思いのほかキャッシュがたまっていたので少し散財しておこうと思ったそうだ。資産があり過ぎるとそれはそれで始末に困るらしい。
「だからってな」
少し、の規模がおかしいだろう。どう考えても。
「何で郊外に屋敷一軒まるっと購入してんだよ。しかも管理人付きで!」
とある市街地から数キロ離れた郊外の一角。中流貴族の屋敷を解体し一部を移築して建てられた元古書店。一部とはいえ普通の民家を四軒並べられる程度には広い。元の主人は数カ月前、脳梗塞で急逝したのだと聞いた。
「面白そうでしたので」
「面白そうで屋敷一軒をまるごと買うな、自重しろ‼」
一般市民の金銭感覚ではとてもついて行けない。
「資産額だけ見るならあなたも十分資産家でしょうに」
加えてラングランにおいては魔装機神操者であると同時に「救国の英雄」であり由緒正しきゼノサキス家の当主でもある。社会的地位は十分特権階級だ。
「そうそう、屋敷はあなたの名義で契約しましたから重要書類は後日郵送しますね」
「さらっと有印私文書偽造罪っ⁉︎」
「よく知っていましたね。ああ、維持費に関してはこちらの口座から落ちますのでそこは安心なさい」
「いや、堂々と法に触れておいて何を安心しろと……」
至極真っ当な反応である。それにしても、
「何か、楽しそうだな?」
めずらしく呼びつけられたと思えば「家を買いました」の一言。呆然としている間に首根っこを引っ掴まれあれよあれよという間にこの様である。この男の傲慢な振る舞いは今に始まったことではないが今日は妙に浮ついている感じがする。
「面白いものがあったのですよ」
「面白いもの?」
「『秘密基地』が欲しかったのでしょう?」
安心して「家出」できる場所が。
「お前っ⁉︎」
さっと頬に朱がさす。思わず殴りかかればあっさりかわされた挙げ句、当たり前のように抱き込まれた。ならばせめて足の甲でも踏みつけてやろうとすればこれもまたすっとかわされた。本当に本当にこの男は!
「ここの店主は奇書の蒐集家としてそれなりに名の通った人物だったのですよ」
「奇書?」
「希少でめずらしい本。稀覯本のことですが、彼の場合は文字通りの奇書蒐集家だったのです」
稀覯は稀覯でも「奇怪な」稀覯本専門の蒐集家。
「まあ、好意的な言い方をすれば蓼食う虫も好き好きとでも言いましょうか」
「悪く言えば、何だよ」
「ただの変人ですね。故人を悪く言うつもりはありませんが、どちらかといえば変態性欲の傾向が強い人物でしたので」
「つまりただの変態」
「下品な言い方になりますが、おおむねその通りです」
「えぇ……」
そんな人間の屋敷を購入して一体何をする気なのだこの男は。
「人間性については大いに問題のある人物でしたが、蒐集家としての観察眼は確かだったのですよ」
屋敷の応接室から案内されたのは玄関をリフォームして作られた書店の部分だった。
「店、そのままにしてんのか?」
「用が終われば改めてリフォームし直す予定です」
足を進めた先はカウンター下。
「何だ、何もねえじゃねえか」
「ええ、目視では確認できない仕掛けですからね」
タイルの一枚を軽く踵で三回、それから聞き覚えのない言語の一節。ごとり、と音がしてタイルが浮いて横にずれる。現れたのはこれまた覚えのない紋様だ。
「彼の父方の実家は相当に裕福だったらしく、その実家の紋章だそうですよ」
おそらく魔力を流し込むかどうかしたのだろう。重苦しい音を立ててカウンター横の本棚が奥にずれ、人一人が通れるだけの階段が現れる。
「え」
「彼の隠しコレクションの噂は聞いていましたからね。購入したさいに走査してみたのですが、まさか本当にあるとは思いませんでしたよ」
行きましょう、と手を引かれて階段を下りた先は二〇畳はあろうかという空間だった。天井までは三メートル近くある。四方の壁はそのまま本棚になっており、部屋の床は一部がガラス張りでその下にはまた小さな本棚が。
「どこから来るんだよ、この執念……」
「年季の入った蒐集家としてはさしてめずらしいことではないと思いますよ」
「そんなもんか? ところで、ここにある本、全部めずらしいやつなのか? ぱっと見そんなめずらしそうには見えねえけど」
「装本だけで判断するものではありませんよ。一度確認しましたが、古いものでは四三〇〇年前のものがありましたね」
「へえ、どんな本だ?」
