ずいぶんと機嫌が良いらしい。プレシアお手製のスコーンを手土産にやってきたマサキは明らかに浮かれていた。理由はすぐに知れた。
「ウェンディがくれたんだよ」
差し出されたそれはドライバーだった。縦一一・五センチ、横二・六センチ。重さ一六八グラム。ハンドル内蔵型の多機能ドライバー。ビットは本体収納式で一八ビットもあるではないか。
「これはオーム社のドライバーですね」
「メーカーまでは聞いてねえけどウェンディが太鼓判を押すくらいだから有名なんだろ?」
「その程度の話くらいは聞いておきなさい。これはラングランでも有名な工具メーカーの最新商品ですよ。先日発売されたばかりだというのによく手に入りましたね。さすがはウェンディです」
サイバスターの開発者であるウェンディから携帯用の工具として勧められたそれは目の前の男からしても優秀な製品だったらしい。
「お前もこれ持ってるのか?」
「私が持っているのはこれより一つ前の商品ですね。新商品が出るとは聞いていましたから近々購入するつもりではいたのですが」
こころなしか声が弾んでいるように聞こえる。やはり技術者にとって新しい工具は心弾むものなのだろうか。
「おれはそんなに乱暴に扱ってるつもりはなかったんだけどよ。サイフラッシュとかプラーナコンバータとかよく故障してただろ?」
「そうですね。自覚ができたようで何よりです」
「それでさ、サイバスターの自己修復機能だけじゃ限界があるからある程度は自分で修理できるようにって練習はしてたんだよ。そうしたら工具はきちんとしたものを持っておいたほうがいいってウェンディが」
「ああ、それでオーム社を」
オーム社の製品は特に耐久性に優れていることで有名だ。戦場のような過酷な環境での使用を考えれば最適解であろう。
「他には何か勧められましたか?」
「メンテナンスオイルと念のために防さび潤滑スプレーも貰った。あとエアダスター」
メーカーを聞けばこれもまたオーム社と並ぶ老舗メーカーのものであった。オーム社の多機能ドライバー同様いずれも質が良いだけに同類商品の中では高額な部類に入る。
「安くないみたいだったからちゃんと金は払うって言ったんだよ」
「でも、断られたのでしょう?」
「よくわかったな」
「むしろ、理解できないあなたのほうが理解できませんよ」
何せ本人がこの有り様なのでこんな機会でもなければプレゼントを贈ることすら叶わないのだ。過去、欲しいものを尋ねて魔装機神隊の消耗品をねだられたシュウはウェンディの心情をおもんばかり少しだけ同情してしまう。
「オイルやエアダスターの使い方は聞いていますか?」
「そこは何となくわかる」
「整備を行ううえでなんとなく、は御法度ですよ」
その性能と機動力から常に最前線に立つ機会の多いサイバスターの整備は特に入念に行われる。単機で戦局すら覆す規模の【大量広域先制攻撃兵器】を有する魔装機はこのラ・ギアスにおいてサイバスターだけなのだから当然だ。
「そうですね。本格的な整備は本職の整備士に任せるとしても最低限の応急処置くらいはできるようになっておくべきです。工具以外のものもすべて持ってきていますか?」
「ああ、一応持ってきた」
「でしたら、実際に使ってみましょう。習うより慣れよですよ」
それはちょっとした『青空教室』だった。
まず機体の中で特に負荷がかかる箇所。損傷箇所によって自己修復のスピードに差が出ることの確認。そして、それを計算に入れたうえで行う応急処置の手順。『教師』が『教師』なだけにその『授業』は非常に濃密であった。眠気がつけいる隙もないほどに。
「何か思ってたよりやりにくいな」
「使い慣れていない工具だからでしょう。すぐ慣れますよ」
