表舞台に立つのは某国政府とそれに対立する武装組織。舞台裏ではそれぞれを支援する国々と複合企業が流血で淹れたアフタヌーンティーとオイルで焼いたスコーンに舌鼓を打っている。
最初から短期間で終わる任務だとは思っていなかった。だが、長期化すれば確実に隣国へ飛び火する。だからこそ多少の無理は致し方なかったのだ。
【大量広域先制攻撃兵器】の最大使用。効果範囲と地形の都合上、使用されたのはサイフラッシュとレゾナンスクエイク。地形を無視し地中を移動可能なザムジードは今回の作戦の要であり、サイフラッシュは半径数キロに及ぶ戦闘区域内の全兵器を一斉に機能停止させるために不可欠だった。
制圧対象である武装組織の本拠地は山岳地帯の高所にあり本拠地へと通じる道は一本のみ。まともに仕掛ければ蜂の巣だ。
「でも、あたしとザムジードには関係ないよね」
「お前が拠点をつぶしたら、入れ替わりでサイフラッシュな」
「うん。あ、終わったらその辺に転がってていいよ。軍の人が回収に来てくれるはずだから」
半径数キロということは小さな町や村であればまるごと囲い込めてしまう規模だ。それだけの範囲に存在する全魔装機と通常兵器を完全破壊せず機能停止に留めさせるのだから、消費するプラーナと魔力量は推して知るべし。
事実、作戦成功後、マサキは半日近く昏倒する事態に陥った。
「もともと日頃の疲れが解消できていないから昏倒するにしても時間が長くなるのよ。何度も言ってるでしょう。休めるときに休む癖をつけないと」
疲労回復に良いと蜂蜜の二リットルボトルを手にゼノサキス邸を訪れたのはテュッティだった。当然のように置かれた蜂蜜のボトルを無言で回収したのはあとからやってきたヤンロンだ。
「セニア様から伝言だ。三日ほど休暇をもぎ取ったから適当に羽を休めてこい、だそうだ」
「休暇ねえ。でも、まだくすぶってるとこあっただろ?」
「そこは僕たちで対応する。いいからお前は素直に休んでこい」
まったく普段はがさつで怠惰な面ばかりが目立つのに、こと任務に関してはむしろワーカホリック気味になるのはどういうことなのか。
「へーへー、それじゃあ適当に休ませてもらうぜ」
だから、海へ出たのだ。
人けのない真っ白な砂浜と雲ひとつない青空。
飛行能力を有する魔装機以外は到底たどりつけない海の中の小さな無人島。
コクピットから飛び降りると同時にジャケット、ブーツ、グローブを脱ぎ捨てる。そうして素足のまま海へ。任務完了から今までどうしても拭いきれなかった陰気を海風が根こそぎかっさらっていく。全身が浮き上がる錯覚。この両手足は一体いつから鉛を仕込んでいたのだろうか。
それからはただ突っ立って海を眺めた。しばらくして疲れてきたのでその場に座り込む。波を受けて全身びしょぬれだ。だが、かまうものか。任務の長期化に備え着替えは常に積んである。バケツ型のポータブル洗濯機も新調したのだ。
いっそ泳いでしまおうかとも思ったがそれはさすがにやめた。そうして気がすむまでじっと海を眺めつづけた。
「そろそろ帰るか」
全身にまとわりついていた陰気は海風がさらっていった。残ったのは色濃い疲労感だけだがこの程度はいつものことだ。家に帰って日がな一日寝転がっていれば解消されるだろう。
前髪から滴を垂らしながらサイバスターの足下まで戻れば、そこには日陰でアウトドアチェアを広げ当然のように読書にふける男が一人。
「……いや、何でいんだよ、お前」
「あなたのお目付ですよ」
「セニアかよ……」
「最低でも二日は絶対に休ませろとのことですからね」
なるほど。最悪だが最優の人選だ。今のところ真っ向からマサキと切り結べる人間は目の前の男くらいであるし、逃げだそうとしても魔術で拘束されてゲストルームに強制送還されるのがオチだ。
「同じ【大量広域先制攻撃兵器】でもサイバスターのサイフラッシュと他の魔装機神のそれとでは消費する魔力もプラーナも桁が違います。今回は数キロ圏内の制圧を担当したのでしょう?」
「まあ、いつもよりは広かったけどよ」
「実際、それで半日近く昏倒したのですから無理矢理にでも休みなさい。こと任務においてあなたはワーカホリックの傾向がある」
「だからって、他に方法がねえならやるしかねえだろ」
「それはあくまで最後の手段です」
魔装機神隊の面々とて内心では歯がゆく思っているだろう。現状、すべてではないにしろ戦局の多くを彼に委ねてしまっているのだから。
「そんな大げさなことかよ。できる奴ができることをするだけの話じゃねえか」
「これだけ重要な問題をそんな大ざっぱに言えるのはあなたくらいですよ」
かかっているのは他でもない自身の命だというのに何て危機感のない。
「いちいちうるせえなぁ、どいつもこいつも心配し過ぎなんだよ」
「でしたら、今度徹底的に検査してもらいなさい。費用に関してはあなたの仲間たちが喜んで出すでしょう」
おそらく目に見える数値にしなければ耳を傾けるどころか気に留めることすらしないだろう。血液検査の数値が見物だ。
「ところで、おれは今日どこに帰ればいいんだ?」
