今日も彼は機嫌よく

短編 List-2
短編 List-2

 機嫌が良すぎて気味が悪い。
 セーフハウスを訪れるなり開口一番、大変失礼なことを述べてきたマサキにしかしチカは無言でうなずいた。マサキの反応は真っ当だ。実際、その通りなのだ。先日の一件以来、チカの主人はたいそう機嫌が良かったのである。
「だって、ねえ。いわゆるデートの途中だったにもかかわらずあんなことになって、最終的には放置されて解散になったわけですから」
「だから、余計に気味が悪いんじゃねえか。つかデートとか言うな。絶対違うからな!」
「シチュエーション的に誰がどう見てもデートだったでしょうが。いい加減受け入れなさいよ、現実を」
「うるせぇっ‼」
 その日は何となく外で食べたかったのだ。そして、そう思っていたのはマサキだけではなかったようでそのまま二人で近くの街へ出かけたのである。
 少し入り組んだ構造をした街だった。
 二人並んで歩いていたのは橋の上。そのすぐ下は主に市場へ仕入れに行く業者が使う通路だった。台車がすれ違える程度には幅があり左右は石壁で民家も商店もない。
 悲鳴は通路の奥。市場側から聞こえてきた。文字通り全速力で市場から駆けてきたのは賊だった。どこからどうみても賊だった。手にした凶器はもちろん髪形から服装に至るまで。真っ昼間の凶行とは大した度胸である。
「あー……、何かお手本みたいなのがいますね」
「なんつうか、実在するんだな。ああいう奴らって」
 だが、目にしてしまった以上、見過ごすわけにはいかない。
「ちょっくら行ってくるわ」
「マサキさんっ⁉︎」
「待ちなさい、マサキ!」
 引き留める声を振り切って欄干を蹴る。地上までおよそ三メートル。飛んだ先は通路を挟む石壁。頭上からの強襲に賊の足が鈍る。
「逃げんじゃねえぞ!」
 石壁を蹴って角度を変え一番手前にいた賊の顔面を蹴り飛ばす。まず一人。そして、着地とほぼ同時に両手を地面につけ、クラウチングスタートの要領で前方へ突っ込む。突然のできごとに立ち尽くすのは長剣を手にした男だった。反射的に切り払おうとするがマサキがその懐に飛び込むほうが一呼吸分早かった。勢いよく飛び上がる。石頭が男の顎を真下から突き上げうめく間もなく男は気を飛ばした。多分、舌は噛まなかったはずだ。
 さすがに二人も仲間をやられて正気に返ったのか、賊たちがマサキに向かって左右から襲いかかる。残るは四人。だが、四人のうちマサキに近かった二人は振り向き様の肘鉄をみぞおちに食らって一人がひっくり返り、もう一人はバックステップで距離を取ったと同時の右ストレートを顔面に食らって吹っ飛んだ。もちろん、手加減はした。前歯は諦めろ。
 残る二人は地面に転がった長剣を拾ってなぎ払う。峰打ちができれば一番だが生憎と諸刃の長剣で峰打ちは不可能だ。ゆえに手の腱を切る。続けて逃走防止のために足の腱も。地上であれば後日腱を繋ぐための手術が必要となるが治癒術が存在するラ・ギアスではその必要はない。ゆえに躊躇はなかった。
「うわぁ、ランドールの聖号は伊達じゃなかったわけですか」
「剣に関しては今改めて基礎を習っている最中ですし、格闘に関しても操者候補生時代の指導と生来のセンスもあるのでしょうが、見事なものです」
 しばらくして賊を追って市場の人間と憲兵が駆けつける。打ち上げられた魚よろしく白目を剥いて転がる犯罪者たちに駆けつけた人間たちはただ唖然とするばかりだった。
「手加減はした。死んじゃいねえよ。あとそこの二人は腱を切っちまったから必要なら治癒術をかけてやってくれ」
「あんた……、地上人だな」
 明らかにラ・ギアス人とは違った風体に周囲の視線が厳しくなる。中央はともかく地方ではいまだ地上人への偏見と差別は激しい。面倒なことになる前にマサキはさっさと話を終わらせることにした。
「マサキ・アンドーだ。何かあったら魔装機神隊に連絡入れてくれ」
「ランドール殿っ‼」
 憲兵の一人が背筋をぴん、と伸ばして声を張り上げる。
「大変失礼いたしました。あとはお任せください!」
 空気が変わった。異邦者に対する嫌悪と警戒は一転して歓待一色へ。当然であろう。マサキ・アンドー。聖号ランドール・ザン・ゼノサキスを国から賜与された救国の英雄。そして、風の精霊王サイフィスの加護を得た魔装機神サイバスターの操者。精霊信仰篤いラ・ギアスにおいて彼は客人まれびとであると同時に客神まろうどがみに近しい立場にもいたのである。
 騒ぎを聞きつけて段々と人が集まってくる。このままでは抜け出せなくなってしまう。
「悪ぃ、連れがいるんだ。あとは任せた!」
 そうして背後の熱気から逃げるように駆け出す。橋から直接飛び降りてしまったので自力で元の場所にたどり着かなくてはならない。
