平凡な日だった。空は快晴。風は穏やかで暖かく雲も薄い。木陰にピクニックシートでも敷いて午睡にいそしむなら今日こそが最適だろう。目が覚めたら読みかけの推理小説を片付ければいい。
「自由ですね」
そう、自由だ。平凡で平穏で自由な日。ただ、一つだけ足りないものがある。
「今はエリアル王国でしたか」
今、シュウの隣にマサキはいなかった。
エリアル王国はバゴニアとシュテドニアスに挟まれた島国で「巧みの国」とも言われる技術立国だ。独自の魔装機開発技術を擁し様々な組織・国家に提供している。だが、その卓越した技術は同時にテロリストにも活用されており他国から「死の商人」とさげすまれる一因になっていた。
国風は和風もしくはほぼ現代日本テイストで日本人であるマサキやミオにはなじみやすい空気だと聞いたのは先月頭のことだ。
そろそろ一カ月がたつ。
エリアル王国でも有数の魔装機開発技術を持つ企業の工場が襲撃されたのである。それも一箇所だけでなく複数箇所を同時に、だ。
エリアル王国はラングランを含む三大大国のうちの二国、バゴニア連邦共和国とシュテドニアス連合国に挟まれている。ゆえに一定値を超えた防衛力の強化はどうしても二国を刺激する。限られた島国という地理的条件も相まってその国力は大きく制限されていた。そして、そんなエリアル王国にとって魔装機開発技術は命綱でありその製造工場は臓腑そのものだった。
「エリアル王国の製品はラングラン——魔装機神隊にも提供されています。その製造工場が襲撃されたとなれば協力を申し出るのは当然でしょう」
何より襲撃者の意図がわからない。エリアル王国の技術はテロリストたちも存分に活用しているのだ。自らの首を絞める理由がなかった。
「考えられるとすれば【躾】の一環でしょうか」
短期間における技術革新と国力の増強。エリアル王国をバゴニアと挟む大国——『保護者』に等しきシュテドニアスにしてみれば面白くない事実だろう。
大統領であったレスデン共和国の与党党首グレイブ・ゾラウシャルドの死によって現在シュテドニアスとラングランの間には和平が結ばれている。
「黒幕」の正体についてある程度の推測はできているだろうが、ラングランとしてはなるべく触れずにおきたいのが本音だろう。魔装機神隊の出動にも難色を示したに違いない。
「まあ、【躾】であれば適当なところで手を引くでしょうが」
どうも最近は襲撃に便乗した火事場泥棒が発生しているらしく、むしろそちらの一掃に手間取っていると聞く。
襲撃の規模も頻度も徐々に収まってきている。もうしばらく時間はかかるだろうが任務は何事もなく無事に終わるだろう。
けれど、もうしばらくとは?
それはいつだ?
平凡で平穏で自由な日。ただ、一つだけ足りないものがある。
手にしていた本を閉じ立ち上がる。
足りぬなら、届かぬならば自ら手を伸ばせばいい。歩めばいい。この身にはそのための足がある。伸ばす手がある。
決断は一瞬、躊躇は不要。
「出かけますよ、チカ」
「えぇー……。少しはおとなしく待ってましょうよ」
我慢のきかない幼子でもあるまいに。何て強欲なことだろう。チカは大仰に呆れて見せる。グランゾンの飛行能力であればエリアル王国まで数時間もかかるまい。さて、一体どんな顔をして乗り込む気なのか。
「……さすがに通りすがりのブラックホールクラスターとかはないですよね?」
立ちふさがるなら破壊神すら木っ端微塵にする男。馬鹿と冗談が徒党を組んだ末の縮退砲なんて兵装を設計実装したある意味きわめの変人である。そう、天才と天災は紙一重。邪魔とみなせば通りすがりにテロリスト集団の一つや二つ、容易に壊滅してみせるだろう。それこそ通行の邪魔だ何だと因縁を付けて。
「もう、どっちが悪党なんだかわかりませんよねえ」
しかし、主人は主人である。チカは粛々と付き従う。
「まー、運が悪かったと思うしかないですよ」
そう、運が悪かった。それだけだ。
そして、チカの予想通りグランゾンの進行方向に割り込んできた火事場泥棒の一団は「進路妨害」を理由にブラックホールクラスターの直撃を受けて木っ端微塵となったのだった。
「シンプルに——惨い」
もともと神出鬼没であるせいかエリアル王国に現れたシュウにマサキたちが驚くことはなかった。
「また貴様か」
「あなた本当に神出鬼没なのね」
ヤンロンはあからさまに機嫌を悪くしていた。それをなだめたのはテュッティだ。
「あ、マサキならいないよ」
シュウが尋ねるよりも先にミオが反応する。
「マサキ、今民芸館の『教室』に通ってるんだよ」
「民芸館?」
まためずらしい組合せだ。それが自然と顔に出ていたのだろう。ミオはにっしっしと顔をにやけさせる。
「めずらしく頑張ってるから邪魔はしないであげてね?」
手渡されたのは数枚のチラシ。
「体験教室?」
ストラップ、ブレスレット、キーホルダー。なかなか思う通りのものが出来上がらずそれが悔しくてしばらく通っていたらしい。
「組紐ですか」
順番に編めばよいだけだから大ざっぱな自分でも何とかなると思ったとは本人談である。
「とりあえず、やる」
「私にですか?」
つっけんどんに押しつけられたのは紺青の絹糸で編まれたキーホルダー。少し毛羽立っているがしっかり編めている。
「これは……」
「だって、今月、お前誕生日だったろ?」
合点がいった。ならばこのキーホルダーも不出来と判断されたストラップも腕輪も、すべて。
「……」
望外とはまさに今この瞬間のことを言うのだろう。柄にもなく喝采を上げそうになるのを寸前でこらえ小さく息を吸う。一つ、彼のためにもこれだけは訂正しておかなくては。
「来月ですよ」
「え」
「来月です」
気まずい沈黙と羞恥によって引火され大爆発した「子猫」をなだめるのはなかなかの大事であった。なお、それはそれとして偽りなき善意と好意は当事者込みで即「お持ち帰り」されたそうである。
