犬も歩けば棒に当たる。物事をしようとしている者は思いがけない災難にあう。または思いがけない幸運にあうことの例えとして使われる言葉であるが、地上はともかくラ・ギアスにおいては「猫が歩けば幸運を拾う」というのが正しいようだ。
「うまい紅茶くれるって言うから頼んだんだけど、お前、このメーカー知ってるか?」
缶に刻印された名にはシュウも覚えがあった。むしろ、どうしてこれをマサキが手にしているのか不思議なくらいだった。
クスィーティーハウス。バゴニアの西——エオルド大陸西端にあるエクシール共和国に創業家を置くこの老舗紅茶専門店はその品質から多くの王侯貴族に好まれ、一般市場に出回ることは非常にまれであったのだ。しかも、よくよく見れば未発売であるはずの限定品ではないか。
「一体どうやってこれを手に入れたのですか?」
さすがにこれは問いたださねば。何せ未発売のそれも先着限定一〇〇個の一級品である。だが、缶の価値を知りもしないのだろう。マサキはあっけらかんと言った。
「金目当てだったんだろうな。身なりのいい爺さん婆さんを襲おうとしてた盗賊崩れがいてよ、ちょうどおれが一番近いとこにいたからぶっ飛ばしたんだよ」
そうしたら、その礼に紅茶を贈ってくれた。それだけの話だそうだ。
「また迷子ですか」
「うるせえ。いいだろ、人助けできたんだから!」
「納得しました。ところで、その老夫婦の名前は?」
「いや、特に聞いてねえ」
「あなたは名乗らなかったのですか?」
「名乗ろうと思ったけどよ、TVか何かでおれのこと見たことがあるらしくて、結構驚いてた」
それは驚きもするだろう。何せ魔装機神操者はその発言が一国の元首に値するだけでなく、精霊王の加護も篤い客人であるのだ。本来であればたとえ王侯貴族であろうと気軽に呼びつけられる相手ではない。
クスィーティーハウスの創業家であるクスィー家は大地の精霊王ザムージュと風の精霊王サイフィスを熱心に信奉していることで有名だ。未発売の限定品を用意できたことからおそらく老夫婦は創業家の人間だろう。話の雰囲気から察するにクスィーティーハウスの会長夫妻に違いない。であれば、よくも卒倒騒ぎにならなかったものだ。
「最初はとにかくお礼がしたいから何でも言ってくれって、何か勢いがすごくてよ。でも、何でもって言われても思いつくものなんて特にねえし。それで、そういや、プレシアが新しい紅茶飲みたがってたなって」
「それで、おいしい紅茶が欲しいと?」
「何か紅茶好きそうな感じがしたからさ、うまいのがあったら教えてくれって言ったんだよ。そうしたら、おすすめの紅茶があるから贈るって」
その結果がこの限定缶らしい。ついでに魔装機神隊に少なくない額の寄附もあったそうだ。セニアから感謝状まで出たとか。
「猫が歩いて真正面からクソデカい棒にぶち当たってるじゃないですか」
「本来は犬が歩いて棒に当たるのですがね。その下品な言い回しはやめなさい。不快ですよ」
いつの間にかシュウの肩に止まっていたチカは事情を聞いて呆れ返っていた。
「クスィーティーの限定缶って、確か去年発売された時は一〇秒くらいで完売してませんでした?」
「正確には八・六秒ですね。サーバーもかなり増強していたようですが愛好家たちの熱意はそれを軽く上回っていましたから」
その限定缶——それも未発売のシリアルナンバー〇番である。マニアの群れに投げ込めば刃傷沙汰は必至だ。
「一応、ノンフレーバーティーとフレーバードティー両方もらったんだ」
そうして新たに取り出されたもう一つの限定缶。
「そういえば、限定缶って二種類でしたっけ?」
「二種類ですね。完売の速度はフレーバードティーがコンマ一秒の差で早かったはずです」
「……二缶ともシリアルナンバー〇番ですね。戦争起きますよ、これ」
チカの目はすでに遠い彼方を見ている。この二缶をオークションにかければ一体どれほどの高値がつくか。
「下品な想像はやめなさい」
「なあ、このメーカーって何かヤバいとこなのか?」
不穏な気配に少し心配になってきたらしい。
