「妖精猫?」
アイルランドの伝説に登場する猫の妖精。ハイランド——スコットランドの高原——やノルウェーなど欧州他地域にもその伝承があるが、どうやら件の「マーサ君」はそれと同種のものであったらしい。
「ただ、ラ・ギアスにおいても妖精はとてもめずらしい存在ですし見た目は普通の猫と変わりませんから、まず見分けはつきません」
「まあ、猫だしな」
マサキの使い魔であるシロとクロも人語をしゃべる点を除けば外見上は普通の猫そのものなのだ。実際、一部の例外を除いて二匹が正体を看破されたことは一度もない。
欄干を蹴ってキャリーバッグを受け止めたところまでは覚えているがそこから先はきれいさっぱり記憶が抜けていた。目が覚めたらグランゾンのコクピットにいたのだ。今はシュウのセーフハウスで服の乾燥を待ちながら毛布に巻かれている。
「ステラ婦人は軽い脳震とうだけでしたが大事を取って今は本宅で休んでいます。もう心配はいりませんよ」
「でも、あいつらまた来るんじゃねえか?」
「そこは大丈夫でしょう。もうすぐ相応の『厄災』が彼らの身に降りかかるでしょうから」
「厄災?」
「ええ、その罪科に見合った当然のものが」
あの「庭」は彼らの「王国」であり「庭」の主である彼女は彼らにとって守るべき「女王」なのだ。「女王」に仇なす侵略者を誅するのは「騎士」の務めである。
「愚かな事をしたものです」
狭義において妖精はイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、ノルマンディー等の神話や伝承における精霊や超常的な存在のことを指す。彼らは人智を超えた存在なのだ。その領域を侵して無事でいられるわけがない。
「あいつ、そんなおっかないやつだったのか……」
短い時間ではあったがマサキにとってマーサは日なたをころころ転がるくっつき虫の甘えん坊という認識しかない。婦人の腕に収まって本当によくごろごろと鳴いていたのだ。
「あなたたちの前ではそれが彼らの『本当』なのでしょう。それだけ気を許しているのですよ」
「そんなもんか?」
「そういうものですよ」
「にゃあ」
「……今何か言ったか?」
「気のせいでしょう。そろそろ服も乾いた頃でしょうから取ってきますよ」
「おう、頼む」
そうしてゲストルームを出て脱衣所に入ればそこには一匹の猫が尻尾をぴんと伸ばして姿勢正しく座っていた。
「お気づかい痛み入ります」
「にゃ」
「特に熱も出ていませんから大丈夫ですよ。また、折を見てお礼にうかがいますから、その時に改めて」
「みゃう!」
心得たとばかりに一鳴き。そして、次の瞬間にはまるで霞のごとく消えていた。本当に律儀な「騎士」である。
人間であるかぎり彼女はいずれ死ぬ。けれど次に「即位」するのが何者であれ彼女の「願い」が受け継がれるかぎり彼らは「騎士」として彼らの「王国」——「ターシャの庭」を守りつづけるだろう。
ステラさん家のマーサ君
短編 List-2 12
