眠れる森の美女

短編 List-2
短編 List-2

 ビューネイ・ハディソン。通称「毒」の女王。
 トロイア州に本家を置く旧男爵家の女当主は古今東西の毒に関わる薬、鉱物、動植物を扱う蒐集家としてその界隈では知らぬ者はいないとまで言われていた。その彼女が心臓発作で突然死したのだ。家族はもちろん彼女の『友人』もまた他殺を疑った。
 あらゆる毒物を蒐集するということは常に自らを死の淵に立たせるということだ。蒐集家としての人生を全うすべく毒の女王は熱心に薬学を学び自衛のための魔術を学び、おのれの健康管理に心血を注いでいた。そんな人間が突然の心臓発作に見舞われるなどありえない。何よりその緑色の爪。それはまるで暗く冷たい森の深奥で腐った棘のようであった。そして、これこそが何かしらの害意が彼女を襲った証拠に違いなかった。
「【眠れる森の美女】ですか」
 とっさに母親の亡骸に駆け寄ろうとした娘を制止し、シュウは冷たく言い放つ。同時に制止された娘ははっとして飛びすさり、大気を切り裂かんばかりの大音声で叫んだ。
「誰か、手袋を! できれば二重以上に重ねてちょうだい。これは【眠れる森の美女】よ。うかつに触れれば死んでしまうわっ‼」
 【眠れる森の美女】——毒の女王が愛したコレクションの中でも飛び抜けた毒性を持つ緑色の粘液は無味無臭で、コップ一杯を注ぐだけで大湖からあらゆる生物を駆逐し、向こう一〇年は「死滅の湖」として周辺の動植物すら病に追いやるという。
「なんつうもんをコレクションにしてんだよ。誰か通報しろよっ⁉︎」
「そうはいっても個人の趣味ですし、今のところ他者に害をもたらしたこともありませんでしたからね」
「山のように毒物持ってる時点ですでに十分取り締まり案件だろうが。つか何だよ向こう一〇年は死滅の湖って。それもう立派な兵器だろ。個人が持ってていい代物じゃねえよ」
 苦い顔を向けた先には床に倒れ事切れた女当主。その死相は死してなお自らの死を自覚していなかった。
「なあ、毒の持ち主が毒殺されるって何かおかしくねえか?」
「ええ、明らかに異常ですよ。物理的な手段による殺傷ならもともかく、夫人が毒によって殺害されるなど本来であればありえない」
 毒をこよなく愛する毒の女王は同時に薬学の大家でもあったのだ。
「とりあえず、部屋へ戻りましょう。どのみちしばらくは動けないでしょうから」
 ふたりが招かれたのは「城」一階の北側。女王自慢の「庭」を臨むゲストルームであった。
「憲兵が来たら手伝ったほうがいいと思うか?」
「不要でしょう。そもそも憲兵は来ませんよ」
 被害者はその界隈では知らぬ者はいないとまで畏怖された毒の女王。その彼女がむざむざ毒殺されたなどスキャンダルどころの話ではない。加えてコレクションの中には今現在個人での所有が禁止されている毒物が山とある。司法の手を入れるわけにはいかなかったのだ。
「幸い現場に居合わせたのは親族と『友人』である私たちだけですからね。口止めすればそれですむ話です」
「何でお前がその『友人』にカウントされてるのか、おれは今でも納得できてねえぞ」
「それほど長いつき合いではありませんでしたが研究に余念がなく資金援助にも熱心な良い『友人』でしたよ。たまに招かれたときの会話も弾みましたし」
 分野は違えど同じ研究者同士。さぞ心やすい一時であっただろう。
「世間一般の『友人』基準で考えたおれが馬鹿だった」
 どうやら類が友を呼んだパターンだったらしい。マサキはそれ以上の追求を放棄した。藪をつついて出てくるのが蛇ならまだ可愛げもあるが大魔神は論外である。
 
