眠れる森の美女

短編 List-2
短編 List-2

 あなた、あなた、ねえ、あなた。
 待っているの。待っていたの。
 どうして。私は、あなただけを待っていたの。
 恐ろしい姿になってしまったけれど、悲しくて悲しくて泣きたくなってしまったけれど、きっとあなたは受け入れてくれるでしょう?
 だって、私たちは恋人だもの。
 私はあなたに恋をした。
 あなたは私に恋してくれた。
 だから、迎えに来たわ。
 あなた、あなた、ねえ、あなた。
 行きましょう。生きましょう。
 私と一緒にどこまでも。
 どこまでも、一緒……、に。

 業者の家の井戸に落ちたエメラルドの亡骸が見つかったのは翌日の早朝だった。知らず井戸の水を口にした一家は全身を緑色の斑点に覆われ、この世の者とは思えぬ苦悶に顔を歪めて息絶えていた。
 業者の息子はすでにビューネイが買収済みだったのだ。これは後にビューネイの日記から判明した事実だった。エメラルドを諦めれば莫大な手切れ金と安定した生活を保障する。また、口止め料として別の街の裕福な商家との縁談も取りつけてあった。
 一時の感情に任せて世間知らずの令嬢と逃避行を強行するなど将来を棒に振るようなものだ。突きつけられた現実に業者の息子の恋心は急速に冷めたのだろう。手切れ金は前払い。今後の生活も保障された。業者の息子はあっさりとエメラルドを忘れた。
 エメラルドによるビューネイ暗殺の計画は事前に知らされていた。自殺を装った「城」からの脱出についても。けれど業者の息子はすべてを忘れたままだった。思い出さなければ何もかもが土の下に収まるからだ。庭師からの告発についても心配はしていなかった。告発すれば自ら主人殺しに加担したことを公表せざるを得なくなるからだ。業者の息子は安泰だった。
 その日は業者の息子の縁談を祝い家族でささやかなパーティを催していた。七歳になったばかりの妹が窓の向こうに「お化け」を見たのはそのさなかでのことだ。
「お姫様、お化けのお姫様がいるの! お兄ちゃん、お化けよ。すごく怖い顔をしているの。追い払って!」
「お前はほんとうに怖がりだな。気のせいだよ」
 業者の息子は「お化け」のことをすぐに忘れた。忘れて、しまった。妹が必死に伝えた花のかんばせが誰であったのかも思い出さずに。
 
 死臭に満ちた舞台裏でマサキは呆然と立ち尽くしていた。茶番、確かに茶番だった。だとしてもあんまりだ。あんまりではないか、こんな結末は。
「これ以上ここにいても無意味でしょう。帰りますよ」
 立ち尽くしたまま動けずにいるマサキの手を取り、シュウは当然のように「城」を出る。
 女王と王女を同時に失った「城」はこれからどうなるのだろう。主人殺しの大罪に手を染めた庭師の男は果たして罪に問われるのか。あるいは体裁を理由に不問に処されるのか。
「何で……。止める方法って、ほんとに……、なかったのか?」
 それはほとんど独り言であったがあえて無視せずシュウは答えた。
「ないでしょうね。この世の誰にも彼女を止めることはできなかった」
 いっそ冷酷なほどに断言する。
「何でだよっ‼」
 瞬間的に爆発する感情は怒りの一色だ。
「恋とは、そういうものですよ。あなたもよく覚えておきなさい」
 狂恋。恋とは狂うもの。狂わせるのが恋だ。
 それがこの身を蝕む、毒の病。
 
 いつか、あなたも思い知る。

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