「ここから九〇キロほど離れた場所にセーフハウスの一つがありますからそこへ向かいます。先に言っておきますがサイバスターは置いていきますよ。結界もすでに張っておきました。拒否権はありません」
抵抗するなら魔術を使ってでも強制的に連れて行く。いまだ色濃い疲労感に苛まれているマサキは素直に白旗を上げた。この有り様で目の前の男に抵抗するなど馬鹿のすることだ。
「その前に着替えくらいさせろ」
そう言って身を翻す寸前、思い出したように浜辺へと足を向ける。
「マサキ?」
「なあ、これ持って帰ってもいいと思うか?」
それは手のひらに収まるほど小さな貝殻だった。
「それはどういう意味です?」
「ガキの頃、海に行ったときに言われたんだよ。勝手に貝殻を持って帰るなって」
多くの砂浜で無造作に落ちている貝殻。ただ転がっているだけの貝殻が炭酸カルシウムの供給源として海水に溶け、海洋に循環されていることをどれだけの人間が理解しているだろう。それだけではない。鳥の巣作りの材料になり、藻類や海藻、スポンジ類、甲殻類といった海洋生物の住処や付着面としても役立っているのだ。
手のひらに収まる程度の小さな貝殻。この貝殻を一つ取り上げただけで貝殻を住処とする生き物が一匹、確実に生きる術を失う。貝殻に定着する生物たちも生息地を失うだろう。
人間一人の手のひらに収まる程度の貝殻一つ。けれどそれは小さな「世界」にとっては不可欠なパーツなのだ。
「忘れたのですか、わたしたちは人間なのですよ。そして、あなたの手は人間の手であって神のそれではない」
どれほど切に願ったところで人間一人に「世界」をすくい、救う術はない。
「あなたが言ったことでしょう。それをできる人間ができることをする、と。あなたにできることはあなたができることだけですよ」
そう、人間にできることは人間ができることだけだ。神の真似事ではない。それはただの高慢でありおのれに対する無知だ。
「その貝殻ですが、あなたの手のひらに収まる程度のものです。一つくらい持って帰ったところで何ら支障はないでしょう。それでも気にかかるというなら返しておきなさい」
「……そうする」
そのまま海に投げ込む。小さな貝殻が一つ「世界」に帰った。
日頃はがさつだなんだとたしなめられているが時に顔をのぞかせるマサキの別側面はひどく神経質だ。シュウから見ても不安定きわまりない。だが、一番問題なのはその状態で当たり前のように任務に就き、何事もなくこなしてしまうことだ。そのずれは遠からず精神と肉体の乖離をもたらすだろう。
「三日と言わず一週間程度確保しておくべきでしたね」
「馬鹿言うんじゃねえ。そんなにだらだらできるわけねえだろ」
「あなたの場合はすでに休むこと自体が一つの任務に値するレベルなのですよ。少しは自覚なさい」
一度セニアに打診してみようか。山積する問題が対処できる範囲であればこちらで処理してもいい。
「だいたい、そんなに休んで何をしてろっていうんだよ」
口をへの字に曲げてぶつくさと不平不満を垂れれば笑いながらシュウが返す。
「なら、今日のように海を見ましょう。風を追って駆けてもいい。あなたの目であなたの『世界』に触れて、そうして見渡してごらんなさい。あなたが生きる『世界』は決して憂うだけではないのだともう一度思い出せばいい」
「……」
「ただし、その前にしっかり休むことです。セニアからも最低二日は絶対に休ませろと言われていますからね」
「一日も寝てりゃあいいじゃねえか」
「本人の自覚と実際の回復度は必ずしも一致しません。何なら血液検査しましょうか?」
検査キットならすでに用意してあると言えばさすがに分が悪いと思ったのだろう。不機嫌をあらわにしたまま黙り込む。
「どいつもこいつも……」
「それだけ心配しているのですよ。私も例外ではありませんからね」
「え?」
思わず声が出る。
「何ですかその反応は」
「いや、お前も人並みに心配するんだなって……」
本人を目の前にして大変失礼な話である。
「わかりました。血液検査をしましょう。データはあとでセニアに送っておきます」
逃げ出される前にがっしっとその腕を掴んだかと思えばまるで小さな子どもにするかのようにひょいと抱え上げる。
「逃がしませんよ」
「いや、おれの体重っ⁉︎」
落ちてなるものかと慌てて頭にしがみつけば魔術で【身体強化】をかけているので問題ないと一言。なんだその反則技は。
「卑怯だぞ」
「そうでもしないと逃げ出すでしょう?」
事実、その通りなのでぐうの音も出ない。
「じゃあ、言う通り寝ててやるから絶対に起こすなよ」
これはもう腹を括るしかない。
「ええ、絶対に起こしません」
どうしてそんなにほっとした顔をするのだろう。今に始まったことではないがよくわからない男だ。
「つか、おれまだ着替えてねえんだけど」
「帰ってからになさい」
「コクピット濡れるぞ」
「その前にきちんと拭いてあげますよ」
まるで小さな子ども扱いだ。けれどいくら抵抗したところでこの男が相手では適当にあしらわれるのがオチだ。マサキは潔く諦めることにした。
「……仕方ねえなあ」
これから数日間にわたる休暇という名の「任務」に頭を抱えつつ、マサキはただ運ばれるまま帰路に着くのだった。
その手のひらに
短編 List-2