「いえ、むしろ逆ですよ。とても高価な品です。だからめったに市場には出回らないのですよ」
「え、そんなにか?」
「王侯貴族御用達の逸品ですからね」
「……なあ、これ返したほうがいいか?」
「なぜです?」
「いや、だって、偶然助けただけだしよ。それだけでそんな高いもん貰うわけにもいかねえだろ」
「彼らのためを思うなら、素直に受け取っておきなさい。きっと喜んでいますよ」
「そりゃあ、まあ。飲んだら感想くれって手紙も入ってたけどよ……」
できれば兄妹一緒に一度尋ねてきてほしいとも誘われたそうだ。
「そういえばディアブロって大地系の精霊でしたよね?」
「大地系低位、森の精霊ディアノスと契約していますね」
風と大地。クスィー家にとっては非常に縁起が良い組合だ。何より会長夫妻の恩人である。歓待するのは当然であろう。
「他に何か言われていましたか?」
「特別なことは……、ああ、あれだな。紅茶がうまかったら次もまたいろいろ贈るって。旬のやつとか期間限定のとか?」
「これ全商品のクオリティシーズン送りつけてくる気配満々じゃないですか?」
「たぶん、贈ってくるでしょうね。この様子では」
クスィーティーの各クオリティシーズンが無償で贈られてきたとなればさすがのセニアも口を半開きにして絶句するに違いない。彼女はクスィーティーの希少価値を正しく理解している。
「何て言うか、マサキさんもとから『幸運』持ちですけどものすごくわかりやすい『幸運』持ちですよね」
「一度本人に聞いてみましたがそこそこ金運には恵まれている。程度の認識でしたよ」
「そこそこの『幸運』で魔装機神隊にぽんっと寄附できるだけの資産を持ったパトロンが獲得できますか、普通。しかも、おまけがクスィーティーの限定缶ですよ!」
そこそこの規模が絶対おかしいでしょう。そうわめき散らすチカにシュウは人差し指で軽くこめかみを叩きながらため息をつく。
「その点に関しては否定しませんよ」
もともと物欲が薄いせいもあるのだろう。あまり散財することのないマサキの個人資産はたまるばかりだ。一度、預貯金の額を見せてもらったが資産運用もせずよくもあそこまでためたものだと感心すらしてしまった。
「あれを長期運用できれば十分億単位にまで増やせそうなのですが」
「何だよお前ら、さっきからごちゃごちゃと」
「大した話ではありませんよ。話がそれてしまいましたね。その缶のメーカーは『クスィーティーハウス』です。セニアも知っているはずですよ」
「ああ、お偉いさんたちの御用達だからセニアも知ってるか」
「ええ。それとあなたが今手にしている限定缶ですが、まだ未発売のものですからあまり大っぴらにしないほうがいいですよ。トラブルのもとですから」
「これ、まだ発売されてないのか?」
「予定では来月発売ですね。きっといいツテがあったのでしょう。気にせず受け取っておきなさい」
「わかった。じゃあ、プレシアの次はお前な!」
「……私ですか?」
「だって、お前、紅茶好きだろ」
「ええ、好きですが」
「じゃあ、飲めよ」
それが当然とばかりに。
「先にプレシアと飲んだらまた持ってくるから、その時に欲しい分だけ取れよな」
そうしてさっと背を向けて玄関へ。
「じゃあなっ‼」
あっという間に出て行ってしまった。まさに疾風。
「忙しない迷子でしたねえ」
「『幸運』を拾う希有な迷子ですよ」
本当にどこで何を拾って——出会ってくるのか。
数日後。今度は迷子の先で遭遇したテロ事件解決に助太刀した結果、ラングラン軍の元老将軍とその上司に絡まれた末「面白そう・鍛えがいがありそう」だからと半ば強引に後ろ盾になられたと愚痴るマサキに、
「もう、いっそのこと世界各所に定期的に放置して人と金を釣ってきてもらったほうが早くありません?」
「言いたいことはわかりますし否定できない部分もありますが、とりあえず、その下品な言い回しはやめなさい」
「猫」は歩くと幸運を拾うものなのだとつくづく思い知らされた一羽とその主人なのであった。
猫が歩けば
短編 List-2