『生徒』の食いつきが思ったよりも良かったからか、『教師』は上機嫌で『授業』を続けた。自分の興味が向く範囲であれば勤勉な『生徒』も『教師』の期待に応えつづけた。気づけば『授業』は三時間を越えていた。
「その集中力を普段から発揮できれば進展する事柄も多いでしょうに」
三時間を越える特別『授業』の疲労がピークに達したのだろう。セーフハウスに戻るなりマサキは放り投げたクッションに抱きつく格好で床に転がった。
「うるせえよ……」
声に普段の覇気はない。しかし、だからといってこのまま床に転がられていても困る。本人のためにもせめてソファかベッドに移動してもらわなければ。
「そのままでは体を痛めるだけですよ。ベッドが無理ならせめてソファに移動しなさい」
「何だよ、おれがどこに転がってようがお前に関係ねえだろうが」
「ここは私の家なのですが」
「もうちょっとしたら移動してやるよ」
そう言ってすでに三〇分は経過している。見れば半分まぶたが下りてしまっているではないか。これはこちらの声もろくに聞こえてはいないだろう。
「仕方がありませんね」
とはいえ、このまま抱え上げては羞恥から暴れ出すのは目に見えている。
「しばらく眠っていなさい」
額に軽く人差し指を置いて咒文を一節。半開きだったまぶたがゆっくりと閉じられる。聞こえてくる寝息は安らかだ。意固地で小生意気な青年も眠ってしまえば何て可愛らしい子どもだろう。普段からもう少し素直であればいいのに。
「それもうマサキじゃないんだにゃ」
「別の生き物にゃのね」
「もはやホラーですね」
どこから湧いて出たのか遠慮のえの字も知らない使い魔たちは辛辣だ。シュウは思わず眉をひそめる。その声量での三重奏はやめてくれないだろうか。特に一羽でもかしましいローシェンは。
「少し静かにしていなさい。マサキを起こす気ですか」
声音に宿るわずかな不穏を察したのだろう。一羽と二匹はまるで申し合わせたかのように一瞬で部屋の四方へと散ってしまった。素早い。
「さて、次の『授業』はいつにしましょうか」
プレゼントに関しては先を越されてしまったが、ならばこちらは継続的な『授業』で対抗するまでのこと。負けっぱなしではいられないのだ。
かしましい一羽と二匹の強襲は予想外であったが幸い腕の中のマサキが起きる気配ない。目新しい工具を使っての『授業』だったからだろう。終始はしゃいでいたので知らず疲労もたまっていたに違いない。
「それにしても、まさかあなたに先を越されるとは思いませんでしたよ、ウェンディ」
どちらかといえば積極的な行動に出るのはリューネほうだと思っていたが。
「……あなたの入れ知恵ですか?」
一度、確認してみたほうがいいだろう。十中八九、彼女の差し金に違いない。
「受けて立ちましょう。——負けませんよ」
数日後、新しい工具の使い方を再度ウェンディに教わっているとマサキの手際の良さに感心したウェンディが尋ねてきた。
「まだ発売されて間もないのに、ずいぶんと手慣れているのね。練習したの?」
「ん、あいつに教えてもらった」
瞬間、空気が凍る。誰に、などと問うまでもなかろう。
「……え、そ、そうなの」
「実際に何度かやりあって、そのたびにチェックしたり実際に応急処置もしたりしてさ。習うより慣れよだっけ。確かにその通りだったぜ」
「そう……。そう、なのね」
「ウェンディ?」
「え、な、何でもないの。何でもないのよ。ちょっと思い出したことがあったからいったん席を外すわね」
そうして足早に向かった先は研究室のある端末だ。不定期の『会合』はこの端末を通じて予定を調節していたのである。何かしらのアクションがあるとは思っていたが、まさかこうも露骨なカウンターを返してくるとはいい度胸ではないか。
「シュウ・シラカワ、貴様、ちょっと顔を貸せ」
「おや、ずいぶんと遅い反応ですね。テューディ・ラスム・イクナート」
大魔神ならぬお姉様大降臨であった。