「紹介したい『友人』がいるのですよ」
 何とはなしに顔を見に行ってみれば視線が合うなりがっしと腕を掴まれ、その一言。笑顔だった。マサキは一瞬で背筋が凍った。しかし、否やと訴える間もなくグランゾンのコクピットに放り込まれ、問答無用で連行された先がこの毒の女王の「城」であったのだ。
 もともと招待されていたのだろう。出迎えたのはビューネイ本人とその愛娘であった。娘の名はエメラルド。次期「女王」として徹底的な英才教育を施され、その期待に見事応えた娘はビューネイにとってまさに自慢の翠玉エメラルドであった。
 マサキとシュウが招かれたビューネイの「城」はかつての男爵家を改築したもので裏手には古今東西の薬草を取り扱う「庭」があった。当然、「庭」を管理する庭師は薬剤師と同等の知識と技能を備えていた。教育したのはもちろんビューネイ本人である。
「いや、そこまで徹底するのかよ。もう病気じゃねえか、それ?」
「彼女の毒に対する熱意は並々ならぬものがありましたからね」
 マサキたちが招かれた理由は次期「女王」のお披露目のためであった。エメラルドが数日前に一六歳の誕生日を迎えたのだ。ラングランでは成人を迎える年齢であった。
「……」
「どうしました?」
「いや。何か、ちょっと違和感っていうか、引っかかるっていうか。よくわかんねえんだけどよ」
 拭えない何かが頭の中でとぐろを巻いている。そう答えればシュウは深くため息を吐いて言った。
「忘れてしまいなさい。あなたが深く悩まずともこの茶番はすぐに終わるでしょうから」
「茶番? どういう意味だよ」
 現実に死者が出ているというのに茶番とは何事か。
「あなたが感じた違和感がその答えですよ」
 そう、違和感。最初からおかしかったのだ。
 【眠れる森の美女】によって自らもまた永遠の眠りについた毒の女王とその亡骸に真っ先に駆け寄ろうとした愛娘。
「何だよ。何もおかしくねえだろ」
「いいえ、おかしいのですよ。次期『女王』でありながら、まるでそれが当たり前のように真っ先に亡骸へ駆け寄った」
 毒の女王の健康管理は徹底していた。それは娘であるエメラルドに対しても同様であった。その母が突然倒れたのだ。ビューネイは自衛のために魔術も修得していた。真っ先に疑うのは病でも魔術でもなく『毒』であった。
「母親がいきなり倒れたんだぞ、気が動転してたんじゃねえのか?」
「日常的に毒と隣り合わせの生活をしていたのですよ。厳重に管理されているとはいえいつ何が起こるかわからない。何があっても冷静に対処できるよう厳しくしつけられていたはずです。実際、彼女はそう言っていましたからね」
 だというのにエメラルドはまるでそんな教えなど知らなかったかのように駆け寄り、あまつさえ素手で母の亡骸に触れようとしたのだ。違和感を感じないほうがどうかしている。
「でも、それじゃあ……」
「ええ、現時点で疑うべきはエメラルド嬢ですね」
 見た目には仲の良い親子だった。話を聞くかぎりずいぶんと厳しく教育されていたようだが娘の表情に暗い影はなかった。殺意を抱く理由が見当たらない。
「それは表面上の話でしょう」
 シュウには一つ心当たりがあった。数ヶ月前の話だ。
 エメラルドに縁談話が持ち上がったのである。
「家柄を考えれば別にめずらしい話ではなかったのですが」
 エメラルドがそれをかたくなに拒んだのだ。しかし、理由を問いただしても頑として口を割らず、最終的に家中の人間を問いただした結果、出入り業者の息子と恋仲になっていたことが発覚したのである。
 当然、ビューネイは激怒した。彼女にとってエメラルドは完璧な後継者であったのだ。ままごとにうつつを抜かすなどあってはならない。「女王」の夫はそれに相応しい知識と才を有していなければ。
「それで、その業者って」
「息子のみ出禁にしたそうです。業者が持ち込む品自体は彼女も大いに気に入っていましたから」
 業者の息子が出禁になってすでに三ヶ月以上たつという。母親の仕打ちを知ったエメラルドは狂ったように泣き叫んだ。あまりの狂乱振りにいくつもの鎮痛剤が必要になったほどだと。
「けれどしばらくしてまるで憑き物が落ちたかのように落ち着いたそうです。やはり一時の気の迷いだったと彼女は安堵していましたが」
 現実はこの有り様だ。
「なあ、それじゃあやっぱり……」
「夫人亡き今、当主はエメラルド嬢です。彼女は自由を得た。これでもう彼女を阻む者はいない」
「でもよ、兄姉いただろ。今日来てたじゃねえか」
「長男は成人と同時に家を出て起業しすでに別家庭を持っています。相続放棄の手続きもすんでいるそうですよ。長女についてもライオット州の富豪に嫁いで十分裕福な暮らしをしているそうですから今さら家に固執する理由がない」
 ならば、帰結の先はただひとり。
「だったらなおさら!」
「やめておきなさい。言ったでしょう。これは茶番だと。私たちが何をせずとも幕はすぐに下りますよ」
 むしろ下手に関わって巻き込まれては困る。特に目の前の青年はシュウからして典型的な「善人」なのだ。関わったが最後、カーテンコールの裏側にまで引きずられるのは目に見えている。だが、シュウにとって運命とは悪意の招き手でしかなかったらしく、マサキをたしなめてからわずか十数秒後。二度目の悪夢を告げる絶叫が「城」を震撼させたのだった。 
「お、お助けを……、お助けくださいシュウ様、マサキ様。お嬢様が、エメラルドお嬢様がっ‼」
 ドアを叩き破らんばかりの勢いで駆け込んできたのは庭師であった。
「どうした、じいさんっ!」
「お嬢様が……、私が、私がしゃべってしまったばかりにお嬢様が!」
「落ち着きなさい。一体何があったのですか」
 興奮状態の庭師からマサキを遠ざけ、問いただす。
「エ、エメラルドお嬢様が……、亡くなられました!」
 自ら【眠れる森の美女】を口にして、命を絶ったと。
「ちょ……、ちょっと待てよ。何で、しかも自殺だって⁉︎」
「その様子では目撃者は私たち以外の全員のようですね。詳細を聞いても?」
「はい……」
 それは庭師の懺悔でもあった。

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