「マサキが帰ってこないのよ」
「いつものことではありませんか」
【方向音痴の神様】と評されるほど彼の方向感覚は壊滅的だ。片道一〇分の食料品店へ出かけて行って数時間迷子になるのは日常茶飯事。保護する側も慣れたものだ。任務に出れば出たで一時間で帰還できる距離を最悪三日かけて帰ってくる始末。おかげで数日程度の行方不明では誰も動じなくなってしまった。だが、今回は違う。わずか二日の行方不明であったが出動要請に応じなかったのだ。こと任務に関してはワーカホリック気味のマサキがである。
事態は一気に緊迫感を帯びた。マサキが乗るサイバスターは魔装機神最強と畏怖される機体だ。そしてサイバスターが備える【大量広域先制攻撃兵器】——サイフラッシュの最大半径は数十キロに及びもはや戦術兵器を越えて戦略兵器に等しい。マサキ・アンドーはそれを自由に起動できるこの世で唯一の人間であったのだ。仲間としてはもちろんのこと戦略上においても決して失うわけにはいかなかったのである。
「地上で捜せる範囲は可能なかぎり捜してるけど、高高度以上の領域はあたしたちじゃ無理なのよ」
「それで、私に協力しろと?」
実際問題サイバスター以上の飛行能力を有する機体はシュウのグランゾンしかない。
「どうせ暇でしょう。存在が世の中の邪魔になってることのほうが多いんだから、たまには善行積みなさいよ」
世俗から一歩離れた生活を送るシュウにしたたかな従姉妹は今日も辛辣だ。
「あなたも口が悪くなりましたね、セニア」
「あんた以外が相手ならつつましいわよ。とにかく、協力してちょうだい。マサキがこのまま見つからなかったらあんたが原因だってプレシアに通報するわよ」
とはいえ今のシュウは背教者として世界に名を轟かせる国際指名手配犯である。軽々しく協力を求めていい相手ではない。それでもセニアが頼み込んできたということはもはやなりふりかまっていられる状況ではないのだろう。
「わかりました。協力しましょう」
もとよりマサキが絡んでいるのだ。拒否する理由はなかった。
サイバスターが消息を絶った地域はすでに判明していた。
高度五四〇〇メートルの世界に広がるラ・ギアス最大の高原地帯。その規模は東西約四五〇キロメートル、南北約四〇〇キロメートルに及ぶ。高原南部には標高六〇〇〇メートルを超える山脈が東西に横たわり、外部との行き来はほぼゲートに依存していた。
なるほど。ゲートは魔装機のような大型のものを転送することができない。仮に高高度経由でサイバスターが高原に降り立ったのであれば通常の魔装機による捜索は不可能だ。
「今度は何をしているのでしょうね、あなたは」
「そういえば、最近ストロハイム人民共和国あたりがきな臭いって話じゃありませんでしたか?」
シュウの肩に止まったチカが呆れたように羽を広げて言った。
ストロハイム人民共和国はシュテドニアスの北東にある。三国間の動乱が平定されて久しいとは言えどの国も政情はいまだ不安定だ。そして、シュテドニアスはラングランに並ぶ大国である。その周辺に余計な火種をまかれるなど冗談ではない。
「であれば、一刻も早くマサキには帰ってきてもらわねばなりませんね」
サイバスターが消息を絶った座標は高原の最南部。山脈のほぼ麓だった。この周辺は過去、少数民族による自治区がひしめき合っていた場所だ。外部との接触を拒み、中央に比べて文明化が遅れていたせいもあるのだろう。ゲート開通による異文化と資本の流入——半ば一方的な外世界からの『侵攻』によって彼らの世界は急速に衰退していった。
「これは先に情報を集めておく必要がありますね」
どう考えて異常だ。だが、もしかしたらそれがマサキを「呼んだ」のかもしれない。
マサキの壊滅的な方向感覚は時に明確な「意味」を持つ。彼でなければたどり着けない「意味」と「場所」がこの世に存在、あるいは「発生」するからだ。
「なるべく穏便にすませたいのですが」
状況的に相手が「人間」である可能性は低い。
仮にそうであるならばマサキの性質が厄介な方向に作用する可能性がある。精霊憑依。地上人でありながら彼はこのラ・ギアスにおける精霊王の一角、風の精霊王サイフィスをその身に降ろしてみせた。本人にその自覚などないのだろうが、普通の人間に比べて彼の性質は【神を降ろす者】——巫覡に寄っているのだ。
かつて古代に存在した少数民族たちの自治区。その亡骸がひしめく地に「呼ばれた」迷子の捜索など頭が痛いかぎりだが、それがマサキである以上、諦めるわけにはいかない。
「とにかくいったん降りましょう」
進路を問題の座標からもっとも近い町へ。
そして、訪れた町でシュウはここ最近、周辺一帯で発生している大規模な行方不明事件を知るのだった。
風車だ。子どもの頃、祭りの屋台で目にした風車。
どこをどう迷ったのかはもう忘れてしまったが、マサキは風車を手にどことも知れない場所で立ち尽くしていた。ここは一体どこだろうか。
何となく視線を下に向ければ白い狐の面が転がっている。とても古い面だったがよく手入れされているのだろう。傷ひとつ見受けられない。けれどどこか寂しそうだった。仲間とはぐれてしまったのだろうか。今にも泣きそうだ。
自然、手が伸びる。面を拾ってほこりを払う。普通の面だった。当たり前のように面を付ける。気づけば子どもがそこにいた。同じ狐の面を付けた青い浴衣の子ども。男の子だった。
「あっち」
手を引かれる。
「こっち」
先の見えない長い長いトンネルをひたすら歩き、ただ歩き。耳慣れた祭り囃子に胸を躍らせながら行き着いた先は白い鳥居が百、千と並ぶ「境界」であった。
鳥居の左右に並ぶ狐の石像は一体どれだけの時間を雨風にさらされてきたのかひどく痛んでいたが、その顔はむしろ誇らしげであった。彼らは長きにわたってこの「境界」を守護しつづけて来た御使いであったのだ。
「行こう」
青い浴衣の子どもに手を引かれるまま、白い狐の面に誘われるまま。左手に風車を握りしめ、ただ静かに階段を上る。背中を追いかけてくるのは祭り囃子だ。
石段を登り始めてどれほど時間がたっただろうか。ようやくたどりついたそこは小さな神社であった。ところどころ痛んではいたが何度も修繕された跡がある。境内はよく清掃されていた。ほとりにある池も澄んでいてその水面はまるで鏡のようだ。神社は厳かなけれど安らかな気配に満ちていた。
「ここ」
指さした先は本殿の扉。
ああ、そこにいたのか。今度は逆に子どもの手を引いて歩く。
本殿の扉が開いた。燐火が灯る本殿内に浮かんでいたのは涙にぬれた【卯の花色の狐の面】
「帰りたいの」
面が啼いた。
懐郷に啼く
短編 List-2