「当時の好事家同士が作った同人誌ですね。ラ・ギアスで流通していたほぼすべての蒸留酒のラベル・蒸留所・価格・口コミ・ランキングなどを事細かに記したレポートでした。手書きでそれもA4用紙換算でざっと七〇〇ページほどありましたよ」
「……古代にもいたんだな、マニア」
気になって本棚をのぞきながら歩けば、一つ明らかに奇妙な装丁の本が目についた。その一冊だけ分厚いガラスケースに隔離されご丁寧に南京錠までついていたのだ。
「マサキ、その本はやめなさい。あなたが触れていいものではありません」
呼び止めるシュウの声は少し声が固い。否、わずかながら嫌悪すら感じられる。
「これ、何だ?」
嫌な感じがする。この本の周りだけ空気が違うのだ。
「離れなさい。それはもともと処分するつもりのものですから」
「でも、めずらしい本なんだろ?」
「ええ、とてもめずらしい本です。『人皮装丁本』ですからね」
「にんぴそう……、にん、ぴ?」
「あなたの想像で合っていますよ。それは『人皮装丁本』——人間の皮膚を用いて作られた本です」
脳が理解するよりも先に身体が動いた。自分でも信じられない勢いで後方に飛びすさる。
「地上に伝わる『人皮装丁本』の例では、解剖された死体の皮膚で作られた解剖学のテキスト、遺言にもとづき故人の皮膚から作られた遺産の一種、裁判記録の写しをとじるために有罪判決を受けた殺人者の皮膚を用いたものなどがあります」
「い……、遺産?」
「ええ」
フランスの詩人・カミーユ・フラマリオン著の詩集『空の中の地』に『人皮装丁本』についての記述がある。それは彼の詩を好んだ貴婦人——サン・トージュ伯爵夫人とも言われる——の遺言に従って製作された一冊についてだ。この『人皮装丁本』は現在アメリカに渡っている。
「ただし、ここはラ・ギアスです。地上における『人皮装丁本』とは少し意味合いが異なります」
そう、ラ・ギアスには『魔術』が存在するのだ。『人皮装丁本』はその『魔術』 における重要な術具になりうる。
「何事においても正道があれば邪道がありますからね」
だから、それは片付けが済み次第「正しい手順」を踏んで処分する予定なのだと。
「こんなもん集めてどうするつもりだったんだよ……」
「さあ、彼自身に魔術の才はなかったようですから、文字通り蒐集することが目的だったのでしょう」
そのために大枚をはたくとは、正直、正気を疑う。特に何かをコレクションしたことのないマサキにはまったく理解できない感覚だった。
「なあ、ここの本全部処分するのか?」
「『人皮装丁本』のように倫理に触れるものはごく一部ですからね。それ以外は正規ルートで売却します。ただ、純粋に興味深いものもいくつかありますからそれは手元に残すつもりです」
「じゃあ、この店の部分はどうするんだ?」
「もちろん、『秘密基地』にするのですよ」
悪戯っぽく笑う。
「一人の時間を持とうにもあなたの場合、環境的に難しいでしょう?」
この地下室は二段階認証になっていて、一定の動作とキーワードの照合を行ったのち最終的に登録された人間のプラーナが一致しなければセキュリティが解除されないようになっているのだ。『秘密基地』には持ってこいではないか。
「リフォームが終わったらここは『図書室』にするつもりですしね」
「上はお前の部屋かよ」
「維持費を出すのは私なのですから、それくらいはいいでしょう?」
「まあ、おれは名義だけだしな」
文句はない。聞けばこの屋敷は地理的にも好条件らしい。
「地理的?」
「この屋敷は位置的にラ・ギアスの中心地に近いのですよ」
であれば、何事か問題が発生したとしても現場に駆けつける時間はある程度短縮できるだろう。
「そのほうがあなたにとって都合がいいでしょう」
「そりゃあ、まあ、好都合だけどよ。お前はそれでいいのかよ。金まで出したのに部屋一つって」
「支払った金額に見合う対価は得ましたからね」
興味深い稀覯本と自分好みの図書室。そして、マサキの『秘密基地』。とても有意義な買い物だった。
「リフォームが終わったら『秘密基地』用の家具を買いに行きましょう。それ以外にもあなたの好きなものを全部」
「お前……、もうちょっと金の使い方をだな」
「有意義な買い物に資金を惜しんでどうしますか」
勝敗はその一言で決した。頭を抱えて座り込むマサキとは対照的にシュウは上機嫌で脳内の家具メーカーリストを更新していくのだった。
素敵なお買い物
短編 List-2