市井の人

短編 List-1
短編 List-1

 上辺のラベルしか知らない人間たちにとって風の魔装機神サイバスターの操者であるマサキ・アンドーは良くも悪くも「英雄」のカテゴリに振り分けられる人間であった。特にラングランにおいて彼は魔装機神操者であると同時に「救国の英雄」でもあったのだ。
「でも、実体はこれだものね」
 民家を買い取って密かに建てたセニアの私設研究所。その研究室の一角に現在マサキは立てこもっていた。実際は毛布をかぶってソファの裏に座り込んでいるだけであったのだが。
 売り言葉に買い言葉で大喧嘩になったらしい。
「いい加減、自覚を持ちなさい。彼らの命はあなたに比べて遙かに軽い。それだけあなたの命が重くなったのです。あなたは魔装機神サイバスターの操者なのですよ。彼らの代わりは掃いて捨てるほどいてもあなたの代わりはいない。そして、このラ・ギアスでサイフラッシュに匹敵する規模の【大量広域先制攻撃兵器MAPW】は存在しません。その最大半径が数十キロに及ぶ時点であれはもはや戦術兵器ではなく戦略兵器に等しいのです。あなたはそれを自分の意思で自由に起動できる唯一の人間。その意味を理解できているのなら納得なさい。あなたにはたとえ他者に犠牲を強いてでも生き延びる『義務』がある」
 事実であった。マサキもそれは理解していた。ゆえに爆発したのだ。
「いつまでふてくされてるのよ。子どもじゃあるまいに」
「うるせえよ!」
 毛布のお化けは断固として籠城の構えを解く気はないらしい。
「まあね。あいつももっと言葉を選べ、とは思うわよ」
 言葉こそ辛辣であったがそれもマサキの身を案じての叱咤だ。悪意あってのことではない。だとしても言い方というものがあるだろうに。
 「英雄」という枠にマサキが窮屈を感じていることは誰の目から見ても明らかだった。頑固で喧嘩っ早くひねくれてはいたが彼は本来「市井の人」であった。否、今も。
「でも、そう思っているのは本人だけよね」
 セニアはため息をつく。
 風の精霊王サイフィスに望まれた時点ですでにマサキは「市井の人」ではなくなっていた。加えて地底地上を問わずマサキは幾多の大戦を経てその平定に多大なる貢献を果たしている。それらの功績は今やラ・ギアス全土に知れ渡って久しい。
 「市井の人」であろうすることはできても正しい意味で「市井の人」に戻ることはもはや不可能なのだ。もとより彼は魔装機操者としてこのラ・ギアスに召喚されたのだから。
 今やこのラ・ギアスに地上人「安藤正樹」は存在しない。ここにいるのは風の魔装機神サイバスター操者マサキ・アンドーであり、ラングランにおける「救国の英雄」——ランドール・ザン・ゼノサキスだ。
「……その辺の自覚くらいおれにだってあるぞ」
「じゃあ、籠城やめなさいよ。無駄な抵抗なんだから」
「理解するのと納得するのは別の話だろ」
「そうね。でも、マサキの納得なんてきっと世界にとってはどうでもいいことよ」
「お前、おれを励ます気あるのかよ!」
「あるわけないでしょう。放っておいてもあいつが来るのに。面倒事は適任者に丸投げするのが世の常よ」
 現実は非情であった。
「納得できないなら納得できるまでずっと考えてなさいよ。答えを出す『義務』なんてないんだから。だいたいね、考えつづけていればいつか答えが出るなんて馬鹿じゃないの。出るわけないじゃない。あたしたちは人間よ。生きているの。その『答え』だって生きているわ。生きているかぎりどうしたって変わっていくのよ」
「じゃあどうすればいいんだよ」
「死ぬまで考えてれば?」
 生きているかぎり変わりつづける『答え』の「終着」を探して、探して。死ぬまでのたうちもがけ。
 情の欠片もない物言いだった。だが、かちり、と何かがはまった。突きつけられた現実の重さから答えは必ず出さなくてはならないのだと思っていた。けれど必ずしも答えを出す『義務』はないという。なら、選ぶべきは、
「そうあることを選ぶなら、あなたは死ぬまで煩悶の業火に身を焼かれつづけることになりますよ?」
「だからさっさと納得しろって? ふざけんな!」
 かぶっていた毛布を投げ捨てる。見上げた先にはいけすかない男の端麗な顔。当然のように差し伸べられる両手。反射的に叩き落とす。
「おれはおれでいいんだよ。ごたいそうな肩書きなんざ知ったことか」
 「英雄」と呼ばれるにあたうだけの実績を積んできたのは事実だ。だから、周囲もマサキをそう扱う。結果、命の比重は変わってしまった。理解はしている。だが、納得はしていない。納得に足る理由をマサキはいまだ自分の中に見いだせていなかった。その様を指していい加減にしろと何度叱られたことだろう。だが、引けなかった。背負う命があるのだ。
「死ぬまで考えてれば?」
 だから、そうしよう。
 きっと眠れない夜が来る。血を吐き、立ち上がることもできずに地を這う日も。怒りで我を忘れ叫ぶこともできずに喉をかきむしり、おのれの血で両手を染める瞬間もいつか必ず来るだろう。この選択をしたおのれ自身を呪う日も。
 それでも。たとえそれが確定された未来になるとしても、この身に叶うかぎりそうあろう。それがマサキの意地であり覚悟だ。
「あなたは救いようがありませんね」
 けれどそう言って笑う狡猾な男は両手を差し出したまま。
「一人は寂しいでしょう?」
 いけしゃあしゃあと言ってのける。もう一度、今度は全力でその両手を叩き落とす。
「だったら勝手について来やがれ」
 立ち上がると同時にさっと背を向けて入り口へ。
「悪ぃ、迷惑かけたな」
「ええ、ほんと迷惑だったわ。でも、たまに立てこもるくらいなら手土産次第でまた貸してあげる。あとそこのデカ物はさっさと出て行って。不法侵入で訴えるわよ」
 気が置けない「友人」とは対照的に従兄弟にはまったくもって辛辣なセニアであった。
「……謝らねえからな」
「ええ、私も謝る気は毛頭ありませんので」
 肩を並べたまま、歩く。
「一人は寂しいでしょう?」
 いけすかない男は笑う
「知るかよ。勝手に言ってろ」
 顔は背けたまま。
「ええ、だから勝手について行きますよ。あなた一人ではすぐ迷子になるでしょうからね」
 危なっかしくてとても見ていられない。
 頑固で喧嘩っ早いひねくれ者。どこにでいる「市井の人」——だった青年。
 「英雄」。世界はマサキをそうある者と認識した。それはマサキが生きているかぎり覆ることはない。そして彼は自らを業火にくべることを選んだ。まるでそうすることが徒人ただびととしての最後の矜持だと言わんばかりに。
「ならせめて、わたしたちの手が届く場所でだけでも」
 差し出した右手。
「帰りましょう」
 どこにでるもいる「市井の人」として、家族と仲間たちのもとへ。
 握り返してきた左手はほんの少しだけ震えていた。

作業BGM 藍井エイル 「翼」

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