神主を務めていたその家系は町が無くなったあとも【卯の花色の狐の面】を「家宝」として大事に大事に受け継いでくれた。だが、神をも怖れぬ盗人はその末裔の家からいくつかの貴金属とともに【卯の花色の狐の面】を盗み出した。そして、【卯の花色の狐の面】はその先で不運にも時空間のズレに巻き込まれ見知らぬ大地へと墜ちてしまった。
一体どれだけの時間をここで眠っていたのだろう。いつも自分を慰めてくれていた祭り囃子も幼子らの声も、いとおしい「願い」も気づけば何も聞こえなくなっていた。
「帰りたいの」
【卯の花色の狐の面】は啼いた。
いとおしい子らのいとおしい「願い」のもとへ帰りたい。けれど今の我が身に帰る術はない。
天に通じ面に収められてからすでに幾千の歳月が流れていた。面を割り今一度現世に顕現すれば自力で帰ることも叶おうが、何千という時間をかけてため込まれた魔力は今や天雷大火のごとく。面より顕現したが最後、あふれ出た魔力は大地の一つ、二つは容易に焼き払ってしまうだろう。そうなればこの地の民はどうなる。あの子らのようにいとおしい「願い」があふれるこの世界はどうなる。
帰りたい。けれど帰る術がない。【卯の花色の狐の面】は啼いた。それに応じたのは白い狐の面を付け青い浴衣を着た子どもであった。
「帰ろう」
それはかつて神主の娘が面の裏に貼った「青い折り紙の狐」——その化身であった。
ある程度聞き込んだ結果、被害者の「共通点」は割合早く判明した。
「神隠しの対象となっていたのはいずれも日常的に長距離を移動する人間。いわば『世界を渡り歩く者』です」
職業柄世界各地を回る者、ビジネスマンがその典型だ。画家や音楽家、フリーの魔術師、カメラマン。ゲート関係の技術者など。
神隠しの『対象者』には明確な「属性」があったのだ。「属性」がわかれば「目的」もおのずと知れる。怪異は「移動」しようとしているのだ。おそらくは「世界」を。
「いやそれ、めっちゃまずいのでは。ゲート開けるじゃないですか、サイバスター⁉︎」
「ええ、ですから、行方不明者は間もなく解放されるでしょう」
彼らは「最適解」を手に入れた。ゆえにこれ以上の「候補者」は必要ない。
「行きましょう」
「え。どこへ?」
「招待された以上、出向くのが礼儀でしょう」
シュウの手には風車。
「私は万が一のための『予備』でしょうから、きっと受け入れてくれますよ」
サイバスター以外でゲートを開ける機体はグランゾンだけだ。
「命知らずにもほどがありません?」
破壊神すら木っ端微塵にした人間を『予備』扱いとは。
「向こう側にしてみればしょせんはただの人の子ですからね」
風車から流れ出る魔力に悪意は感じない。だが、その純度はもはや暴力だ。めまいがする。あふれ出る清浄な「氣」は一片の不浄も許さない。人間が持つにごりの一滴すらも。
「急ぎましょう」
向かう先は高原の南にそびえる山脈の麓。
かつて少数民族の自治区がひしめき合っていた滅びの都であった。
「お前、スゲぇ大事にされてたんだな」
目の前には黄金色に輝く毛皮に九つの尾を備えた狐が一匹。懐郷のあまり啼いて啼いて啼き疲れたそれは半ば病んでしまっていた。
「帰りたいの」
【卯の花色の狐の面】が啼く。九尾の狐は古代、守り神として面に収められた天狐であった。
天狐とは中国および日本に伝わる神獣または妖獣を指し、中国の『玄中記』には狐が一〇〇〇年の年を経て天に通じ天狐になると記されている。
「えーっと、何だ。つまり、お前神様みたいなもんか?」
足下には風車を手にした青い浴衣の子ども。言葉は通じないが何となく言いたいことはわかる。「帰りたい」のだこの「神様」は。そして、そんな「神様」を「連れて帰りたい」のだ、この子どもは。
「そうは言われてもよ……」
正直、マサキには妙案が思いつかない。
「ん!」
うんうんとうなっていれば【卯の花色の狐の面】を押しつけられた。勢いに逆らえず面を付ければ、その瞬間「世界」がぐるりと回転し、気づけば覚えのない「世界」が目の前に広がっていた。
それは夜祭りだった。
祭り囃子が聞こえる。
いとおしい子らが、いとおしい「願い」が呼んでいる。
「帰ろう」
先導するように幼子が駆ける。そして九尾もまた善良な人の子の体を借りて駆けた。「世界」を渡る「翼」のもとへ。けれど。
「おおよその事情はこちらでも把握しましたし邪魔をするつもりもありませんが、その前に『あなた』を返していただけませんか。確かに母国は同じでしょうが『あなた』はあなた方ではないでしょう?」
ああ、この子にもこの子をいつくしむ者がいたのか。
九尾は啼いた。そして【卯の花色の狐の面】はからん、と音を立てて地に転がったのだった。
「それで、今の今までおれは行方不明だったのかよ」
月もなければ星々もない夜空の下、マサキは告げられた現状にただただ首を傾げるばかりだった。
「ええ、ちょっとしたパニックでしたよ」
眉間にわずかなしわを寄せ、シュウは軽くこめかみを押さえる。事の発端でありながら何て緊張感のない。
「あなたが行方不明になってまだ二日でしたし、いつもの迷子だろうと当初は誰も心配していなかったようですよ。ただ、途中で任務が入ったにもかかわらずあなたが応じなかったものですから、そこでようやく異常事態だと察したようですね」
肝心の任務についてはガッデスとザムジードだけで十分間に合ったらしく、むしろサイバスターが駆けつけたところで邪魔になるだけだったらしい。
「状況は理解したけどよ、こいつ、どうしたらいいと思う?」
足下には白い狐の面を付け青い浴衣を着た子ども。そして、マサキの手には【卯の花色の狐の面】が。
「好きになさい。私にあなたを止める権利などありませんからね」
風車の向こう側からもれ聞こえてきた懐郷の嘆き。あれほど切実な「願い」が世にどれほどあるだろう。無下にするなど悪逆も同然だ。
「じゃあ、帰してくる。こいつ、スゲぇ大事にされてたんだよ。だから、帰してやらねえとな!」
多分、今でも待ってる奴らがいるんだ。破顔一笑。そうして何の躊躇も怖れもなく、まるでそれが当然とばかりに子どもの手を引いて空を統べる愛機へと駆けていく。
「私たちも行きましょうか」
「あ、ご主人様も行くんですか?」
「また、行方不明になられては困りますからね」
迷いなく飛び立った白銀の翼を追って紺青の魔神もまた「世界」を渡る。
十数年前に失われた「家宝」の帰還にとある一家とその親戚縁者が歓声に沸くのはこれより数時間後のことである。