「まあ、何とかなるだろ」
 道に迷うのはいつものことだ。それに半分は迎えが来るだろうと楽観視していた。何だかんだいってあの男は世話焼きなのだ。
「でも、行かなかったんですよね。ご主人様」
「そうなんだよ。まあ、あんだけ人が集まってたんなら仕方がねえとは思ったけどよ」
 あの男は今やラ・ギアス全土に名が知れた国際指名手配犯なのだ。いくら【認識阻害の魔術】を使っているとはいえ万能ではない。危険を回避するためにもその場から離れるのは当然と言えた。ゆえにマサキを迎えに来る時間的な余裕もなかったのだろう。少なくともマサキはそう理解した。
「まあ、状況が状況でしたし致し方ないと言えばそうなんですけど、それなら道案内にあたくしを飛ばしてくれればよかったんですよ」
 まさかその程度のことを思いつく余裕すら失っていたとは考えづらい。というよりあり得ない。あの男はシュウ・シラカワなのだ。
「結局、飯食いにいけなかったし、あんな騒ぎにもなっちまったからさすがに機嫌悪くしたんじゃねえかと思ってたら……」
「すっごい機嫌良いんですよね、ここ数日」
 いっそ不気味なくらいに。
「あの状況下では仕方ありません。あなたが気にすることではありませんよ」
 その後、迷った末に橋に戻ることを諦め、何とかサイバスターにたどり着いてチャンネルを開いて見ればあの笑顔。満面の笑みとはああいう顔を言うのだろう。真正面からそれを直視してしまったマサキは文字通り心の底から震え上がった。
「怖ぇっ⁉︎」
 非常に失礼な話ではあったが、人間、どう頑張っても怖いものは怖いのである。
「ほんと何であんな機嫌良いんだよ、あいつ」
「多分、聞かないほうがいいと思いますよ。ろくな理由じゃないでしょうし」
「お前は聞いたのかよ」
「聞けるわけないでしょうが。あたくしだって怖いんですよ、あのご主人様はっ⁉︎」
 言いたい放題である。だが、このままではどちらにとっても精神衛生上よろしくない。
「とりあず、今のところ問題はないみたいですし、この話はまた後日ということにしましょう。下手に触れて何か起こってもあれですし」
「お、おぅ……」
 そうしてひとしきりマサキに不安を吐き出させるとチカはそうそうにマサキをセーフハウスから追い出したのだった。
「はぁ、ほんと世話が焼けるったら……」
 向かう先は半地下にある研究室だ。ここ数日、ある設計に必要なシミュレーションが望むとおりの数値ばかりを吐き出すので作業がとても楽しいらしい。
「ご主人様ー、マサキさん怯えてましたよ。いい加減教えてあげましょうよ」
「なぜです。別に怯える理由などないでしょうに」
「だって、結果的に放置されて解散になったわけじゃないですか。それで怒ってるんじゃないかって心配してるんですよ」
「あれは不可抗力ですし、別にマサキのせいではないと伝えたはずなのですが」
「いや、その顔。いっそ裏しかないと確信できるその笑顔のせいですってば!」
 少しはあたくしの苦労をおもんばかってくださいよ。そう泣きわめくおのれの使い魔をシュウは必要ありません、の一言で一蹴する。そもそも教えるほどの理由もないのだ。単純に喜ばしいことがあった、それだけのことなのだから。
 先日の一件。悪漢どもを一瞬で制圧して見せた彼。そして、そんな彼に羨望と敬意と感謝と好意を向ける民衆。何て誇らしい光景だろう。地上人であること魔装機神操者であることを理由に一方的な悪意にさらされることも多々あるマサキが、地方の街中とはいえ正しく評価され感謝されている。
 そして、そんな彼が自分の隣にいることを選んでくれたのだ。これ以上、喜ばしいことがあるだろうか。思い出すだけでつい口許がほころんでしまう。
「……年がいもなく舞い上がっちゃってまあ、ホントどうしてくれましょうか、この主人」
 かしましいローシェンの視線は錐のように鋭く冷たい。だが、現在常春ど真ん中の主人はどこ吹く風だ。この様子では今週いっぱい上機嫌のままなのではなかろうか。
「マサキさんのメンタル持ちますかねえ?」
 正直、普段の言動も相まって主人の笑顔はメンタルにあまりよろしくない。今回は特にそうだ。何せあの舞い上がりようである。かといってここで水を差そうものなら待っているのは破滅のカウンターだ。ブラックホールクラスターですら有情レベルだろう。
「まあ、今のところ被害被っているのはマサキさんだけですし」
 さすがに来週になれば落ち着くだろう。チカは数秒葛藤した後、保身も含めて問題の解決をあっさり放棄したのだった。
 迷子は尊い犠牲となったのだ。

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