちの脳裏では確かにその四肢は崩れ、音もなく溶けて大地の肥やしと化していった。
そしてついに『粛正』は終わりを告げる。
「ただ、在ることのみを我は許す——祈れ」
それは果たして何者に対してであったか。
刹那、地下世界をどよもしたのは無音の咆哮であった。
それは憤怒であった悲嘆であった絶望であった憎悪であった殺意であった。魔力のシナプスに繋がれた九〇弱の脳髄が何重にも重なった激情に揺れる。捧げられた「信仰」もまた。
哀れな信者の狂乱に『執行者』は問う。それは果たして何者に対しての咆哮であるかを。
『執行者』の問いが招いたのは怨嗟であった。
『神』への怨嗟。信仰の揺らぎから生じた『神』という存在に対する疑惑からの否定、拒絶。そして救いを求めたがゆえの憤怒と殺意。
その『大罪』は敬虔な信者たちの正気を八つに裂き、大罪の烙印となってフラスコを漂う脳髄を焼いた。それは信仰を隠れ蓑に私欲を肥やす不信心者たちも例外ではなかった。
ほどなくして彼らは激痛の中におのれの正気を取り戻す。そして、哀れにも理解する。『神』への祈りは今死んだ。目先の救いを求めるあまり『神』を「疑い」『神』を「否定」し、『神』を「捨て」、ついには『神』を「殺した」のだと。
奪われた信仰ならば取り返す術もあるだろう。だが、死した信仰を取り返す術はない。信仰を捧げるべき『神』を殺したのは誰でもない自分たちなのだから。
もはやここにあるのは『神』ではなくその軀。
軀、だけなのだ。
そうして彼らの「世界」はついに息絶えたのだった。
「あとは彼らが適切に処理するでしょう」
「神殿」内の信者に対する深層意識へのコマンドの刻印は完了している。司法への手配と必要な処理は地上の信者たちが自動的に行うだろう。教祖を含めた組織の幹部たちは司法での取り調べを考慮して一時的に五感を残してある。あくまでも一時的に、だが。
「では、帰りましょうか」
「隔絶された宇宙」から開かれた「世界」へ。
「……なあ、プレシア」
「なぁに、お兄ちゃん」
「おれ、もうちょっと真面目に鍛錬するわ」
「……うん、そうだね。あたしももっと頑張るよ」
目の前にはどん、と積まれた山のような見舞いの品と新聞が一部。見出しを飾っていたのは新興宗教団体「光のイズトゥーラ」本部襲撃事件であった。捜査の過程で判明した団体の非合法活動は多くの週刊誌を釣り上げ、ここ最近のワイドショーはもっぱらイズトゥーラ関連のニュースで持ちきりだった。
ほどなくしてプレシアが寝付くとそれを見計らったかのようにセニアが病室に顔を出す。
「ある程度予想はしていたけど、ばっきばきだったわ」
「ばっきばき」
「根本からへし折られてたから、あれはもう来世に期待するしかないわね」
「来世に期待」
「詳細聞きたい? というか、聞きなさいよ」
「いやに決まってんだろっ‼」
セニアは真顔だった。道連れは一人でも多いほうがいいに決まっている。マサキは全力で抵抗した。せめて退院するまでは心の平穏を保ちたい。ストレスは免疫力を下げるのだ。
「何だってあいつは、こうやることなすこと……」
いちいち派手なのだ。やらかすにしてももう少し地味な方法はなかったのか。
「だから、爆破テロ仕掛けるときは場所と相手を選べってんだよ……」
「その爆破テロに巻き込まれて入院してる人間が何を血迷ったこと言ってるのよ。もう寝てなさい。ほんとに真っ青よ、顔」
「……そうする」
結果、これより半日ほどマサキは「物騒な知り合い」の所業にうんうんうなされる羽目になるのだった。
「二人が退院するまで、あんたはもうおとなしくしてないさいよ?」
「善処はしましょう」
念を押すセニアに病室の外で聞き耳を立てていたシュウは機嫌良く返す。久しぶりに声を聞くことができた。あの様子なら退院の時期も早まりそうだ。
さっと踵を返す。
次こそは顔を出そう。そうしたらきっとどやされるに違いない。
さて、お説教はどの程度覚悟すればいいだろうか。マサキの場合、あまり長引かせると途中でへそを曲げられる可能性がある。加えて今回は内容が内容だ。詳細を伝えれば確実にどやされる程度ではすむまい。やはり、今回ばかりは素直に謝っておくのが上策だろう。
「上機嫌ですね、ご主人様」
とてもではないが『粛正』の『執行者』とは思えない。
「当然でしょう」
退院祝いは何がいいだろうか。主人の思考をのぞき見しながらローシェンは呆れ果てる。
「人間って怖いですよねえ」
不幸にも賛同者はいなかった。
André Rieu – O Fortuna (Carmina Burana – Carl Orff)
